刎ねるディスカッション ~推理合戦デスゲーム~

滝杉こげお

第一章 キミヲボクガ ミナヲワタシガ

1日目① プロローグ

第一話 はなむけプリズン

6月20日 20:08 〔某所〕


「テイシ君の今後ますますのご活躍を祈って、乾杯ィーーーーーーーー」


 幹事の掛け声で場にグラスを打ち鳴らす音が響く。黄色や赤、茶色に白。様々な液体を並々と注がれたグラス達が、この会の主役である僕――黒日テイシに向け押し寄せてくる。


 テイシ君を送る会。

 グラスを僕に向ける会の参加者は会社の同僚の中でも僕と近しい者達だけ。僕の持つグラスがガンガンとゆすられ、注がれていたビールがグラスの縁から僕のズボンに滴っていく。まったく、遠慮を知らない連中である。これでまだ酒が入っていないというのだから、なおさらあきれる。


「それで、テイシ。次に行くとこは決まってるのか?」


「いや、まだだよ。退職手続きに追われてそれどころじゃなかったんだ」


「じゃあ、晴れてニートってわけか!」


「……それ、そんなテンションで言うことかよ。もう少し僕の身を案じろ」


 同僚から掛けられる心配とも、煽りともとれる声を聞きながら僕は苦笑い。本当に遠慮を知らない連中である。まあ、湿っぽい空気は嫌いだし、変に退職のことを心配されても困るだけだからな。そう思い、僕は握っていたグラスを一気に口に向け傾ける。



 場はとても和やかな雰囲気で進行していた。けれどもそれは皆が、ある話題を避けて会話していたからである。この飲み会が開かれる契機となった話題。それを最初に口に出すべきは、やはり僕自身であった。




「みんな、ちょっといいかな?」


 少し遠慮気味に、けれどもここに集まってくれたみんなに聞こえるぐらいの声で、僕は話し出す。

 僕の雰囲気から、次に僕が語る言葉を察知したのだろう。皆の表情が硬くなるのが分かる。僕はあえて笑顔を作りながら話しを切り出した。


「ここ数日、みんなにはいろいろ迷惑を掛けた。いや、入社以来僕の短気で迷惑を掛けっぱなしだった。こんな僕が三年間もここで働いてこれたのはひとえにみんなが支えてくれたからだし……本当はこれからも皆で一緒に働いていたかった」




「だから、今回の事は本当にすみませんでした」


 僕はここでいったん言葉を切ると深々と頭を下げる。




「テイシ先輩が謝ることなんてありません!」


 声が上がったのは僕の向かいの席からだ。唐揚げの盛られた皿を押しのけ、僕の後輩である八橋サキは僕の鼻先へと顔を近づけてくる。


「だって、悪いのは大土井部長ですもん。テイシ先輩は私からしたらあのセクハラ部長から庇ってくれた恩人ですよ!」


 サキの怒気にあてられ、僕は思わずたじろいでしまう。目元が一瞬潤むが、彼女の呼気からはアルコールのにおいが漂ってくる。こいつ、相当酔っていやがる。

 僕はサキの赤くなった顔に掌をやると、無遠慮に席へと押し戻す。




「だとしても、殴って部長に怪我をさせたのは、僕だ」


 僕も酔っているのだろう。体をめぐる熱に浮かされるように、今日まで抑え込んできた思いが徐々に口をついてあふれ出していく。



 事件のあったあの日、残業で遅くなった僕は帰宅の準備をしていた。同じように残業していたサキのデスクを見ると書類の山が出来上がっていた。理由を問えば大土井部長は急用ができ帰宅。たまたま居合わせたサキ一人に仕事が振られたという。気の毒に思いつつも、部長が仕事を押し付けるのは珍しいことではないのでドンマイと声を掛け、僕はオフィスを出た。サキは悲しげな目つきで僕を見送る。


