第二十九話 あたまうちデッドエンド
“僕” が見ている。
首から上だけになった僕の顔は地面に転がっている。目線だけをこちらに向けた、いつも鏡で見慣れるそれを前に、思わず手を伸ばす。顎の部分にやさしく手を添わせるようにしてゆっくりとそれを持ち上げる。
それの断面が赤く染まっていることに気付いた。
赤は徐々に広がっていく。あふれ出した赤はコップに付いた水滴のように一つにまとまりだし、首から流れ落ちる。一滴、二滴。
滴り落ちる赤は次第に切れ目なく、ついには流水のごとく一筋となる。その一筋が辺りの床を伝い、やがては一面となる。
空間に果ては無く、どこまでも続いているように思えたその地面は、いつの間にか赤に覆われており、僕の首からあふれ出すそれは水位を増し、ついには膝上まで上がってくる。
足を動かせば広がる波紋。動かした足に抵抗を感じながら進みだす。
相変わらず手に持った僕の顔は、その皮を赤で濡らしながら変わらずにこちらを見つめ続けている。
首だけでなく、口や鼻、目からも赤が流れ出す。血の涙。
うつろなその瞳を前に、首元へと手を触れてみると、そこには頭は無かった。
首だけとなった僕の顔は、やはり泣いていた。
*
6月22日 05:18 〔大部屋〕
自身の体に覆いかぶさる柔らかな感触が次第に鮮明となって行くのを感じた僕は、目を覚ます。布団をゆっくり体からはぎ取ると、目を開く。
状態を起こし、顔を上げれば見知った顔が。
「……マコ?」
そこにあった幼馴染の顔に僕は戸惑う。彼女の目にうっすら浮かぶ涙は僕の心を揺さぶる。
「テイシ、ごめん。ごめんね」
マコは僕の眠るベッドの隣で腰かけたまま、かすれた声で僕へ謝罪の言葉を述べる。謝る? 何を? どうして僕に?
寝起きの思考は思う様に論理を構築できず、僕の頭の中を行き場を失った疑問符だけが流れていく。
とにかく今の状況はまずい。マコが泣いているんだ、何とかしなければ。僕はマコへと手を伸ばしながら、掛ける言葉を探す。
「マコ、どうして、泣いてるんだ?」
「ごめん。ごめんね、テイシっ」
彼女の口から漏れるのは変わらず、謝罪の言葉。疑問は晴れず、疑問は尽きず。けれども働きだした僕の頭は次第に僕の体を現実へと引きずり戻していく。
そして思い起こされる眠る前の記憶。
――貴様ら方。投票先はどうやら決まったようでありますね!
心臓が跳ね上がる。
「マコ、ヨイトさんは、どうなった?」
「まだ、生きてるよ。けど」
僕の問いかけに、マコの返事は切れが悪い。状況が状況だ。回答に要領を得ないマコにいら立ちを感じた僕はベッドから足を降ろし、靴に足を通す。
部屋の扉を開ければそこは、先ほどまで議論を重ねてきた大広間だ。
僕は扉に手を掛けると、嫌な想像を振り払うべく一気に扉を押し開けた。
*
6月22日 05:19 〔大広間〕
『あひゃひゃ。テイシ君、ようやくお目覚めでありますか。皆待ちくたびれてしまったでありますよ』
ぬいぐるみの言葉に僕は返す元気もなく、辺りを黙って見回す。
僕に向けられる参加者の目線。そのどれもが生気を失っている。僕が眠らされた後、どうなったのか。その答えを探るべく部屋中に目を飛ばすと、部屋の隅。そこで俯く人物の姿で目が止まる。
「……ヨイトさん」
そこにあったのは力なく椅子に腰かけたたずむヨイトの姿。僕は、ゆっくりとそちらに向け足を運ぼうとし、止まる。
いったい今更、僕はどんな言葉をヨイトに掛けられるというんだ? 議論の結果、クビはヨイトであるということは確定しているんだ。仮に彼女が落ち込んでいるのだとしても、それは自業自得の結果という物だろう。僕は罪悪感を意識の端へと追いやる。
『あらら。テイシ君、ヨイトさんに声は掛けないのでありますか?』
「……」
頭では割り切っているはずの感情。けれども、心はそれに従ってはくれない。時間経過により重く沈んでいく心に僕は拳を握りしめる。
『あひゃひゃ。まあ、掛けられないでありましょうな。自分が糾弾したことで死にゆく人間に何と声を掛けられるでありますか』
「うるさい、黙れ」
僕の口からやっとこぼれ出た否定の言葉はけれども、ひどく力なく。眠らされる前に体を巡っていた熱量はすでに冷めてしまっている。あるのは、現状に対する恐怖心。それといまだ未分化で判然としないヨイトに対する感情のみ。
整理の付かない感情の奔流は僕の心をかき乱す。
『ああ、もうテイシ君。弱っていてもいい反応を見せてくれるでありますね。それでこそ虐めがいがあるというものでありますよ。でも、お忘れではないでありますか? 罪には罰を。テイシ君は投票への妨害行動をとったのでありますよ。当然おしおきが必要でありますよね?』
「はっ?」
僕への罰? 思いもかけないぬいぐるみの言葉にフリーズする思考。
罰はさっきの睡眠薬投与で済んだのではなかったのか?
