第五話 クビへと至るヒント
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6月23日 07:38 〔大部屋(男性用)〕
鼻先にぶら下げられた光明。けれど、ぬいぐるみの用意したクビへ迫るためのヒントに追い詰められたのは、クビではなく僕自身であった。
鞄から出てきたマコの写真を手に、僕の額には汗が浮かぶ。
「この写真、ポリス君の言っていたヒントと無関係ということはないだろう。テイシ。お前はこの写真をどう読み解く」
注がれる視線に表情がこわばる。挑発的なカタメの眼光。ジンケン、コロの目は疑いを孕み、床に座して控えているマモルもこちらへ視線を送っているがその表情から感情は読み取れない。
僕の手に握られているマコの写真。写真に映るマコは僕らが疎遠となる以前の姿であり、十年以上前に撮られたものなのだろう。どこかの公園、ブランコの前で笑顔を浮かべるマコは、現在と印象は変わっていない。
クビ特定のヒントがマコの写真だとは何の冗談だろうか。これでは、マコがクビだと言っているような物じゃないか……いや、ぬいぐるみの狙いはこれか? ぬいぐるみは僕らをはめようとしているのか。
「冗談じゃない。マコはクビじゃない! こんな写真に何の意味があるって言うんだ!」
僕の口をついて出る叫び。コロが視界の端で身をすくませるがそんなものに構っていられる余裕はない。ただでさえ今はマコが疑われている状況なんだ。続く極限状態に、これ以上マコへ疑いがかかる要素が重なれば、クビを排除しようと強硬手段に出る者が出ないとも限らない。
そんなこと、僕が許さない。噛みしめる奥歯がギシリと嫌な音を立てる。
「テイシ、先走るな。少し落ち着け」
「どうしてこの状況で落ち着いていられるって言うんだよ。荷物の中にクビ特定のヒントがあると言われマコの写真が出てきた。こんなのぬいぐるみの、クビの仕掛けた罠に決まっている」
勢いに任せ壁を叩いた手が痛む。こんな間違った手掛かりでマコを危険にさらしてたまるか! 反論の声には熱気が帯びていく。
「勘違いするな、テイシ。俺はこの写真がマコがクビであることを示しているとは思ってはいない」
「こんな証拠に意味なんてない! だからマコはクビなんかじゃな……えっ?」
言葉が詰まる。カタメは今、何と言った? 思考が言葉に追い付かず静止する僕の前へとカタメが一枚の紙を差し出す。
「これは?」
「写真だ。俺の鞄にも入っていたんだ。父と共に写ったものが一枚な」
差し出されたカタメの手に握られていたのは一枚の写真。
隔世高校。校名が書かれた門の前でピースサインを作るカタメの横には大柄な男性が写っている。立てかけられた看板には入学式の文字が。
「これは俺が高校に入学するときの記念写真だ。どこかにしまってあったのをクビが引っ張り出してきたのだろう。これを見た時は何かのいたずらかとも考えたが、写真がもう一枚別に出てきたというのなら話は別だ。これらの写真がポリス君の言っていたヒントに関わると考えるのが自然だろう」
カタメの言葉に僕は張っていた緊張の糸が緩むのを感じる。
「そして、写真が入っていたのが二人の鞄だけというのもおかしな話だ。他に荷物の中に写真が入っていた者はいないか?」
「おう。そういえば俺もばあちゃんと写った写真が鞄に入ってたな」
「ぼ、僕も母親との写真が」
「私も同じですね。ただ私の物は私自身しか映っていませんが」
カタメの問いかけに残る男性陣全員から声が上がる。
写真が、五枚? これは一体どういうことなのだろう。男性側全員の荷物に写真が入っていたのだ。つまりはマコの映った写真一枚を特別視する必要はないということ。これで、写真からマコが疑われる心配は消えたとみていいだろう。僕は安堵を感じ、息を吐く。
とは言え問題が解決したわけではない。なにせ今、一番の容疑者として挙がっているのがマコなのだ。クビが他にいることを証明できなければ、マコへの疑いが晴れることは無いのだ。僕は唇を強く結ぶと気持ちを切り替える。
