君の生きた証

千輝 幸

夏の思い出

今思い返すと本当に不思議な夏だった。

嵐のあとの澄んだ夜空の中、紅茶を片手に屋上に上がり、いつものように天体観測をしながらあの夏の日に起きたことを思い返していた。

紅茶を一口飲み、いつもの鼻歌を歌っていた時、空に1つの星が流れ、僕の思い出を引き出していた。




僕は毎年、夏になると小学3年の時に亡くなった祖母の御墓参りも兼ねて母型の祖父が住んでいる北海道に帰っていた。

中学2年の僕には、退屈なだけの1週間だった。

楽しみといえば綺麗な田舎の風景を書くことと、僕だけの秘密基地。

と言っても祖父に作るのを手伝ってもらい、屋根のない小屋に椅子と机が置いてあるだけのものだった。

そこに望遠鏡と画材を持って行き、星を見ながら小さなランプ1つの明かりで絵を描くことが楽しみだった。

だがこの年、1つ不思議な出来事があったのだ。


「ただいまお父さん!」


母が勢いよく鍵のかかっていない横開きの扉をあけて言った。


「おお。お帰り。かえでお前大きくなったなあ」


「じじ、ひさしぶり」


祖父のことを僕はと呼んでいた。僕は靴を脱ぎ直ぐに祖母の仏壇へ向かい手を合わせた。


「ばあば元気?今年もきたよ。あいたいなばあばに」


そう心の中で話しかけ目を開けると、ふと目の前にばあばが微笑んでいる姿が見えた気がした。

昼食を終えるとじじの軽トラックに乗り渓流にスケッチをしに行った。

じじは退職前、絵画の講師をしており、割と有名だった。

そんなじじに小さい頃絵を褒められたのが僕が画家を志したきっかけだった。


「楓の絵には迫力がないな迫力が。線の強弱をつけて見なさい」


確かに迫力は出た。

だが、僕の描きたい絵はこれじゃない。

そんな気がした。

ふと川に目を向けると、よく澄んだ川の水面で跳ねる山女魚やまめがいた。

それを見た時、僕は知らないうちに鉛筆を走らせていた。


夕飯になると、僕の隣に母が座り

母の正面にはじじが座った。

その隣にはしっかり座布団が敷かれ、ばあばも一緒に家族4人で夕ご飯を食べた。


「うまいべ楓」


これがじじの口癖だった。


「うまいよ」


僕が言うといつものようにじじは喜んでいた。

僕は母子家庭だった。

父の記憶はなかったが暴力的だったことは昔じじから聞いた。

母は辛いことがあってもいつも元気でよく笑う人だ。

そんな母を僕は尊敬していた。

夕飯が終わり母は台所に皿を洗いに行った。


「楓は風景とか動物ばかり書いてるよな。人は書かないのか?」


「人は書かない。人は嫌いだ。」


「ほうか(そうか)」


じじは少し残念そうに漬物を食べた。

僕は、自然の美しい景色を壊し、自分より弱いものを踏みつけ強いものを恐れ、壊す、他人の夢も否定する。

なれるわけないと。

そんな人間が嫌いだった。

こんな性格になったのはたぶん小学校の頃のいじめが原因だ。

長い長いいじめだった。

いじめが始まったのは小学四年生の頃。

ある日いつものように教室に入るとクラスの人たちの目線が冷たくなったのが手に取るようにわかった。

その日からは地獄だった。

遠足も運動会も僕はいつも1人。

たちが悪いのは手は出さずに無視をするだけなところだ。

いっそ殴られた方がスッキリする。

家に帰って絵を描いてる時だけが僕の大切な時間だった。

そのおかげで地元のコンクールで金賞を取ったこともあった。

母が僕より喜んでくれることがとても嬉しかった。

中学に上がった今でもクラスから省かれている。

いじめは慣れるものだ。

もう辛いとは思わなくなった。

だが、やはり人は嫌いだ。





日が沈み、ちょうど一番星が出たころ、

僕は画材と望遠鏡を持ち、家の裏手にある山を登った。

じじの所有してる土地で、周りの山と比べるとかなり低い。