『睡眠薬はあくまで対抗措置、罰とは別物でありますよ』
僕の思考に合わせるかのようなぬいぐるみの言。つまるところ、僕に待ち受けるのは……
「ポリス君。待ってください!」
『おお。やはりこうなるとしゃしゃり出てくるでありますよね、マコさん。本官、マンネリは嫌いでありますが、お約束は嫌いじゃないでありますよ!』
僕の身の危機を受け、声を上げるマコ。それをぬいぐるみはあざ笑っていく。
『けれども安心するでありますよ。本官、先ほども言ったでありますがただの罰で役者を減らしてしまうのは好みじゃないのであります』
「は?」
一体どういうことだ。浮かぶ疑問符の検討をする前にぬいぐるみは続ける。
『あひゃひゃ。本官が見たいのは人間の葛藤や、苦悩。悶え、苦しみ、叫び、憤る人間の心。そこから生まれる感情の爆発! それにはただ死んでもらうだけではつまらない、そう思うのでありますよ。なので本官、考えたのであります! テイシ君に、より魅力的な苦しみを与えるにはどうすればいいか』
『それは、テイシ君の手でヨイトさんを殺してもらうことであります!』
「なっ!?」
そんな、馬鹿な。ぬいぐるみのこの言には、名指しされた僕はもちろん。その対象であるヨイト、さらにはうなだれていた他の参加者も顔を上げざるを得なかった。
僕にヨイトを殺せというのか? 直接。そんなこと死んでもするわけが……
『もちろん本官はルールにうるさいAIであります。ルールには則って行うのでありますよ。まずは状況を掴めていないであろうテイシ君のためにこちらをご覧いただくのであります』
ぬいぐるみを映していたモニターの画面が切り替わる。
~~
最多得票者
灰島ヨイト 7票
未投票 1票
~~
モニターに映されたのは現在の投票結果と思わしき文字列。未投票の一票は僕のものだろう。わざわざ途中経過をモニターに表示する意味。冷汗が首元を伝っていく。
『あひゃひゃ。この意味するところ、分かるでありますかね。他の参加者の投票はテイシ君が寝ている間に、すでに終わっているのでありますよ。そして、残すところ最後の一票。その栄えある一票がテイシ君の物なのであります。ちなみに生存者九人に対し、表示されている総票が八票なのはヨイトさんが自分以外に入れたからなのであります』
再びモニター画面はぬいぐるみを映したものに切り替わる。ぬいぐるみの言。その言わんとするところを感じ取った僕には、けれどもそれに抵抗する手段もなく、ただぬいぐるみの語るに任せることしかできない。
『投票が終わった後に待っているもの、それはお楽しみの処刑フェーーーーーーズ! でありますよ。そしてそして、テイシ君に与える罰とは先ほども言ったようにヨイトさんを殺すこと! つまり、テイシ君が投票を終えた瞬間、ヨイトさんの首があら不思議。刎ね飛んじゃうという寸法でありますよ!』
ぬいぐるみは笑う。
僕が目覚めた時にマコが謝罪をしていたのはすでに投票を行ってしまったからだったのだろう。七票が入り、すでに確定したヨイトの処刑。そして、その死刑執行ボタンをぬいぐるみは僕に握らせてきたのだ。
僕がボタンを押せばその瞬間、ヨイトが死ぬ。けれども押さなければ投票を棄権したとされ僕まで殺されてしまう。
するべきことは明確だ。ボタンを押せば一人、押さなければ二人が死ぬこの状況。ボタンを押すことが正解、それは誰しもが分かることである。けれど。
『あひゃひゃ。いい表情をするでありますね。議論中は本官、思ったより出番が無かったでありますから、フラストレーションがたまっているのでありますよ。マコさんという姫を守るため戦ってきた騎士、テイシ君。その本願を遂げるためには、追い詰めた敵対者であるヨイトさんの首を跳ね飛ばさなければならないのであります。ハッピーエンドは赤く染まっていればいるほど、よく映えるもの。さあ、テイシ君。憎むべきクビと思しきヨイトさんを君の手で殺すのでありますよ!』
「そんなこと、できるわけが」
『あひゃひゃひゃひゃ。眠る前の威勢はどこへ行ってしまったのでありますか? 迷子になって戻るお家が分からないのなら本官が一緒にワンワン泣いてあげるのでありますよ! もう決まっている投票結果。そこから自分のせいじゃないと必死で目を逸らすとは何たる道化でありましょうか。テイシ君がボタンを押そうが押すまいが結末は変わらない。それなのにその選択を避けるというのは、あまりにもつまらない逃避でありますな。本官が見たいのはそんなものでは無いのでありますよ。自分の手で犯した罪。それを前にした時の人間の表情。それこそが本官の心のバイブ機能を震わせる、エクスタシーを感じさせてくれるのであります! さあ、さあ、さあ。テイシ君! 時間をかければかけるほどボタンを押す手は鈍るであります。押すときは一気に、本官からのワンポイントアドバイスでありますよ!』
「っ」
途方もない、どうしようもないぬいぐるみの言。けれども今の僕にはそれにあらがう手段も気力もなく、視線は知らず知らずのうちに投票ボタンを追い求めている。
確かに、今押さなければ、僕は……僕はっ!
「うああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「テイシっ」
僕がボタンを押すその刹那。マコの声が聞こえた気がした。
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