第二話 かおあわせマーダー

6月21日 11:32 〔大広間前 廊下〕


 目の前には大きな扉。僕――黒日テイシはその持ち手に手をかける。


 扉には巨大な女神の絵が刻まれている。

 右手には剣を提げ、左手には天秤を掲げた荘厳な姿。僕はその女神の名を知らない。

 伸ばした右手から伝わるひんやりとした感触。金色の持ち手から伝わる冷感は、今の熱を帯び動悸がする僕の体を冷やす。

 その感覚に押され、自身の緊張を打ち払うように握った持ち手に力を籠める。




 扉の先にいたのは九人の人間。

 年のころは学生と思わしき女性から、四十は超えているだろう背広姿の男性まで様々だ。服装も、相貌も皆がばらばらで、けれども一つだけ彼らの装いには共通点がある。それは皆が同様にぶっとい首輪をはめていることであった。そしてその特徴は自分にも当てはまっていることをようやく自覚する。

 首元に手をやると、そこには金属の質感を持った輪がはまっていた。


 僕が中に入ると先にいた九人全員が僕の方を振り返る。幾人かは、不審そうな目で。幾人かは、怯えた目で。そして、彼らは何も言葉を発することなく視線を僕から逸らす。その行動は僕よりも優先して警戒すべき対象があることを示すことに他ならなかった。


 ここには僕を除き九人の人間がいる。

 服装も、相貌も皆がばらばらで、けれども一つだけ彼らの行動には共通点がある。それは皆が同じ一点を見ていること。

 彼らの見つめる先。そこには一台のモニターが設置されていた。役所など公的施設の待合室に置かれているような何の変哲もないモニター。けれどもそこには、大の大人が真面目な顔で見つめるには似つかわしくない、いかにも子供向けに作られたような、犬のぬいぐるみが一体、口をパクパクさせ画面いっぱいに映されていた。


『ああ、黒日テイシ君。ようやく起きたでありますか! 本官、待ちくたびれたでありますよ』


 警察帽をかぶり、黒く細長い棒を持った犬のぬいぐるみ。おそらく童謡の犬のおまわりさんをモチーフにしているのだろう。そのぬいぐるみが僕の名前を呼ぶ。とはいえ当然ぬいぐるみが話しをするわけもない。

 その声は抑揚が無く、ぬいぐるみの口の動きとも全くかみ合っていない。モニターから流れてくるのは、ただの合成音声であった。


『そういえば、昨日テイシ君は会社の飲み会でありましたな。当然アルコールを摂取しているでありましょうし、睡眠薬が効きすぎたでありますかな?』


 僕の名前を知り、そして僕の昨日の行動を言い当てたぬいぐるみ。けれどももちろん、僕にぬいぐるみの知り合いはいない。現状の理解が追いつかない僕はぬいぐるみからの質問に返答できず、ただ、ぬいぐるみがしゃべるに任せてその言葉を聞くことしかできない。


『うう。テイシ君はつれないでありますなあ。それに貴様ら方の誰一人として本官に声をかけていただけない。これは本官、あまりにもさみしいでありますよ! ……ごほん。それはともかく、これで十人。役者はそろったでありますね。では改めて。貴様ら方、ようこそ! 遠路はるばるご足労頂きありがとうであります!』


 ぬいぐるみの右手が頭に添えられる。今の動作は敬礼に当たるのだろう。とはいえその行動を見せられても、本来のおまわりさんに抱くような尊敬や畏怖の念は無い。あるのはこの環境に対する恐怖だけだ。


 そして僕らはぬいぐるみの言葉に沈黙を貫いている。いや、何も発言できないでいるのだ。

 ぬいぐるみを裏で動かしているであろうから目を付けられたくない。それはこの場にいる者の共通認識であるのだろう。


 それゆえ、この状況を誰も理解していないにもかかわらず質問者は現れない。他の人の発言があるときならばまだしも、この状況で真っ先に質問をすれば姿を見せぬこの異常事態を作り出した犯人に目を付けられるのは明らかだからだ。

 とは言え、誘拐犯が流しているのであろう合成音声から話しかけられている以上、ずっと黙っているのも拙い。それもこの場の共通認識であるようだ。ゆえに集められた者の内何人かがチラチラと僕の方に視線を飛ばす。要するに今、ぬいぐるみから話しかけられている僕に、この状況を進展させるための捨て石になれということを目線で訴えているのだろう。誰がやるか、そんなこと。


『ぐはっ!? 無視でありますか? 無視でありますかあ!?』


「うるさい」


 ボソッ、という効果音が似合うような、くぐもった小さい声で誰かが発言をした。

 そちらを見た僕は、その声の主の顔を見て思わず絶句する。どうして、ここにいる?