 会社の駐車場。愛車の前に来た僕は、その右側ぎりぎりに車が留められていることに気付き舌打ちした。あまりいいことで無いことは分かっていてもついつい、その車の持ち主の人間性に思いをはせ、車の中を覗き込んでしまう。運転席は特に装飾もなく、散らかっているわけでもないが別に綺麗に掃除されているわけでもない。ダッシュボードにはぽつんとハクビシンのぬいぐるみが置かれていた……って、これ僕が部長にあげた奴じゃん。ということはこれ部長の車か。そう思った。


 中国土産のぬいぐるみと思わぬ所で再会を果たした僕は、けれどもそれに違和感を抱く。部長はいつも僕より早く会社に来ていて、僕が車を停めた時には部長の車は無かったはず。そして何よりすでに部長は帰宅しているはずであり、つまりはわざわざ帰宅後会社に戻ってきたということだ。

 忘れ物だろうか。だとしても今、オフィスにはサキがいる。一方的に仕事を任せて帰った以上、顔を合わせるのは気まずいだろう。それとも、もう帰ったと思っているのか。あの仕事量でこの時間に終わるわけがない……いや、仮に部長がサキにこの時間まで残らせるために仕事を押し付けたのだとしたら。

 何の根拠もない推論。けれども、その時はなぜか帰り際の、サキの悲しげな顔が思い出された。僕は自分でも気づかないうちに来た道を戻っていた。



「あの時、すんごい怖かったんですよ! 部長はいつもいやらしい目つきですけど、あの時はなんか、いろいろ逝った目ぇしてましたし! テイシ先輩は私の貞操を守ってくれた恩人ですよ!」


 その後、オフィスで起こった内容はサキへの配慮から伏せるが、そこでの凶行を目にした僕は頭が真っ赤に染まり、気付いた時には側頭部から血を流した大土井部長が床に倒れていたのだ。

 サキはフォローしてくれたが、手放しに自分を許せるはずもない。悪いのは大土井部長であることに変わりないが、僕の行動のせいで被害者であるサキに負い目を感じさせている。僕は最低だ。


 僕が語るのを止めると今度はサキが饒舌になる。サキ本人からしたら大真面目なのだろうが、話された内容とサキのテンション、言葉のチョイスのギャップから場の何人かが噴き出す。おい、節田。僕の肩にレモンサワーかかってんぞ。




 そこからは再び場の雰囲気は柔らかいものとなり、店員が退店要求をしてくるころにはほとんどの者がべろんべろんに酔っぱらっていた。

 僕もアルコールは入っているが、酔える気分ではない。


 そして幹事の解散の音頭でその場はお開きとなった。帰り際、同僚に支えられつつ千鳥足のサキを呼び止めもう一度謝罪する。


「せんぽあい、あんましあやまると、もほそれはわたちにたいするぶじょくですよん!」


 怒っているのか、笑っているのかも判別の付かない表情でサキはそれだけ言い残して行ってしまった。あとに残された僕は、それでも自分を責めることを止められない。


 いつもそうだ。

 誰かの悪事を見つけてしまえば、僕の頭は僕の制御を離れる。事の解決に手段を選べず、往々にして大事を引き起こしてしまう。正義感が強いとか、熱血漢だとかいえば聞こえはいいが、やっていることは怒りを向ける先の奴と何ら変わりないではないか。自分の感情を後先考えず振るってしまう。ただの自己満足では守りたい相手も、自分すらも救えないのだ。


 分かってはいても自分の本質を変えることはできない。いくら後悔したところで、起きた事象が覆ることは無い。僕は一人嗚咽を押し殺し、帰路に就いたのだった。








6月21日 11:03  〔???〕


 軽い頭痛を覚え、目を覚ます。最悪の朝だ。

 昨日、アルコールを摂取したときは酔っていないと自覚していたが、やはり体は騙せない。昨日あの場で感情を吐露したのもやはり、酔っていたせいなのだろう。

 僕はガバと布団を跳ね上げ、体を起こす。


 目の前には鉄格子があった。


「ふあ?」


 目をこすりもう一度確認する。当然、見間違いに違いないはずなのだが、もう一度目をゆっくり開け、前を見ればやはりそこには鉄格子がガンとした威圧感を持ち存在していた。


「……僕、なんかやらかしたか?」


 昨日の記憶をたどるが僕は確かに自宅までたどり着き、自室のベッドで寝たはずだ。今僕が触れている安っぽいゴザと薄い毛布では、断じて無かったはずだ。僕は慌てて周囲を見渡す。