「五人全員の荷物から写真が出てきたわけだ。これでポリス君の言うヒントに写真が関わっているという推測は正しいとみていいだろう。一度写真を持ち寄るぞ。何かメッセージが隠されているかもしれない」
カタメの号令で皆が自身の荷物の中から写真を抜き出す。五枚の写真を囲むように僕らは部屋の中央へと集まる。
「写真にはそれぞれ一人から二人の人物が写っていますね」
「ああ。写真に写った人物に共通点があるのか、写真から得られる情報を組み合わせればメッセージとなるのか。まずは映っている人物や背景の情報を共有すべきだろう」
カタメの発案に皆が頷く。僕は自身の手に握られているマコの写真を改めて見返す。
どこかの公園、遊ぶ人の居ない滑り台の前。マコは写真の中で両手を挙げていつもの無邪気な笑顔を見せている。身に着ける赤のワンピースを見ればあちこちに泥跳ねがついていた。
そういえばこの滑り台は見覚えがあるな。小学校時分によくマコと遊びに行っていた近所の公園、たしか『なかよし遊園』だったか。
「まず俺がこの写真に関して分かっている情報から話すぞ。俺の写真に写っているのは高校入学時の俺と、俺の父の姿だ。場所は
カタメの声に僕は顔を上げる。カタメが示す写真。普段、冷たい表情が目立つカタメだが、写真の中のカタメは朗らかな笑顔を浮かべている。隣に立つカタメの父は大柄な人物であった。おそらく百八十㎝はあるであろう身長に、着ている紺色のスーツの上からでも分かる盛り上がった胸板。表情は体格に反し柔和であり、優しい笑顔を浮かべている。
「俺が今二十六だからこれが撮られたのは十年ほど前の事だ。俺自身がこの写真の存在を忘れていたぐらいだからおそらくだが収納の奥深くにしまってあったのをクビが引っ張り出してきたのだろう」
「おめえの父親、警察なのかよ。そのせいか、固いしゃべり方をするのは」
「人の話は良く聞く物だ。自己紹介の時に父のことは話している……それに、父の職業と俺の話し方は関係ないだろう」
カタメの雰囲気が一瞬、険のある物に変わる。もとからきつい物言いであるカタメだが、今の話し方は通常のそれと比べ違和感があった。ジンケンの物言いの中に何か気に障る言葉があったのだろうか。そういえば、事件調査の時にも一度、急に感情任せに怒鳴る場面があったような気がするが……まあ、今は写真に隠されたヒントの解明が先だろう。
「次は、私がいきましょうか」
カタメの右隣りにいるマモルが声を発する。この様子だと反時計回りに各々が説明していくことになりそうだ。僕はカタメの左隣、つまり順番は最後ということになる。
「私の写真には私自身しか映っていません。背景に映っているのは私が勤めている稲穂銀行、その玄関口ですね」
スーツ姿のマモルの背景に映る灰白色の建物。稲穂銀行と言えば規模が国内三位のメガバンクである。銀行員という時点で優秀な人なのではと考えてはいたが、そんな大手に勤めていたのか。僕たちの視線に気づいたのだろうか。マモルは固い笑顔を浮かべて頭を掻く。
「大手銀行と言っても、所詮ただの平社員。出世とは縁遠い部署の配属ですよ」
「だとしても入社できるだけすごいじゃないですか。僕なんて今は無職ですからね」
「ははは。本当にそんなに大したものではありませんよ。私の事よりこの写真についてですよね。この写真に写っているのは私が以前勤めていた支部ですね。九年前までここで働いていましたよ」
僕の言葉に謙遜するマモルは頬を掻き、笑みを見せる。写真の場所を聞けば都内ということだ。マコが写っている公園とも、カタメの背景に映る高校ともだいぶ場所が離れている。地域は関係ないとみていいだろう。
「じゃあ次は俺だな。俺のは、ばあちゃんと一緒に映ってるぜ。背後に映ってんのはうちのばあちゃんが営んでいる民宿だな。毎年遊びに行っているからいつ撮った写真かまでは分かんねえけど俺の見た目からして五から十年ぐらい前になんのかなあ」
