存在しない病院

 この世に存在しない病院に、この世に存在しないバスで行った。

 なんて書くとオカルトチックだ。高校時代に心霊スポットで肝試ししたら、後々まで忘れられない恐怖体験をしたこととか、大学時代に闇に向けて意味もなく写真を撮ったら女の顔が映りこんだこととか思い出すが、今回はノーゴーストなので警戒しないで頂きたい。


 この世に存在しない、というのはデータ上の話である。要するに新設病院だ。

 目下建築中の病院は、まだ正式な建築物でもなければ営業しているわけでもないので、この世にまだ「病院」としては存在しない。


 そして病院に付き物なのがバスである。大抵の病院はバス停を伴っている。

 実家の近くの病院の前にあるバス停の時刻表は「朝の七時」「夕方六時」の二本しか書かれていないけど、あれも一応は病院のバスである。


 新しい病院が出来るとバスのルートが増えることがある。公共機関なので、こちらは病院の開設よりも早めに切り替わることが多い。

 そのバスの存在が、オンラインの乗換案内サイトに反映されるのには、若干のタイムラグがある。だからその間、そのバスはネットで調べても出てこない。なので存在しないように見える。


 この存在しない病院とバスが、偶に面倒なことを引き起こす。

 ある日、その病院に向かうためにバスに乗ったら、昼食の直後だったためか見事なまでの爆睡を決めてしまった。窓から差し込む柔らかな光。適度な車内温度。バス独特の振動。胃の中にはハンバーガーとコーラ。寝ないわけがない。

 何分寝たやら、ふと目を覚ました時には車内に誰もいなかった。寝ぼけていた私は焦ってしまい、その次のバス停で降りてしまった。「稲荷前」と書かれたバス停は錆び付いていて、傍に置かれたベンチなんだか木の板の寄せ集めなんだかわからない物も、腰を下ろしたら壊れそうだった。

 周囲を見回しても何もない。


 困った。此処は何処だ。


 そもそも目的地である病院だって、今日が二度目。周囲の地理には全く詳しくない。

 方向音痴ではないが、知らない土地ではそんなもの役に立たない。

 携帯電話を取り出してみると、どうやらバスに乗ってから三十分ほど経過しているようだった。目的地は十五分ほどだったから、倍ぐらいの時間乗っていたことになる。

 バスの運行表を調べてみようとしても、バス会社の名前がわからない。錆びたバス停は目を凝らせば「会社」という文字は見えるが、肝心の前半が読めない。


 そうだ、降りた駅は覚えているから、駅の名前と目的地を入れて調べてみよう。

 そう考えた私は、一分後に絶望することになる。まだ新しいバス停がネット上に反映されていなかった。何度調べても「もしかしてXXではありませんか?」と余計なお世話なメッセージが表示されるだけ。「稲荷前」というバス停の名前を打ち込んで見ても、大量にヒットして探せない。流石は神道の国である。


 困った挙句にGPSを起動したが、緑色の森の中心に赤いピンが突き刺さっただけだった。頑張って画面を操作して元の駅を探そうとしたが、上下左右どちらに進めばいいのかわからずに、無駄な動作を何度も繰り返した。


 もう仕方ない。意を決して私は電話を掛ける。

 数度のコールの後で、病院に先に着いていた人が出た。


「どうしたんですか?」

「寝過ごして山の中にいます」


 爆笑が私の耳をつんざいた。

 今日がただの現地作業だったのが幸いだった。これが打ち合わせの日だったら、私はこのまま森の中をさまよい歩いていたかもしれない。

 恥を偲んで、バス会社の名前を聞いたら、あっさりと教えてくれた。持つべきは記憶力の良い仕事仲間である。


 バス会社に連絡をして、次のバスの時間を聞くことに成功した私は、電話を切ると清々しく息を吐いた。

 そうか、次は三十分後か。しかも別のルートになっちゃうのか。

 ……歩こう。


 翌日、酷い筋肉痛に見舞われた。


 後日、会社に提出した交通費請求が却下されて戻ってきた。

 行き先の病院も、それに使ったバスも存在しないから「お前のでっちあげだろう」みたいなコメントがオブラート二枚重ねで書いてあった。大変苛立ちながら、経理の元へ駆けていったのは別の話である。

 存在しない場所には、オカルトでなくとも注意したほうがいい。

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