第28話 ケジャリを作る日

「お米、レモン、卵、玉ねぎ、カレー粉、バター」

 ニワトコさんが歌うように言いながら材料を食卓に並べていく。

 約束通り、今日はケジャリの作り方を教わる日だ。

「本当は燻製のハドックを使うんだけど……」

「ハドック?」

「うーん、日本語でなんていうんだろう」

 ニワトコさんはタブレットで翻訳を探して「うー」と声をあげた。

「日本語がないの?」

「ハドックってカタカナで出てきちゃってる」

「あ、それね多分こうすればわかると思う」

 私はウィキペディアのページを開ける。

「ここにHaddockって英語で入れて? それで、記事が出てきたらここで、言語を日本語に変えると……ほら! 出てくる!」

「おお」

 ニワトコさんは出てきたページを見せてくれた。

「コダラって言うんだね——聞いたことないなあ。鱈みたいなお魚なのかな?」

「ユキノちゃん、ずいぶんいいこと知ってるね——辞書でも出てこなかったのに」

「うん。リリさんのお友達が教えてくれたの」

「ああ! 会えたんだ。どうだった?」

 ニワトコさんは、ぽん! と玉ねぎを上に投げる。そして、つかまえる。

 ——ナイスキャッチ!

「良かった。本当に色々お話聞いて、そうかーって。色々、納得した」

 リリさんのお友達はとてもおとなしそうなメガネの人で、飾り気のないミントグリーンのカットソーが似合っていて、長い髪を後ろで引っ詰めにしていた。私たちは小さな喫茶店で会って、コーヒー一杯でずっとお話をした。どんな質問にも真剣に答えてくれて、最後にはLINEの連絡先も交換した。

 やった! 二人目だよ。

 会いに行く時にはリリさんと、リリさんの新しい彼氏がついてきてくれた。

 大丈夫って言ったんだけど、心配してくれたみたい。私たちが喫茶店に入るのを見届けると「じゃ、あたしたちはデートね!」って、すぐにどこかへ行っちゃったんだけれど。

 リリさんの彼は、なんかすごく朴訥な感じの人で、リリさんがモデルみたいに綺麗だから、二人で並ぶとちょっと不思議な感じだった。一見似合ってない感じ。

 だけど、リリさんはもう、彼氏さんにメロメロだった。目がハートマークでこの人大好きオーラが身体中から出てたよ。

 姿勢がいいなって思ったら、おまわりさんなんだって。

「リリさんの彼氏かあ。どんな人だった?」

「プリンでベヨネッタを倒せるからすごく強いんだって……言ってた」

「……よくわかんないなあ」

 ニワトコさんが首をかしげる。私もよくわからない。

 タケシは「すげー」ってなんか興奮してたけど。多分ゲームの話。

「リリさんもすごい感心してた。ジグリーパフでベヨネッタを倒すなんてって」

「おお?」

 ニワトコさんが目を見開いた。

「あ、そうか。名前が違うんだ。ジグリーパフか。おお! ジグリーパフでベヨネッタを倒すのは確かにすごい」

 え。なに。ニワトコさんもわかっちゃうの?! わかんないのは私だけ? すごい疎外感だよ。

「でも、びっくりしたのはね、新しい彼ね、在留カード見せてって言ったおまわりさんなんだって」


 外国人だろう、在留カードを見せなさい、っておまわりさんがリリさんに言って揉め事になったあの事件。本当にリリさんが日本国籍だとわかった時、リリさんの新しい彼は真っ青になって謝ったんだって。


「もうね、見ててびっくりするくらい平謝りに謝ってくれたの。私がさ、あんなにギャンギャンわめいてたのに、本当は落ち込んでたのに気がついてくれたんだよねー。ひどいことをしちゃったって、すごく真剣に謝ってくれたの」


 そう言われて、彼氏さんの方を見たら、なんだかとっても穏やかな人っぽくて、真剣に恐縮して謝っている様子が簡単に想像できた。

「でもさ、外国人は在留カードを携帯しなさいなんてね、取り決めそのものがとても難しいでしょ。だって、見た目じゃわからない私みたいなのもいるわけだし。逆にニワトコみたいなのもいるし。だからあんたのせいじゃないよ、って途中から言ったんだけど。それでも悪いのは自分だからって謝ってくれて……。それでね——惚れた」

 リリさんはこっそり教えてくれた。

「その後偶然会うことがいっぱいあってね」

 偶然?