だが、頂上にある秘密基地から見える景色は絶景だった。

数十分もしないうちに頂上が見えてきた。

おかしい。

立ち止まって耳を澄まして見ると下手くそな鼻歌が聞こえる。

近づいて見ると僕に気づいた彼女がすごい勢いで振り返った。

僕はたまらず悲鳴をあげた。


「ダァァァァア!!!!」


「キャァッ!!!」


とりあえず僕は家に向かって走った。

家に着いた頃には汗でTシャツがずぶ濡れだった。

すぐにシャワーを浴び、布団に入った。

家族3人で川の字で寝ていたため、怖さはやわらいだ。

あれは本当になんだったんだろう。

そういえばあの人も叫んでたな。

人だったのだろうか。

そんなことを考え続け一睡もできないまま朝を迎えた。


「ねむい」


そう呟きながら朝ごはんを食べた。


「なに、あんた寝てないのかい。だめだべさ寝なきゃ。」


はいはいと母の小言を聴きながし、

朝なら怖くないと思い僕は秘密基地に向かった。

僕のお気に入りの場所。

行けなくなっては困るとやけになっていた。秘密基地に近づくとまたあの下手くそな鼻歌が聞こえた。

視認できる距離まで近づいてみると、

1人の女性が僕の秘密基地の椅子で紅茶を飲んでいた。

やっぱり人じゃないか。そう思い僕は話しかけて見た。


「あの」


すると彼女は驚きのあまり、椅子の背もたれの方にひっくり返り、みるからに暑そうな紅茶を顔面に浴びた。


「アッチィ!!!」


幽霊だと思っていた僕はあまりに拍子抜けな彼女の行動が妙にツボに入り、吹き出した。

すると彼女は頬を少し膨らました。


「君、助けたりしないわけ」


「ごめんなさい」


笑っている僕に彼女はひどく真面目に聞いてきた。


「で、私のことなんで見えるの?」


その一言を聞いた時、きっと僕の顔は真っ青だっただろう。

慌てて回れ右をして帰ろうとすると彼女の声が聞こえた。


「まって!なにもしないからお願い」


ゆっくり振り返ると彼女は紅茶を被った顔面でこちらをまっすぐと見つめていた。

恐怖と笑いのせめぎ合いの末、

笑いが勝った。

僕が笑っていると彼女は先ほどより大きく頬を膨らませた。






「へえ。楓くんって言うんだ。いい名前ね」


彼女は背もたれを前にして座り、

幽霊とは思えないほど明るい笑顔で話してきた。

名前を褒められたのは初めてだった。

彼女の名前は上村 あかね

と言うらしい。

髪は肩にかからないくらいの長さで黒髪。

服は心霊番組でよくみる白いワンピース。

年は18だと彼女は言った。

もう少し大人に見えたと僕が呟くと彼女は少し怒った。


「誰が老け顔じゃ」


眉間にしわを寄せた彼女はさらに老けて見えた。

幽霊になった経緯を聞いたが「ひみつ」の一言で流された。


「君、こんなにいい場所、独り占めはずるいわ」


皮肉を含め僕は言った。


「もう独り占めできなくなりましたけどね」


彼女は笑った。

笑うと目が無くなる彼女の笑顔は、見ているだけで心が安らいだ。

それから実家にいる間、毎日彼女に会ってたくさん話をした。

秘密基地に彼女がいることがいつしか僕の日常の一部となっていた。






最終日の夜。

僕はいつものように望遠鏡と画材を持って秘密基地に向かった。

今日も雲がない。

きっと星が綺麗だ。

秘密基地に着くと彼女はいつものように紅茶を飲んでいた。


「そんな座り方してたらまた紅茶をかぶりますよ」


「君、心配してくれているんだね。でも大丈夫、幽霊だもん」


僕は決して心配をしていたわけではないが、彼女といるといちいち突っ込んでいたら、きりが無いのだ。


「星かあ。君はロマンチストだね」


「その逆ですよ。暗くて、皮肉れた性格なんです」


すると彼女はいつもの笑顔で言った。


