雪の降る町を・・・(下)

 「すみませんね、休日に」と言いながら、その人は私の珍奇なスタイルはスルーして入ってきた。多分寒さが限界だったのだろう。そういうことにしよう。決して、触れてはいけないものだと判断されたわけではない。


 本日の任務は、あるアプリケーションの切り替えである。ネットワークの工事を行ったので、それに合わせて設定の変更が必要だったのだ。だが、その設定は端末ごとに所持しており、変更するのには端末の起動から計算して三十分かかる。

 そのため、休みの日に仕事をする羽目になったのだ。


「じゃあさっさと回って帰りましょう」

「帰りましょう」


 お客さんもいないので、コートを着込んで部屋を出る。寒かろうが暑かろうがスーツスタイルを至高とする風潮はどうにかして欲しい。だが別に自分で活動を起こす気はないので、余所の誰かに頑張って欲しい。


 大きな病院なので、敷地内にいくつも入院棟や外来棟が存在する。その間は橋で繋がれているのだが、壁などないので吹きっさらし。四季折々の風を存分に感じられる仕様となっている。


 橋を渡りながら下にある道路を見下ろしたが、やはり誰も通った痕跡がなかった。白い雪がどこまでも続いている。誰か通らないと、明日には凍ってしまうだろうな、とどうでもいいことに思いを馳せる。

 不気味なほどに静まり返った町の中、社畜二匹は雪原の上を渡る。感動的だ。泣いても良い。というか泣きたい。寒いのはあまり得意ではないのである。


 「車通ってないですねぇ」と寒さを紛らわすために話しかけたら、相手は「まぁ休日は稼働してませんからね、工場」と笑いながら答えた。当然だろうと言わんばかりだ。そりゃそうだが、会話に乗って欲しい。何しろ口と鼻が死にそうだ。


「自動ドアが使えないから、一度一階に降りましょう」


 その人は私にそう言って、橋に併設された螺旋階段へと足を踏み入れた。

 さて問題です。道路ですら誰も通っていない状況で、吹きっさらしの橋に付けられた螺旋階段はどうなっているでしょうか。


 ゴスッと凄い音がして、続けて短い悲鳴が聞こえた。目の前にいた相手は、螺旋階段を綺麗に転落していき、私の前から消え去った。


 ここで止めればいいのに、私の中の天使が鎌首をもたげた。安否を確認しようと踏み出した足は、見事に階段を踏み外す。白い世界と灰色の空がグルッと回って、無様に滑落した。幸い、先に落ちた人より体格が小さかったので途中で止まったが、手摺にぶつけた鼻が痛い。


「淡島さん、大丈夫ですか?」


 先に落ちた人に心配されるという恥の上塗り。大丈夫です、と答えようとしたら、雪の上に赤いものが落ちた。

 鼻血だ。鼻血垂らすのなんて何年ぶりだろう。泣きそうになりながら顔を上げると、下から見ているその人も鼻血を出していた。


 雪の降る町、誰もいない中を社畜が二人、鼻血を出して立ち尽くす。どうしようもない虚しさの中、冷たいハンカチで鼻を拭った。

 まだ端末を一つも片付けていないのだから、嘆く暇などないのだ。どうせこの悲喜劇を見ている者はいない。

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