 発言者である女性はその挙げた手の先を天井に向け真っすぐに掲げている。彼女が身にまとうのは色を抑えた赤色のワンピース。年齢は僕と同じ二十四。年齢の割に幼さの残るその表情は、けれども平時の温和な笑顔の似合うそれではなく、口元はきりっと締まり、彼女の意思の強さを象徴するような大きな瞳はモニターに鋭く向けられている。


『うん? 何でありますかな、赤富士マコさん』


「何って。それはこっちのセリフです。こんなふざけたことをしでかしておいてあなたは。何がしたいんですか?」


 ぬいぐるみの質問に僕の幼馴染――赤富士マコは吼える。

 僕を含めたマコ以外の面々には緊張が走る。犯人を激昂させかねないマコの言動に幾人かの厳しい目線が彼女に浴びせられる。中には恐怖のあまりか後ずさりをし、しりもちをついた男もいる。


 そんな中、僕は周りとは違う意味でショックを受けていた。

 彼女と最後に会ったのはいつだったか。もう会うことは無い、彼女に合わせる顔は無いと思っていた。現に、こんな特異な場でなければ僕は彼女の姿を認めた時点で、気まずさから逃げ出していたはずだ。

 けれど、今そうするわけにはいかない。そうしてはならないと僕は、はっきりと感じていた。


『むむむむむ。いきなり怒鳴りつけられるとは、本官。びっくりしたでありますよ!』


「ふざけないでください! それともこれがただの冗談だというのなら、私たちをすぐに開放してください」


 マコの声に徐々に熱気が加わっていく。これは、明らかにまずい。冷静さを失っているのなら止めなければ。僕は歯噛みする。


「マコ、やめてくれ」


 そして、気付いたら僕は声を出していた。


『あらら。今度はさっきまでだんまりを決め込んでいたテイシ君でありますか?』


「えっ、テイシ?」


 僕の名を呼ぶぬいぐるみ。そして、その名に反応し振り向くマコ。先ほどから僕は名前を呼ばれていたはずだが、気付いていなかったようだ。

 僕と彼女の目が合う。


「なんで。なんでテイシがここに?」


『あひゃひゃ。もしかしてこれ、感動の再会ってやつでありますか?』


「……」


 僕は目を細めマコを睨む。これ以上彼女を目立たせるわけにはいかない。犯人に対し発言をし、犯人の標的となるとしたら、それは僕の役目だ。


『あひゃひゃひゃひゃ。これは、なんというか、ドラマチックでありますなあ。本官は、ドラマを見るなら断然ミステリーやサスペンス派でありますが、恋愛ものも嫌いではないでありますよ。おっとっと。こんなやり取りをしているうちに時間を食ってしまったであります。貴様ら方とて自身の置かれた状況を把握していないのでは居心地が悪いでありましょう。よって親切な本官が貴様ら方の置かれている状況を説明するでありますよ』


「話を伸ばしていたのはあんただろう」


 マコは僕の姿を見て驚いたのか、犯人に向けていた熱量を忘れ固まってしまった。これでいい。マコが再び声を上げる前に、僕がなるべく注意を引き付ける。

 その結果、痛い目を見るのが僕になっても、仕方ない。


「それで、僕達をわざわざ集めた目的って何なんだ? これだけのことをするんだ、理由があるんだろ」


『あひゃひゃ。ずいぶん饒舌になるものでありますね。さながら姫を守るナイトのつもりでありましょうか。ですが、せかさずとも今言うでありますよ!』


 音声はいったん途切れる。モニターの中でぬいぐるみが笑ったような気がした。




『貴様ら方に本官がやってほしいことは一つだけ。貴様ら方、十人の中に一人だけ潜んだこの事件の首謀者 ―― 【クビ】 ―― を特定し、処刑する事、であります』


「はあ!? なんだよそれ」


「しょ、処刑ですか?」


「ひっ、殺さないで」


 処刑。そう聞こえた。

 わずかに場がざわめく。今まで一言も話さなかった面面からも声が漏れる。

 しかもこのぬいぐるみはその処刑の対象が僕達ではなく、この事件の首謀者である【クビ】であるといった。つまるところ、犯人の目的は……


 思考がまとまらない。けれども黙ってはいられない。今、声を上げなければいけない。そうしないと、


「それは、私たちに人を殺せ、ということですか!」


 皆が動揺する中、マコは一人はっきりとした声を発しながらモニターに詰め寄る。

 ダメだ、やめてくれ。冷静を保とうとする思考とは裏腹に僕の頭の中はぬいぐるみへの、この事件の犯人への憎悪で彩られていく。


「かっ」


 焦る気持ちとは裏腹に、理性で激情を押さえつけた僕の声はかすれ、マコにも、ぬいぐるみにも届かない。


『あひゃひゃ。もちろんでありますよ。聞こえなかったのならもう一度。貴様ら方にはこの事件の首謀者である【クビ】を特定し、処刑してもらうのであります!』




 ぬいぐるみは高らかに宣言する。人を殺せ、と。

 僕の幼馴染は抗議する。そんなことは許されない、と。

 そして僕はそんな幼馴染に願う。もう、声を上げないでくれと。

 そう願いながら僕は僕の思考が徐々に赤く塗られていくことを感じ取っていた。

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