ジンケンは腕を組みながら頭をひねっている。ジンケンと共に写真に写るのは人の好さそうな笑みを浮かべる老齢の女性だった。年齢は六十代だろうか。顔は皺が目立つが背筋はピンとしており、現役で働いているのだろうことがうかがえる。
「五から十年だと? ずいぶんいい加減だな」
「仕方ねえだろ。写真なんて記念日でもなけりゃいつ撮ったかなんて分かんねえもんだろ。ああ! そうだ。そういえば民宿は少し前に建て替えたんだったな。あれが十一、いや十二年前だったか。この写真に写っているのは建て替えた後の奴だから少なくとも十二年前よりは最近に撮られた写真だぜ」
ジンケンは満足そうに説明を終える。確かに言われてみれば背景の建物は外壁にくすみが無く新しい建物であるようだ。木目を活かした外壁には傷一つ見当たらず、富永と書かれた石造りの表札も磨き上げられたように光沢を帯びている。そう思いながら改めて写真を見返した俺は、ジンケンの写真に違和感を見る。ジンケンのおばあさんの顔、どこかで見たことがある気がするんだけど。
「ジンケンさんのおばあさんって、有名人だったりしませんか?」
「はあ? いいや。テレビにも出たことねえし、民宿も地元民が使うような質素な作りの物だからな。取材も受けたことがねえ。さすがに俺が生まれる前のことは知らねえけどそんな有名だったなんて話は聞いたことねえよ」
「そう、ですか」
ジンケンのぶっきらぼうな物言い。言外に僕の勘違いだとほのめかすジンケンの言葉に僕は頷かざるを得ない。うーん、本当にどこかで見た気がするんだけど、気のせいなんだろうか。
「じゃ、じゃあ次は僕で、いいですよね?」
どもりながら発言を始めるコロにより僕の思考は中断される。
「ぼ、僕の写真はお母さんと撮ったものです。自己紹介の時、僕、林業に従事していると言いましたがこ、この背景に写っている山は僕が普段仕事をしている山の内の一つです。これは今の会社に就社したときの写真で、け、結構老けて見えますが僕、中学を卒業してそのまま就職したんでこれは十五歳の時の写真です」
写真に写るコロは少し大きめの作業着姿でぎこちない笑顔を浮かべ母親と腕を組んでいる。身長はこの写真の時点で百八十cmぐらいあるのだろうか。隣の母親と比べ頭一つ分ほど高い。背景には若芽が茂る木々が山肌を覆っている。
「では最後に僕ですね。僕の写真に写っているのはマコの姿です。背景に写っている滑り台は僕の家の近くにあるなかよし遊園という公園のものですね」
「テイシ。お前の写真だけお前自身が写っていないが」
「クビが用意した写真の文句を言われても……」
僕はカタメの言葉に対しあいまいに頷く。これで全ての写真が出そろったわけだが。
「高校に、銀行。民宿に、山に、公園。共通点は見出せんな」
「写っている方の続柄も父親に、母親に、祖母に幼馴染。家族という縛りでもありませんし、考えるとっかかりにはならないかもしれませんね」
改めて情報を思い返した僕らの表情は暗い。場所も、写っている人物もバラバラ。どれも結構前に撮られた写真であるという点で共通はするが、年単位で時期のばらつきがある。
「この写真を見て何か思い当たる方はいらっしゃいませんか?」
マモルが辺りを見渡すが返事は無い。この写真に隠された共通点とは、いったい何なんだろう。
「どうやら心当たりがある者はいないようだな。もちろんクビを除いての話だが」
十分ほど考えたところでカタメが声を発する。
「情報が不足している可能性がある。女性陣の方にも俺達同様、荷物に写真が含まれている公算は高い。一度写真を持って合流するのがよいだろう。何を検討するにしても全員で情報を共有した方がいい」
妙案が浮かばない僕らはカタメの言葉に頷いた。
写真を見た時にいくつか違和感は覚えた。僕の写真だけ僕自身が写っていないこと、マモルの写真には他の人物が写っていないこと、ジンケンの祖母に感じた既視感、どれもが古い写真であること。けれどもそれが何に繋がっているのか。僕は道中そのことを考え続けるが結論は見えない。
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