第三十話 ????エピローグ
“黒日テイシ”
人差し指を離すと、僕の名前の書かれたボタンは何事もなかったかのように元に戻る。
自分の犯した愚行、その事実に気付いた僕は愕然と、ボタンを押した指先を見つめていた。
『あひゃひゃひゃひゃ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! こいつは傑作。傑作でありますな! ここに来てテイシ君、まさかの自白でありますか? 自分がクビだと! ウツミさんを殺したのが自分だと! そう、皆に申告するつもりでありますか!?』
「……」
クビが誰か。
その問いに対する回答を示す投票ボタン。僕が押したのは、自分の名前が書かれたボタンだった。
『あひゃひゃひゃひゃ。分かる。分かる。分かるでありますよ、テイシ君! もうすでにヨイトさんが死ぬことは決まっているのだから自分がわざわざ押さなくてもいいじゃないか。そうやってそのちんけな罪悪感を減らすために、そのためだけにヨイトさんの名前とは違うボタンを押したのでありますよな! そしてそして、他の参加者の名前を押すのは躊躇われるから自分の名前の書かれた投票ボタンを押した。あひゃひゃ。見上げた根性でありますな。それでマコさんを守る? とんだお笑い種のぺんぺん草でありますよ! 自分が傷つく覚悟もなく人を糾弾するとは』
「やめてください!」
『あひゃひゃ、マコさん。割り込んで来たところ申し訳ないでありますがやめないでありますよ。血しぶき飛び散る最後には、
「……」
ぬいぐるみの言。降りかかる言葉のすべてが僕の心へと突き刺さっていく。
選択から逃げた。ぬいぐるみの煽りに恐怖を覚えた僕がとった行動はあまりにも幼稚で、浴びせられる罵倒に僕は返す言葉を持たない。マコと、みんなと紡いだ議論の結果を裏切る愚行。僕はどうしてこうも成長できずにいるんだ。
あきらめないと決めたじゃないか。自分を信じると決めたじゃないか。
逃げ出したという負い目が、皆との議論結果を裏切ったという十字架が。僕の首を締めあげていく。
『あひゃひゃ。さすがのテイシ君もグロッキー状態でありますね。では、そろそろメインディッシュをいただくでありますかな、ってヨイトさん! さっきから部屋の隅で押し黙って、告別式でありますか!? あひゃひゃ。そういえば今からヨイトさん自身のが開かれるのでありましたな。葬式でもなんでも新鮮なうちに執り行うのが吉でありますよね!』
「ウチじゃ、ねぇ、ウチじゃ」
クビだと糾弾され、処刑を待つ身となったヨイト。虚空を見つめる彼女の瞳は揺らいでいる。口から出る音は声の形を取ってはいるが、その実本人も何を言っているのかわかっていないのではないだろうか。僕が追い詰めたクビ。だが果たしてこの姿は本当に演技なのだろうか。それとも……
『ヨイトさん、ノリが悪いのでありますよ。今から殺されるのでありますからもっとこう、わああああああ、とか、きゃあああああああ、とか分かりやすい反応を期待していたのでありますのに』
「う、うう……」
ぬいぐるみの狂気が場を支配していく。言葉で汚染された空気は心臓を締めあげ、僕らの呼吸を乱す。標的となったヨイトはすでに虫の息。吐き出される音はもはや言葉の呈もなしていない。
『もう! いいのであります。役者が不調な時にも最高を演出するのが本物の主催者というもの。こちらはこちらでシナリオを進めさせてもらうのでありますよ』
「ポリス君、もうやめてください! どうして人の命を、人の生き死にをそんな風に語れるんですか!?」
『本官はAIなのでありますよ。人道にもとるも何も、本官人間じゃないでありますからな。機械に人間同様の倫理観を求めるとか、流石の本官もそこまでハイスペックじゃないのであります』
マコの訴えも取りつく島も無いぬいぐるみの主張を前にしては、上滑りするのみ。言葉でぬいぐるみは動かない。では、いったいどうすればいい。
疲れ切った身体、目の前で人が殺されようとしている現実、助けを求める幼馴染に、自身の負い目にとらわれた心。一時の激情は去り、もはや動く気力すら消え失せていて。
「テイシ。どうしよう、このままじゃ、ヨイトさんが」
「わからないよ。何が正しいのかなんて、どう行動すればいいかなんて、僕には、僕なんかには!」
マコのすがるような声を払いのけ、僕は声を荒げる。もはや壊れかけた僕の心は、マコからの期待ですら受け止められる容量を持ち合わせていないようであった。
拒絶のための拒否。これ以上、マコを、そして僕自身を傷つけないために僕の言葉はより強く、激しくなっていく。相手を突き飛ばすように、自分から遠ざけるように、すべてから逃げ出すように。
「テイシ。今動かなきゃ、きっと後悔する」
「でも、どうしようもないじゃないか! ヨイトはクビなんだ。人殺しが私刑にあうのを止める必要なんて、ないよ!」
