Cry! Cry?

 こんなエッセイが皆様の日々の潤いになれば幸いである。

 ゴールデンウィークも仕事を入れられたので、応援やレビューをしてくださった方に感謝の意も伝えられない無作法を許して欲しい。


 数年前、「ストレスで叫ぶ」だったか、「ストレス解消に叫ぶ」だったか忘れたが、そんな表現がネットで流行した。気持ちはわかる。憎しみも惰性も倦怠感も全て封じ込めて叫んだら、何だかスッキリ出来るのではないか、と想像はつく。


 私だって叫びたい。

 遺跡みたいなサーバからやっと掘り出した昔の仕様書が、全く使い物にならないものだった時とか、折角設置した端末を別の場所に置くように言われた時とか、トイレで用を足してるのに電話がずっと鳴ってる午前四時とか、叫びたいポイントは沢山ある。


 しかし、叫ぶにも準備がいる。

 まさか、電車の中で奇声を発する訳には行かない。流石にお茶目がすぎる。これでも茶道の心得はある、珈琲大好きSEだ。最低限の礼儀は守りたい。

 かといって家で叫んでも、隣近所の迷惑になる。世の中、思いやりが大事だ。というか逆の立場で考えて、隣の部屋から叫び声が聴こえたらすごく気になる。断末魔とかだったら嫌だなって思う。


 それならばカラオケに行ってシャウトするか。いやダメだ。わざわざ部屋を借りたり、そのために多少の身支度を整えている間に叫びたい気持ちが消える。代わりに泣きながら「吾亦紅われもこう」とかは歌うかもしれないが、それは当初の目的ではない。

 あくまで突発的に、衝動のまま叫びたい(少なくともそんな風にやりたい)。


 一番理想的なのは、誰もいない駅かなと思っている。適度な静寂。大きな柱。その柱の陰で一言叫ぶ。

 きっと誰にも見られないし、聞かれたとしても酔っ払いの雄叫びで済まされるだろう。あるいはそこが終着駅とかでなければ、電車の音に紛れるかもしれない。


 しかしそんな好条件の駅はなかなか巡り会えない。

 偶に出くわす時は「終電間近まで働いた後の、特に親しみもない駅」である。叫べない。もっと身近な駅が良い。ここで叫んでいたら、なんというか遭難者の気分である。

 せめて叫ぶなら後ぐされ無く、一つの躊躇もなく行いたい。そうしないと、なんか遺恨が残る気がするのである。「あの時、物陰にいたお婆さんに気づいていればなー」とか「叫んだことにより電車に乗り遅れるとはねー」とかならないとも限らないからだ。


 そんな訳で、叫びたいのを抑えながら日々の業務をこなしている。

 最近、スムーズに叫べる駅が見つからないことが別のストレスとなってきたので、そろそろ違うストレス解消法を考えたい。

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