 そこは小さな部屋の中であった。四畳半ぐらいのスペースは今、僕の着ていた布団が置かれているのみでガランとしている。四方を囲う壁は無機質なコンクリート製であり、見ていて閉塞感を感じる。壁の一面だけには鉄格子がはめられており、ここがどういう空間なのか物語っていた。


「なんで僕が、牢屋にいるんだ?」


 天井からつるされた裸電球の無骨な光がゆらゆら揺れている。

 いったい僕はなぜここにいるのだろう。その疑問を言語化してみても、僕の中に答えは無い。


 もしかして大土井部長を殴った件か? だがその件なら会社により公にはされず、大土井部長は左遷、僕は一身上の都合による自主退職という形で落ち着いたはず。被害届は出ていない。そもそも、公的な機関が寝ている間に被疑者を連れ去るような真似をするわけもない。


 すると、これは……


「誘拐?」


 言葉に出してみると途端に先ほどとは違う寒気が僕を襲う。お金があるわけでもなく、社会的地位も昨日失ったばかり。僕に誘拐する価値があるのかという点は置いておいて、何らかの犯罪に巻き込まれているというのはあながち間違った推測ではないだろう。

 そして今考えるべきはなぜ僕が誘拐されたのかではなく、どうやってここから脱出するかだ。


 自分の服装が昨日着ていたスーツのままであるのを見てポケットに手を突っ込むが、そこに入っているはずのスマホは無い。充電し忘れてポケットに突っ込んだままにしていたはずだが、誰かが気を利かせてコンセントにつないでおいてくれたのだろうか……そんなわけあるか。

 僕は鉄格子に近寄ると、その脇に開いている出入口部分に手をかける。そして僕は思わず手を引っ込めてしまう。なぜか扉についている鍵が開いていた。僕はすぐさま後ずさった。僕は自然と震える自身の体を認識する。


 出口が開いている。それは普通に考えて悪いことではないはずだ。だが、その事象は今の僕には恐怖を与えた。良くも悪くも牢屋というのは外部と自分の間を隔てる。一枚壁があるというそのある種の安心感を出入口が開いていることで一気に取り払われたような錯覚に陥る。外にであろう恐怖を嫌でも自覚してしまう。


 出入口が開いているのに出られないジレンマ。けれどもここでおとなしくしていられるわけもない。僕は唇を結び、歯噛みするとゆっくりと鉄格子から頭だけを出す。


 僕の居る牢屋前の廊下は左に伸びている。廊下は十メートルもしないうちに壁に突き当たっており、そこには簡易な作りの押戸が取り付けられている。目線の高さぐらいの位置に張り紙がなされているのが見受けられる。

 僕は慎重に辺りを見回しながら扉へと近づいていった。



『至急、貴様ら方は大広間まで集合されたし。場所はこの扉を開いた先、廊下の突き当りの扉。そこにてルール説明を行う』


「……」


 頭の中から疑問符が押し寄せる。まだ現状理解すら追いついていないというのに、僕は今から何をさせられるのだろうか。ルール説明という言葉に僕は首を傾げるが、至急と書かれている以上行かないわけにもいかないだろう。書かれていなくともこんなところに長居をするのは御免だ。


 そして、張り紙には貴様ら方と複数形の呼称が書かれている。貴様呼ばわりなのは頭に来るがこの場面ではどうでもいい。それよりも考えるべきは僕と同じような状況に置かれている者が複数いる可能性が高いということだ。

 なるほど。道理で脱いだままの布団が置かれた牢屋が僕の居たところと並んでいくつもあるはずである。つまり、僕は他の誘拐被害者と比し、寝坊して出遅れたわけだ。やはり昨日は相当酔っていたらしい。


 僕は自身が最初に想定したよりも大規模なものであるらしい誘拐事件の、その犯人像を想像し、牢屋を出た時と同等の、いやそれ以上の寒気を感じながら扉をくぐっていった。

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