涼しい部屋

 こう連日暑いと、全てのことがどうでも良くなってくる。外に出る用事が少ないのが唯一の救いだ。

 真夏の仕事は意外と少ないのだが、偶に大掛かりな仕事があって、連日炎天下に身体を投げ出すようにして現場に向かうことがある。


 暑いと化粧が剥げるが、基本的に私は化粧直しというものをしない。朝やった化粧をそのまま、一発勝負である。ポーチを持ち歩くぐらいなら煙草を持ち歩くタイプの女子力ゼロ人間だから仕方がない。むしろ化粧をするだけ褒めて欲しい。

 そんなわけで、夏場に外に出ると眉毛が半分ほど消失する。眉頭が薄い、ボヤけた柴犬みたいな眉がばっちり人目に晒される。だがそんなことに恥じらいを覚えるぐらいなら、もっと華やかな服を身に着けている。


 ある真夏の日。どうしても仕事が終わらないので休日に現場に向かった。

 最寄りの駅を降りて徒歩十五分。バスもタクシーもないので、汗を流しながら歩く。すれ違う人などいない。皆、こんな時に外を歩くのは馬鹿げていると思っているのだろう。

 現場に着くと、既に私の化粧は全て落ちていた。でも構わない。気にする人などいない。

 作業部屋へ入ると、誰かの荷物だけがぽつんと置いてあった。マネージャーの荷物だ。だが、どこにも姿はない。冷房だけが爽やかに部屋を冷やしている。

 まぁ用でも足しに行ってるのだろう、と思って、自分の作業を始めてから三十分後。誰かが部屋にやってきた。


「マネージャーさんはいらっしゃいますか?」


 通信テストの約束をしているというその人は、既に待ち合わせ場所で十分待っていたが、来る様子もないのでこちらまで来たという。どこで待っていたのか、頭から大粒の汗を流していた。

 平謝りして慌てて探しに行こうと外に出ると、吐き気がするほどの暑さが襲ってきた。

 そういえばマネージャーも暑いの苦手だったなぁ、と思いながら廊下を進んでいると、私の視界にあるものが映った。他の部屋とは違う、鉄製の無骨な扉には「用具室」を書かれている。確か地下室になっているはずだ。

 数カ月前に入ったが、小学校時代の体育倉庫を感じるような作りで、石灰くさくて薄暗くて……涼しい。


 いや、まさかね。

 そりゃ作業室からお手洗いの間に位置しているけど、まさかね。


 そう思いながらも扉に手を掛ける。重い扉を開くと、コンクリの階段が下に伸びていて、そしてその一番下でマネージャーがぼんやり座っていた。

 声をかけると、なんだかものすごく驚いたような顔で立ち上がって、慌てて駆け登ってきた。


「どうしたんですか?」

「気付いたら中にいたんだよ。ここ、内側から開かない仕組みでさ」

「気付いたらって、そんなわけないでしょう。いつからいたんですか?」

「昨日から」


 昨日?

 昨日、そういえば「もう少しやってく」と言って一人だけ残っていたなぁ、と思いつつ、人に見られるとまずいので扉を閉めた。


「帰ってないんですか?」


 マネージャーは大きく頷いた。

 遅くまで作業をしていたために冷房が止まってしまい、少しでも涼しい場所に行こうと思って部屋を出たらしい。そして気付いたら、あの部屋に入っていたという。

 物凄く石灰臭のするマネージャーを前にして、私は横目で用具室を見る。


 そんなに涼しいのか。

 一晩過ごせてしまうぐらい快適なのか。

 気になる。とても気になる。


 だが入ったら多分出てこれなくなる。此処はマネージャーの弱みを握って、「黙っておきますから〜」とアイスでもねだった方が効果的だと思い、扉に背を向けた。

 危ない。先に冷房の効いた部屋に入ってなかったら、私も誘惑に負けるところだった。

 暑さは人を狂わせる。骨まで溶けるようなテキーラみたいな何かである。

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