「君は自分の色を知らないだけよ。君が思ってる以上に君は綺麗な色をしてるわ」


そんなことないと首を横に降る僕に彼女は続けて言った。


「十人十色って言葉知ってる?10人いれば10色、色があるってこと。

みんな違うのが当たり前なのよ。

だから君は君の色を大切にしなさい。

どんなに否定されても。

君の色の良さが周りの人に伝わる日がきっと来るわ。私が保証してあげる」


そう言い彼女はいつものように笑った。

しばらく2人で星を見た後、時計の針が12時を過ぎていることに気づいた。


「そろそろ帰ります」


いつも明るい彼女が少し悲しい顔をした。


「君。また会いにきてくれる?」


「また来ます。夏が来たら」


「ふふ。待ってる」


彼女はいつもの笑顔で僕を見送った。

帰る途中、見上げた空はとても綺麗だった。

朝、じじとばあばに別れを告げた後、母と僕はタクシーに乗り空港に向かった。

ふとあの裏山に目を向けると彼女が飛び跳ねながら手を振っている気がした。






今年も夏が来た。

去年の夏、彼女にあってから僕は少し変わった。

人が嫌い。

そんなことばかり思っていたあの頃、僕は人をしっかり見ることもせず頑なに避けて生きていた。

だが、彼女と話してから僕は人を見るようになった。

あの人はどんな人なのか何色なのかそんなことを考えながら。

すると不思議に何か不快なことを言われても、この人はこういう人だからと、軽く流せるようになった。

お陰で友達もできた。

桜田拓夢さくらだたくむ

同じ美術部の同級生で、一年生の頃から一緒だったが話したことはなかった。

夏休み明けの美術室で拓夢とあった時、彼女の言葉を思い出した。


「一歩踏み出す勇気」


その言葉を思い、僕は挨拶をした。


「お、おはよう」


すると拓夢はびっくりした顔でしばらく固まった後、笑顔で挨拶を返してくれた。


「おはよう」


僕は照れくさくなり足早に美術準備室に逃げこんだ。

それから話が盛り上がり、僕らは休日にも会う仲になっていた。

彼女には本当に感謝している。

早く彼女に会いたい。




ようやく実家に着いた。

こんなに遠いかったのか北海道は。

知らぬ間に彼女に会いたい気持ちは増していたみたいだった。

会えるまでの時間がとても長く感じた。

ぼくは夕飯を食べ終えるとすぐに秘密基地に向かった。

足取りが軽い。

弾むように山を駆け上がり、頂上が見えると切れた息を静めるようにゆっくり歩いた。

そして最初に聞こえて来たのはあの下手くそな鼻歌だった。


「やあ君。元気してたかい?」


「まあ元気でしたよ。あなたも元気でしたか?」


「元気に決まっているでしょ?なんてったて私はゆ」


「幽霊ですもんね」


彼女の話の途中に割って入る。

すると彼女はいつもの笑顔を浮かべた。


「わかってるじゃない」


今日も星が綺麗だった。

次の日もその次の日もまたその次の日も。

僕らは語り合った。

初めてできた友達の話や絵のコンクールで表彰されたこと。

そして最終日の夜に話したのは受験の話だ。


「そういえば君、高校どうするのよ」


「まだ迷っています。

家から距離はあるけど美術の有名な先生がいる高校か、歩いて行ける高校。

ぼくの家は母子家庭なので距離があると通学にお金がかかるので大変なんです」


「お母さんには話したの?きっとお金のことなんて気にしないでって言うと思うけど」


「だから話せないんです。これ以上負担かけられないし」


彼女はしばらく何かを考えていた。

真剣に悩んでいる彼女の姿はとても綺麗だ。ぼくは多分この時、いや、前にあったあの夏の日彼女に恋をした。

そう考えていると彼女が話し始めた。


「人はどんなに悩んで選んでも、いつかは必ず後悔するの。

でも自分の一番したいことを選んで後悔したらいくらかマシじゃない?

