記憶の失踪

 一週間のうちに色々な場所に行っていると、ふとした瞬間に「あれ? この記憶はいつのだっけ?」となることがある。

 要するに、電車に乗った記憶はあるのだが、それがいつ何処に行った時のものか判然としないのである。

 何しろ「午前中は千葉、午後は東京、夜は埼玉でお願いします」みたいな日が何日もパターンを変えて続くような仕事だ。毎日乗る路線も、使う時間もバラバラで、逐一記憶なんかしていられない。それでも乗っている時に考えたことなどは記憶に残っているので余計に混乱の元だ。記憶領域の割り振りを間違えている気がする。


 つい最近のこと、家でぼんやりしている時に不意に、ある電車に乗っていた時のことを思い出した。どこか遠くに行った帰り道に電車を調べたらなんと二時間ほどの道のりを乗り換えなしでいける電車があることを知り、大いに感激したのである。「いつの間にこんなに路線が伸びたんだろう」とか「乗り換えありと比較して二十分の違いなら、乗り換えゼロの方がいいや」と思った。それは覚えている。しっかりと覚えている。

 なのにそれがいつの記憶かわからない。

 滅多に外に出ない人ならすぐにわかるだろうが、私の場合はそうもいかない。頭の中に「最近行った病院一覧」をリストアップしてみるも、早速二つぐらい忘れている始末。悲しい。


 A病院には昨日行ったけど、乗り換えをした。B病院は毎回同じルートで行っているから違う。C病院は数駅先だから除外……。などと考えこむと止まらない。止めてもいいけど気になって仕方ない。

 これも脳のトレーニングだ、と本末転倒なことを考えながら五分。漸く当たりを引き当てる。場所も距離も間違いない。


 そうだ、月曜日に急に「縁もゆかりもない」「超複雑で炎上なう」「担当者が行方不明」の病院に車で連行されて、帰りに適当な駅で降ろされた時だ!

 どこだよ、この駅! と思いながら乗換案内で調べたら最寄り駅まで一本で行けることが判明して内心ガッツポーズを決めたんだった!


 ……そんな結構な状況を忘れてしまう自分が恐ろしい。

 多分、あまりの暑さと面倒臭さで記憶に蓋をしてしまったのだろう。開けなきゃよかった。報告書まだ書いていないのを思い出してしまった。


 常に色々忘れながら生きている。そのうちこのエッセイにも、前に書いたものをもう一度書いてしまうかもしれないが、その時は笑顔で見守ってほしい。


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