水柱とマンホール

 マンホールの蓋は重い。持ち上げたことはないが、重いのは想像がつく。

 それが目の前で二メートル飛び跳ねたのを見たことがある。


 ある豪雨の日だった。社畜に天候など関係ないので、ある病院で作業をしていた。その病院は、サーバ室のある建物が本体側から少し離れた場所にある構造をしていた。病院本体の方に移動するには、一度外に出ないといけない。

 作業中にサーバ室の内線が鳴った。他に誰もいないので取ってみると、一人の先生からだった。「ちょっとシステムで確認したいことがあるので来て欲しい」と言う。

 わかりました、はい喜んでー! と電話を切った私は、サーバ室から出て外へ向かった。地下にある部屋から、階段を使って地上へ。その時点で雨による轟音が中まで響いていた。

 建物の出入り口はロータリーと直結していて、車が何台か徐行している。車を誘導する警備員の人は全身ズブ濡れで、車を運転している人々も、ハンドルに齧りつくような姿勢でフロントガラスから外を見ているような状態だった。足元は水が勢い良く流れ、あっという間に履いている靴に染みこんでいく。


 困ったな、と思いながら傘を広げた次の瞬間、突風が吹いた。朝買ったばかりのビニール傘は、全身骨折してゴミと化した。

 想定の範囲内だ、と大嘘を心の中で呟きながら、傘をとりあえず折り砕く。現在地点から目的地までは二十メートル。走ればどうにかなるかもしれない。どうにかならなくても、行くしかない。


 意を決して踏み出した私の目に飛び込んできたのは、ロータリーに突然そびえ立った水柱だった。跳ねる雨、流れる水。全てがスローモーションに見えた。

 豪雨による増水により下水管が限界を迎えたのだろう。重いマンホールを高々と持ち上げて、水柱は私のわずか一メートル先にあった。


 あ、死んだ。


 そう思った私だったが、想像に反してマンホールはゆっくりと地面に落ちた。

 そしてコロコロと少しだけ移動して、その場に倒れた。私も倒れそうだった。

 警備員が何が起きたか気付いて、慌ててカラーコーンを持って走ってきた。そんなに急ぐと転びますよ、なんて思いながら、平常心を取り戻す。

 呆然としていた時間で既にズブ濡れになっていたので、仕方なくそのまま目的地へ向かった。


 十分後、折れた傘を持ってズブ濡れになった私を見て、窓のない部屋にいた先生は呆れたように呟いた。


「……別に、後でも良かったのに」


 それ以来、台風や雪の際には「ちょっと遅れるかもしれません」と素直に言うことにした。マンホールの蓋が頭に直撃して死ぬ末路は御免である。

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