失敗しないことを選んじゃダメよ。

失敗してもいいと思えることを選ぶの」


そう彼女言った後、腰に両手を当て満足げな顔でぼくを見て来た。

ぼくは今まで悩みに悩んでいたことが全てバカバカしくなり、彼女と一緒に意味もなく笑いあった。

そして12時。別れの時間。


「じゃ。帰りますね」


彼女は去年と同じような表情を浮かべた。


「またね」


ぼくも気を抜いたら涙が出そうだった。


「また夏に」


そしてぼくは家に帰った。

また長い長い一年が始まる。

ため息をつき終わるとすぐに、来年は何をしようか、そんなことを考えてしまう。

恋は素敵なことだとぼくは思った。

僕の初恋は幽霊のあの人に奪われたのだ。

高校は家から遠い高校に通うことにした。

自分のしたいことをして後悔する。

彼女が教えてくれたことだ。

高校生活は中学と比べて楽しいものだった。拓夢も一緒の高校だったのが一番嬉しかった。

高校生活は思ったより忙しく、夏休みの予定も部活でぎっしり埋まっていた。

無理して休みを取れたのは2日間だけだった。






実家に着くとばあばに手を合わせ、昼食も食べずに基地に向かった。

休みは2日だったが帰りも含めたら実質会えるのは1日だった。

足りない。

僕はこのままサボってやろうかと思ったが、きっと彼女はそんな事で会う時間が増えても喜ばないだろうと思う。

だから僕はこの1日を出来る限り長く彼女と居れるように、帰りが遅くなると母に告げ、毛布を2つリュックに詰めて来た。

今日も彼女の下手くそな鼻歌が聞こえて来た。

彼女が見えた。

彼女は紅茶を飲みながら雄鹿と話をしていた。

僕が近づくと雄鹿はどこかへ行ってしまった。


「やあ。君、背が伸びたね」


にこやかに彼女は話した。


「元気でしたか幽霊さん。そりゃあ伸びますよ、もう高校生ですから」


「あれ、君。声も低くなったね。男だねえ」


いつもと同じくからかうように言う彼女。

このからかいも1日しか聞けないと思うと胸が痛くなった。

僕は日が沈むまで次のコンクールに出す作品を書いていた。

書いている途中にキャンバスの上から出て来て見たり、横から出て来て見たり、絵を描くどころではなかった。

日が暮れて星の光が秘密基地を照らす。

2人で星を見ていた時、あくびをした僕を見て彼女言った。


「あら、君。眠たいのかい」


「昨日は全く眠れなかったんだ」


彼女はにこやかに言った。


「恋に落ちると眠れなくなるのよ。

だってようやく現実が夢より素敵になったのだから」


そのあと付け足すように言った。


「君は私に恋をしているのかしら」


この時僕の心臓は今まで生きて来た中で一番早く動いていたと思う。


「からかうなよ」


「あれれ?顔が赤いぞ少年」


「ランプの明かりですよ」


自分の頬を隠すためランプを消し毛布を被った。

しばらくすると囁くような彼女の声が聞こえた。


「君。寝ちゃった?」


「起きてます」


「さむいなあ。君、お姉さんさむいよ」


「そのリュックに毛布が入ってますから使ってください」


「いいの。君のに入るから」


そう言った彼女は強引に僕の毛布に入って来た。

この時、僕の心臓の鼓動が彼女に聞こえてたに違いない。

彼女は何も言わず僕を見てあのくしゃっとした笑顔を向けている。


「好きです」


僕は思わず彼女に伝えてしまった。彼女は少し驚いた後言った


「君。私は幽霊だよ」


僕は思ってもいないことを口にしてしまった


「いつもからかわれてるから、少しからかっただけですよ」


彼女は「それでいい」と笑った。

そして彼女は下手くそな鼻歌を歌い出した。その歌を聴きながら僕は眠ってしまった。






夢を見た。彼女の夢を。

彼女はこの町で生まれた。父親から虐待を受けている母を彼女が庇っている。


「お父さんやめて!」


彼女の声が家の中に響く。

父親の怒りが収まって、家を出て行った後、母親は大粒の涙を流しながら彼女に謝っていた。