「テイシっ」
悲痛を孕んだ声が詰まる。マコも限界なのだ。
常に先頭に立ち、正しさを訴え続け、自身もクビと疑われ、それでも声を張り続けてきた。とうに気力など絞りつくし、搾りかすを燃やしてなんとか進んできたのだ。これ以上、どうしてあらがい続けることができるだろうか。
「テイシ、やっぱりこんなこと。おかしいよ!」
けれども。何度叩かれようと、閉ざされようと。それでも、マコはやはりマコだった。彼女の目から、声からは光が消えない。
「もう処刑は止められない。じゃあ、この首輪を何とかできないかな?」
「それは無理、だよ。僕らじゃどうこうできる代物じゃないし、それに破壊防止機能や、器物損壊に対する罰則も」
「できない理由なんていらない。大事なのはどうすればできるかだよ! 水を掛けたり、衝撃を与えたりぐらいじゃ壊れなかった。でも、何か方法はないかな。機能が作動する前に停止させることができる方法が」
「そんなことできるわけが」
「そうだよ! 電気とかどうかな。クビがやったみたいにコンセントから漏電させて」
「やめてくれよ。もう終わったんだ。僕たちはもう、帰れるんだよ」
「硬い鉄板を首輪と首の間に挟む? 糊で刃物が出るところをふさいじゃう? ああ、もう。こうやって考えてるよりとにかくやってみるしか」
「やめろよ、マコ! やめてくれよ……」
つかんだマコの腕は細くて、どうしてそこまで力を出せるのか不思議になるほどで。疑問をぶつけるべく、行動を止めるべく顔を上げた僕の目はマコの真っすぐな瞳と重なる。
「やめないよ。テイシ」
変わらない笑顔。熱のこもった声。それを受けた僕は思うのだ。どうして君はそうまでして進み続けられるのだ、と。
「火事の時のテイシは、あきらめなかった。私を背負って外まで連れ出してくれた。私はそんなテイシの姿を知ってるから、絶望の中そんな背中に担がれた人の心を知っているから。だから私は、進みだすこの体を止められないんだ。私は知ってしまったから、人の頼もしさを、差し伸べられた手の温かさを!」
「そんな、僕は、そんなんじゃ」
今、僕がすべきこと。クビが確定した今、後僕らに待つのは外へ出るという希望だけだ。その際に出る敵役の不幸なんて考慮すべきではないはずだ。
自分たちに伸びてきた生還という蜘蛛の糸。この死と隣り合わせの状況で、どうして掴まずにいられるだろうか。
でも、マコは言うのだ。
後悔しないための選択をしろ、と。今、僕に出来ること。僕がすべきこと。僕は、ぼ――
『残念! タイムアーーーーーーーーップであります!』
「えっ?」
――ブチアッ
鉄が肉を切り、骨を穿つ音。
直後漂ってきたさびた鉄のようなにおいが僕の思考をぶち壊す。
*
6月22日 05:27 〔大広間〕
赤、赤、赤。
目の前に広がった赤。頭の中を駆け巡る赤。視界を、思考を埋め尽くす赤に僕は溺れた。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
僕の絶叫? 誰かの悲鳴?
塗りつぶされ、蹂躙された思考回路では、何かを判別できるはずもなく。ただ、僕は目の前に転がってきたヨイトだったものの首を見つめていた。
『あひゃひゃひゃひゃひゃーーーーーー! テイシ君、マコさん。貴様ら方、時間をかけすぎなのでありますよ。正義の味方の変身に指を咥えて待っていられるほど本官、デキタ悪役じゃないのであります。カップラーメンは2分も経たずに麺をつつき始める派でありますからな! 処刑後の貴様ら方の悲痛な表情を想像しただけで、悲しくて、悲しくて――本官、ついやってしまったのでありますよ! あひゃひゃひゃひゃ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ』
「そんな、こんなこと」
誰かの絶句。誰かの嗚咽。誰かが崩れ落ち、誰かが涙を流している。
それらの光景を眺める僕は、体一つ、表情一つ変えることもせず、ただ糸の切れた人形のごとく惨状を傍観していた。
マコが泣いている。何を? どうして? 湧いてくる疑問符の答え、それを僕の脳は拒絶する。
皆の視線。それは一点に注がれている。その焦点にあるものを僕の目は受け入れない。
ぬいぐるみの高笑い。聞こえてくる雑多な不快音に、僕の耳は機能を放棄する。
生臭い、胸が痛い。嗅覚も、痛覚もいらない。
『あひゃひゃひゃひゃ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。貴様ら方、地獄はまだまだこれからなのでありますよ!』
すべてを失った無為の世界で、ただただ僕の周りを時間だけが流れていった。
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