動きやすいとは

 喩え話。

 ものすごく複雑な寄木細工の箱があったとして、開き方がわからない。でも方法はいいからどうにかして開けろと言われたので、四苦八苦しながら開けて、手順書を書いて提出したら「これは後から調べた所、四十五手順かかるはず。このやり方だと四十四手順しかない。失敗。やり直し。何手順か確認しないお前が悪い」と言われた場合、どう思うだろうか。「それは私の責任なのか?」って首を傾げたくならないだろうか。


 現在進行形でそんなことをしているので、私としては毎日「寝ながら小指をタンスの角にぶつけろ」と呪詛を垂れ流したい所存である。確かに手順は足らないけど、後から手順を出したのはそっちではないか。箱は開くんだからいいじゃないか。そう言いたいけど、そんなこと言い出したら子供である。

 大人はそれをオブラートに重ねて「こちらの確認に不備があり、申し訳ございません。本件の手順の提示時に既に箱が開いていたので、このような報告となりました」と相手の無能をチクチク責めるだけだ。


 最近そんなことばかりで、少し気分が滅入っている。冬は寒いし。

 気分転換に何処か別の病院に連れて行けとねだったら、家から徒歩十五分の場所を提示された。そういうことじゃない。私はどこか別の場所に行きたい。集合時間は朝の八時。うん、だからそういうことじゃない。


 端末の搬入を行うから、動きやすい格好で来るようにと言われた。以前は会社でジャージとか貸し出していたのだが、不況の煽りでそれが無くなって久しい。いくつかは残っているらしいが、男性用ばかりなので、私が着ると逆に動きにくい。


「運動できるような格好でもいいよ。新人君にもそう言ってるし」

「スーツじゃなくていいんですね」

「うん。お客さんもいないしね」


 翌日、ジーパンと黒いカットソーにパーカーという標準的な服装で病院に行った。パーカーがラベンダー色なのを突っ込まれたが、手持ちのもので地味なものを探したらこれだったのだから仕方ない。私の私服は半分以上が派手な色をしている。


「どれからやります?」

「新人君が来るから少し待って」


 広い部屋に所狭しと並んだ端末を、何処にどう運ぶか打ち合わせをしていると、元気な声と共に新人君が現れた。


「おはようございます!」

「……何それ?」

「え、動きやすい服装ですけど」


 新人君はピッチリとした長袖ハイネックにショートパンツとレギンスを身に着けていた。

 いや、確かに動きやすいけど、それはジョギング用の服装では?

 部屋の中にいた面々も、まさかの格好に目を疑っている。


 動きやすいし、長袖にレギンスだから怪我をする心配もない。この寒い時期、どうしても着膨れして静電気が発しやすくなることを考えると、彼の格好は効率的とも言える。それに全身黒で統一しているから、私の格好より引き締まって見える。

 だが、我々にはその発想がなかったし、それを思いついたとしても実行に移す気力はないだろう。


「……じゃあ始めましょうか」


 皆似たような表情で頷く。ジャージやトレーナー、パーカースタイル。まるで休日のパチ屋の客みたいな面子の中に、一人だけランナーがいる。拭い切れない違和感の中、新人君は満面の笑顔だった。こういう常識を覆してくる存在というのも時には必要である。

 なお作業は三時間で終わったが、ランナーは歩いて電車に乗って帰っていった。

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