腫れた彼女の顔を母親は血のついた手で包み、何回も何回も謝っていた。

そしてその日。

母親は毒薬を飲み食卓の椅子に座ったまま亡くなっていた。

それを見た彼女は涙が枯れるまで泣いていた。

深夜彼女は母の好きだった紅茶を持ち、外に出た。

少し歩いたところにある山を登り、頂上に着いてリュックから保温ポットを取り出して紅茶を入れた。

星を見ながら一口飲んだ後、母の使った薬物を紅茶に入れ、飲み干した。






眼が覚めると、日が昇り朝になっていた。


「知られちゃったのね」


声の方を向いたが彼女の姿はなかった。

実家に戻ると母にこっ酷く叱られた。

彼女に別れを告げられないまま町を出て家に帰った。

もやもやした気持ちを抱えたまま僕は高校2年生になっていた。

彼女の過去を知ってしまった僕は、次会う時何を言えばいいのかわからなかった。

絵を書くこともできないまま、僕は夏を迎えていた。

しかし、今年は母の仕事が忙しく、

北海道には行けない。

そう告げられた時、今まで感じだことのない胸の痛みが僕を襲った。

それと同時にどれほど彼女を好きだったか実感した。

会いたい。彼女に会いたい。

高校生の僕の力では何もできないことに腹が立った。

早く大人になりたい。そう思った。

そして僕は部活をやめてアルバイトを始めた。

お金を貯めて彼女に会いに行こう。そう思った。

彼女が好きだ。

秋が来て紅葉の絵を描いている時も、

冬になり、着ている服が少しずつ多くなって行き、吐く息は白く、白い雪の絨毯じゅうたんが、歩くたびに音を立てて足跡を残す時も、

あの人のことを考えている。

春が来て、溶けかけの雪が桜の鮮やかなピンク色を引き立て、

新入生たちが着慣れない制服を着て校門を通り校舎に向かい歩いているのを自分の席から眺めている時も、

あの人は今どうしているだろうか。

いつもと変わらず、動物たちと紅茶を飲んで笑っているのだろうか。

そんなことを思っている。

春が終わり服が一枚ずつ薄くなるにつれて僕の心臓は活き活きした鼓動を奏で出し、

足取りが軽くなる。

今年は彼女に会える。

そんなことを思うと世界の色彩が変わる。

行こう。あの人の待つ秘密基地へ。





母は仕事で来れない。

僕は1人、飛行機に乗り、アルバイトで貯めたお金を持ち彼女の待つ北海道へ向かった。空港を出て汽車に乗り実家を目指した。

汽車の線路を走る音が僕の鼓動と同じ速度で体全体に響き、実家に近づくにつれて早まって行った。

僕はじじとばあばに挨拶を済ました後、急ぎ足であの場所へ向かった。

下手くそな鼻歌。君の歌。

僕は袖で涙を拭き彼女の元へ向かった。

僕を見つけた彼女は悲しい笑顔で僕を見ていた。

僕は全力で彼女の元へ走り、彼女を抱きしめた。


「くるしい」


その言葉を聞き僕はすぐに彼女を離した。

そして彼女は泣きながら言った。


「君。なんで来たの、

もう来ないかと思った。

あんな過去を見られちゃたから」


「あなたを助けに来ました。

僕があなたに助けられたように」


彼女は満面の笑みで呟いた。


「もう救われてる」


そう言った彼女は僕が持って来た新しい椅子に腰掛けた。







「そう。横向いて。紅茶持って、そう。いいですよ」


「君。私がモデルで本当にいいわけ?」


「あなたがいいんですよ。それに前言ったじゃないですか」


「人が本当に死ぬ時は人に忘れられた時よ」


「って。あなたを書けばその絵がある限り、

いいや、

無くたって僕はあなたを絶対に忘れません。

それならあなたが本当に死ぬことはないじゃないですか」


「ふふ。君は本当にロマンチストだね」


「あなたには敵いません」



僕は彼女を書き続けた。

昼は絵を描き、夜は星を見ながら寄り添い、眠った。

朝になり実家に帰ってシャワーを浴びご飯を食べてまた秘密基地に向かう。

そうして絵が完成したのは

5日後の夜だった。


