第29話 鯵の干物ケジャリ

「本当はたらの燻製をミルクで煮るんだけど……」

 ぶつぶつ言いながら、ニワトコさんはあじの干物を魚焼きグリルに入れた。

「ミルクで? どうして?」

「魚の臭み消しかなあ」

「鱈に臭みなんてあるのかなあ……」

 鱈って、どちらかというと素直で魚臭さのない魚だと思うんだけどな。

 私が首をかしげると、ニワトコさんは軽く肩をすくめた。

「100年以上前のレシピだからね。冷蔵庫なんかなかった時代の朝ごはんだし」

 炊飯器にはカルダモンを一粒入れてスイッチを入れてある。炊き上がりが近づいて、良い匂いがしてきた。ちょっとよその国に行ったみたいな匂い。

「卵を4つ、かた茹でにして。玉ねぎをみじん切りにして」

「はい!」

 ニワトコさんが結構動いているけれど、あくまでも今日の料理の主役は私。

「ケジャリはね、インド風の魚入りチャーハンみたいなものだから」

 ニワトコさんは説明する。

「ちょっと多めにバターを入れるよ。100グラム……120ぐらい入れちゃっても大丈夫かな。多い方が美味しいんだけど」

 私は頷く。

 私がみじん切りにした玉ねぎは、ちょっと不揃いだけれど、多分じっくり火を通せば大丈夫。輪切りにした青唐辛子と、カレー粉を入れて、じっくり炒める。香りが立ってきたあたりで、炊飯器が鳴った。

「あとはご飯をいれて炒めて、鯵の干物の肉を大きめにほぐして、混ぜて……ユキノちゃんのお父さんとお母さん、コリアンダー大丈夫だっけ?」

「えっとね、父さんはパクチー苦手」

 イギリス英語でコリアンダーっていうものは日本ではパクチー。アメリカ英語ではまた別の名前なんだって。

「それじゃあ、ネギだけにしよう。パセリも買ってくれば良かったね」

 最後に櫛形に切ったゆで卵と、レモン。それに小口切りのネギをいっぱい飾れば出来上がりだ。

「グリンピースや他に野菜を入れるレシピもあるけど、最初だからシンプルなのが良いよ。食べてみて好きだったらユキノちゃんのアレンジを加えていくといい」

 鮮やかな黄色のケジャリをちょっとつまんで口に入れる。濃厚なバターの味と、複雑なスパイスの匂い。よく炒めた玉ねぎの甘み。それに食べごたえがあるくらいの大きさにほぐした鯵がざっくり混ざってる。

「あ……おいしい」

「日本人が絶対好きな味だよね」

 ニワトコさんは笑う。バターとお米と魚。全部日本の人が好きそうな味なのにね。なんで日本で知られていないのかの方が不思議だな。

 食べる前にレモンをかけるとさっぱりしてもっと美味しくなるよ。

 出来上がったケジャリをあらかじめ温めておいた大きな器に盛り付ける。そしてアルミホイルで蓋をする。飾り付けのネギとゆで卵はみんなが来てから。

「出来上がってから二十分ぐらいだったらオーブンで温めておけるけど……」

 ユキノちゃんのお父さんたち、まだかな……とニワトコさんが言いかけた時、ぴんぽーん、と玄関のベルが鳴った。



「おっじゃましまーす」

 元気な声をあげて入ってきたのはタケシ。

「すっげー良い匂い。これ、本当にユッキがご飯作ったの——あ、ね……キワコさんコンバンワ。お邪魔します」

 ……今、ネコばあさんって言おうとしたでしょ。

 お姉ちゃん気づいてるよ!

「こんばんわ。ユキノがお世話になっています」

 低いしっかりした声は父さんだ。それから母さんの声。

「六花亭のチョコレートと思ったんですけど、この暑さでしょう、溶けちゃうんじゃないかしらって思ってこれならどうかなって……」

「あらまあ、いやだ。そんな、気を使っていただいて、かえって申し訳ないわあ」

 あ。キワコさんが、また、大人の女の人してる。

「北海道はどうでした? 涼しかったでしょう」

「そうですね。都内に帰ってきたら暑くてびっくりしました。ずっと過ごしてると、体が慣れちゃうんですけどね」

 声をかけたいけど、私は最後の飾り付けに今、必死だよ。精神統一しているんだよ。この、小口切りのネギを、できるだけ美しく飾りたい。

 プチトマトを半分に切ったものも入れると、ものすごくカラフルなご飯がテーブルの真ん中にどん! と出来上がった。

 うん。満足の出来だ。

 ケジャリと、サラダとお漬物だけ。本当に品数の少ない食卓だから、ケジャリは見た目を華やかにしたかったんだ。

「おかえりー!」

 ようやく顔をあげると笑顔の父さんと、ちょっと心配そうな顔の母さんが目に入った。

「これ、すごい美味しいよ! 早く食べようよ。座って座って!」

「座ってってあなた、ここ吉田さんのお家なのに、厚かましいわねえ……」

 母さんは呆れたように言う。

「厚かましくなんてないですよ。今日はユキノちゃん主催のお食事会ですから」

 キワコさんは柔らかい声で、でもはっきりと言ってくれた。

「今日は私もお客様なのよね? ユキノちゃん」

「はい」

 私は頷く。

「キワコさんも、どうぞ、座ってください——それで、えっと……えっと、各自真ん中のお皿からケジャリをとって、レモンをかけてお召し上がりください」

 エプロンをかけたままの私が、突っ立って真っ赤になって、しどろもどろにいうと、なぜか拍手が起きた。

 ぱちぱちぱち。

 ニワトコさんが拍手している。それから、キワコさん。

「え……え?」

 まごまごして見回していると父さんとタケシが拍手に加わった。そして母さん。

「や、やだ……恥ずかしいから……食べて」

 私が両手で顔をおおうと、どっとみんなが笑った。

「乾杯はジンジャーエールで良いかな?」

 ニワトコさんがグラスを回した。氷の代わりに凍らせた水蜜桃が一切れ、ぽわん、と浮かんでいる。それにミント。こうすると、水っぽくならないでしょってニワトコさんは、なんだか、嬉しそうだった。本当は白ワインに入れるんだって。応用編だね。

「大人の方にはパンチも作ってあるけれど……」

「あ、そうだ、うちからはこれ……」

 父さんが赤ワインを出した。

「どんな料理かわからなかったからとりあえず赤ワインを持ってきたんですが……魚だったら白のほうが良かったのかな」

「たくあん、切りましょう!」

 ニワトコさんが目を輝かせたので、私が名乗り出た。

「たくあんと赤ワイン?」

 父さんと母さんが目を丸くした。

「それじゃあ、今日のシェフにお願いします」

 ニワトコさんが、頭を下げたので、私はいそいそと包丁を握った。私にはよくわからない組み合わせだけど。後で父さんと母さんに感想を聞こう。

 ニワトコさんに、父さんが色々質問して、タケシが素頓狂なことを言って、キワコさんが、コロコロ笑って、母さんが「あら、美味しい」ってびっくりしたみたいに小さな声をあげて。

「これはユキノ、台所解禁だなあ」

 父さんが言う。

 事故がおきると危ないから母さんがいない時は火は使わないでねって今は言われてるんだけど……。

 恐る恐る視線を向けると「そうね」って、驚くほどあっけなく、母さんが頷いた。

「ユキノちゃん、お料理上手ですよ」

 ニワトコさんが、穏やかに言った。





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る