「そう。偶然。本屋とか、仕事の後の居酒屋とかでなんども鉢合わせしちゃってね。偶然」

 リリさんはすました顔で言った。

 魔女の言う「偶然」って、文字通りにはとれないなって、ほんのちょっと頭の片隅で思ったけど、二人はとても幸せそうだったから、良かったねって思う。

 いつか、好きな人ができたらリリさんにどうすれば好きな人と偶然に会えるのか教えてもらおう。



「素敵ねえ。この次はリリさんと彼と一緒に呼んでもいいんじゃない?」

 キワコさんがニコニコ笑った。

「今日はユキノちゃんの初めてのディナーパーティだから無理だけど」

「そうですね。ユキノちゃん、一回ちゃんと人に食べさせるためにご飯を作れば自信もつくだろうし」

 ニワトコさんが頷く。

 そう。

 今日は、ニワトコさんにケジャリの作り方を教わって、父さんと母さんにご馳走する、私の、生まれて初めてのディナーパーティーの日。二人とも、今日旅行から帰ってくるんだ。

 飲み物はジンジャーエール。お料理はケジャリとサラダと、パン床で漬けたパプリカとセロリ。

 あの後、父さんはものすごい勢いで有給をとって、ものすごい勢いで北海道旅行をセットアップして「私だって仕事が」とか「ユキノが心配で」だとか「タケシのお弁当が」だとか「家事が溜まっちゃうから」だとか最後まで抵抗する母さんをさらうように旅行に連れて行った。

 映画みたいだった。

 ――仕事はひと段落ついたって言ってたよな。ユキノは大丈夫だ。俺が保証する。あの子はお前が思っているよりもずっとしっかりした子だ。お前の育て方が良かったんだな。タケシ、母さんがいない間ぐらい購買でパン買えるよな。ユキノ、タケシ、洗濯と掃除はしっかりしておいてくれ!

 普段家にいるときには結構疲れていて言葉が少ない父さんだけど、一度こうと決めたら実行力があることを目の当たりにした。

 デパートでお洋服を買ったり、エステでフェイシャルをしたり、大浴場でのんびりしたり、全部させてくるって、ものすごい意気込みだった。とってもって感じだった! 



「お米三合ぐらいでたりるかな」

 ニワトコさんが首を傾げながら測る。

「一合がだいたい150グラムぐらいだから……」

 うんうん。このくらいかなと頷きながら私に見せてくれる。私は慌ててノートにメモをする。

 本当はバスマティ米だとかジャスミンライスを使うんだけど、日本だとやっぱり日本のお米で作るようだね。べちょっとしないように気をつけないと。

「それからちょっと困ってるのが魚なんだよね。ハドックの燻製が日本では売ってないでしょ」

「ハドックがたらの仲間なんだったら塩鱈でもいいのかもしれないけど」

 でも、確か、鱈ってどっちかというと冬のお魚のような気がするなあ。

「そうそう、亀丸屋さんが今日はあじの干物を大安売りしてるわよ」

 キワコさんが、ジュードを撫でながらのんびりと言った。

 あじの干物。

 鱈の燻製とはずいぶん違いそうだけど……。

「鯵の干物ってどんな味?」

 ニワトコさんが私に尋ねる。

「えっとね……しょっぱくて……味がぎゅって濃縮されている感じで魚で……」

 私は説明しようとしてしどろもどろになってしまう。味の説明って難しいよ。

「鯵は今が旬だから美味しいと思うけど……。まだ時間があるんでしょう。ゆっくり見てきたらいいじゃない」

 キワコさんは相変わらずのんびりだ。

「じゃ、行こう! ニワトコさん。梅干しもみせてあげる!」

 私は立ち上がってニワトコさんの手を引っ張った。

「おうおう」

 ニワトコさんは慌てたような声をあげて立ち上がった。

「お米を研いで炊飯器セットしてからね。ちょっと待って!」

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