「できたよ」


「どれどれ。えー老けてる」


「これでも若く書いた方」


「誰が老け顔じゃ」


2人で笑った。そして彼女は呟いた。


「私幸せ」


「僕もだよ」


「君私のこと愛してる?」


少しためらった。

だが、前の夏、しっかり伝えたいことを伝えられず後悔した夜を思い出した。

後悔するなら言いたいことを言って。


「愛してる」


「ふふっ。わたしもよ」


ふと、彼女を見ると、彼女は大粒の涙を流していた。


「私、今夜みたい」


立ち上がり星を見ている彼女の足が薄れているのに気がついた。

驚きのあまり言葉を失っていた僕に

彼女は少し不器用な笑みを向けた。

僕は言葉を絞り出した。


「ずっとここにいてよ。毎年会いにくる。

いいや毎月、毎日だって…」


「子供みたいなこと言わないの」


そう言い彼女は笑った。


「私知ってるの。

君は本当に優しい人ってこと。

私が自殺したのは君が生まれる前よ。

だから君が小学生の頃から見ていたの。

君が毎年ここに咲いてる花に、

にこやかに話しかけてることも、

虫や花を潰さないようにしっかり下を向いて歩いてることも。

決して暗い雰囲気で下を向いて歩いてるわけじゃないの、私知ってるわ。

だってうつむいて歩いてる君の目はあんなにも輝いていたのだから」


彼女は僕の目を見つめ、手を握っていた。


「僕、あなたがいなくなるのは嫌だ。

せっかくあなたに出会えたのに」


「大丈夫。君が私を覚えていてくれてる限り私は君の記憶の中で生き続けているのだから」


「でも、どうして今になって……」



「それはね。

私のように自殺した魂は残りの生きるはず

だった時間の半分をこっちの世界で過ごすことが出来るの。

そこでやり残したことができるように。

でも私、もうないの。

小さい頃から君を見てきて、

その君が人を好きになってくれたのだから。君は私に生きる意味をくれた。

君は私にここにいていいと言ってくれた。

君は私を忘れないと言ってくれた。

君は私を愛してくれた。

それだけでもう未練も思い残すことも何もないわ。

きっと君なら大丈夫。叶うわ君の夢」


彼女は今にも消えそうな身体を震わせながら最後に泣きながら笑って呟いた。



「ありがとう楓」




彼女は冬に吐き出した息のように空の青い闇に消えて行った。

彼女に初めて名前を呼ばれた。

それが初めで最後だと思うと、胸が痛かった。

彼女のために持ってきた椅子に腰掛け空を見上げた。


「そう言えば今日は流星群だ」


流れ星が次々と降り注ぎ、目に残る涙の奥で星の光が反射して、今まで見たこともないような星空が広がっていた。

きっと僕はこの5年間の夏の思い出を忘れることはないだろう。

そう確信しながら、僕は彼女のあの下手くそな鼻歌を歌っていた。






翌年の春、僕の作品が新人賞を受賞した。

その賞金とアルバイトで貯めたお金で

埼玉に家を借り、銀座の画廊で開かれる

僕の個展の絵を星を見ながらランプ1つで描いていた。

初めて描いた人の絵。

星空の下、秘密基地の周りには動植物たちが囲み、ランプに照らされたあの人が紅茶を片手に笑顔で話している。

あの人に出会わなければ

僕は画家にはなれなかった。

いや、ならなかった。


朝の日の光がこんなに綺麗で暖かいものなのを僕は今まで知らなかった。

少しばかりのお金と画材をリュックに詰め、僕は銀座に向かった。

自分の個展に足を踏み入れて、僕は少し微笑んだ。

風景画や動植物の絵が並ぶ中、

中心に目立つように置かれた代表作。

あの人の絵。













題名「君の生きた証」






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君の生きた証 千輝 幸 @Sachi1228

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