第21話 ユニバーシティポテト
「警察って……」
私はびっくりしてニワトコさんの顔を見る。
ニワトコさんは、しっと、人さし指を立てると私に頷いて見せる。
ごめん、日本語で話してる最中に私がこっちで話したら、うまく聞こえないよね。
真剣な顔をしたニワトコさんは何度か何か聞き返していたけれど、突然英語に切り替えた。
複雑な話で、日本語ではもどかしかったのかも。
リリさんは英語で大丈夫なんだな。
何を言っているのかわからないけど、Goodness! だとか、 何か、カードの話が出てきて、それから、OK、というのが聞き取れた……と思ったらニワトコさんはちょっと難しい顔をして電話を切った。
「……リリさん、大丈夫ですか?」
「あ、事故とかじゃないよ。もう警察からは出て、大したことはないって言ってた。ただ、ちょっと落ち着きたいから、あとで合流するって」
説明してくれたニワトコさんは、いつもの穏やかな表情だ。
「無事なんだ……よかった」
私はため息をつく。交通事故とか、事件に巻き込まれたとかじゃなくて、よかった。
でも、どうしちゃったんだろう。
「うーん。在留カードを見せてって警察に言われたんだって」
「在留カード……? って、なに?」
「日本に三ヶ月以上滞在する外国人がもらうカードなんだけど」
ほら、俺も持ってる、と、ニワトコさんはお財布の中から出して見せてくれた。免許証みたいなカードの中で、真面目な表情のニワトコさんがこっちを見てる。
「これね、三ヶ月以上日本にいる外国人は全員持ってないといけないんだよね。で、おまわりさんに聞かれたら見せなくちゃいけないんだよ」
「……そうなんだ」
私はちょっとびっくりしてそのカードをまじまじと見る。外国の人がそんなの持ってなくちゃいけないなんて知らなかった。
これ、毎日持って歩かなくちゃいけないんだ。Suicaだって下手したら忘れちゃう私には結構ハードルが高いな。
「リリさん、外国人だと思われちゃったんだね。出してって言われたんだって」
「……でも、リリさん、持ってないでしょ」
「持ってないよ。日本国籍だもの。ユキノちゃんだって持ってないでしょ」
ニワトコさんはため息をついた。私は頷く。
「それでね、リリさん——キレておまわりさんを怒鳴りつけちゃったんだって……」
「あ……」
チャキチャキした話し方のリリさんを思い浮かべて、私はちょっとだけ、うわあ、って思った。
リリさん、美人だけど、美人が怒ると怖いよね。
普通に説明すれば「そうですか」で終わったのかもしれないけれど、キレて怒鳴りつけちゃったから、「ちょっと詳しく話を」ってなっちゃったのかも。
「ジコケーニョだから、コーヒー一人で飲んでちょっと落ち着いてから合流するって言ってた」
「うん……」
リリさん勝ち気そうなのに……よほど悲しかったんだな。
それから、ニワトコさん、ジコケーニョじゃなくて、自己嫌悪だよ。
「まあ、俺たちは二人でちょっと巣鴨をまわろう!」
ニワトコさんは気分を変えるように明るい声で言った。
「まず最初に何をするの? ユキノちゃん?」
「さ、最初は、とげぬき地蔵です!」
私は、ハッと我に返った。いけないいけない。
地蔵通りソムリエとしての使命を忘れるところだったよ!
今日はニワトコさんにディープな観光をいっぱいさせてあげるんだ!
とげぬき地蔵さんがあるのは高岩寺っていう、曹洞宗のお寺なんだけど、まず、その名前からして、ニワトコさんはめちゃくちゃ興味津々だった。歩きながら名前を説明していたら立て続けに質問が飛んでくる。
「なんなの。とげを抜くのが専門の神様なの。仏教なの。とげを抜くだけのために仏様がいるの? 」
質問攻めにされて、私もちょっと困ってしまう。
そ、そんなに詳しくないんだよ。
「あ、あのね。ニワトコさん、私、じつは……お寺は……あんまり専門じゃないの」
「おお! じゃあ、ユキノちゃんの専門は?」
「甘いもの……大学イモとか……」
「大学……イモ?」
ニワトコさんは首を傾げている。
あれ。大学イモって日本の料理かな。英語圏にはないのかな。
「英語で言ったら……ゆにばーしてぃ、ぽてと?」
「! なにそれ食べてみたい。大学で作っているおイモ?」
「ち……ちがう、とおもう……」
あれ。大学イモって、なんで大学イモって言うんだろう。あれ? 全然知らないよ。全然知らないのに専門だとか言っちゃったよ!
「えっと、でも大学イモの前に洗い観音に行こう! とげぬき地蔵さんと同じお寺さんにあるから」
「おお! イモ洗い観音に!」
ちがう! イモ洗いじゃなくて、「洗い観音!」
「病気のところとか、体の悪いところがあるときにね、観音さまの体で同じ部分を洗ってあげると治るんだって」
説明してあげると、ニワトコさんは真剣な顔になって頷いた。
「……それじゃ、からだ全部洗おう」
「ニワトコさん、そんなに悪いところ、あるの?」
私はちょっとびっくりして聞く。
いたって健康な若年層男性に見えるよ。
「ううん」
ニワトコさんは首を振る。
「キワコさんが、ずっとずっと元気でいられますように」
そうか。
私も全部洗おう。キワコさんのために。
それから心臓のあたりも。頭のあたりも洗おう。
母さんの心配性が治りますように。頭痛も治りますように。
これ以上、母さんが私のことで胸をいためませんように。
お寺に着く前にもう、すでにたい焼き屋さんだとか、日本風の小物屋さんだとか、ニワトコさんの心を引くものがものすごくいっぱいあって、ものすごくいっぱい質問されて、さすがの地蔵通りソムリエの私も自分の限界を感じ始めた頃。
「よ」
後ろから背中を叩かれた。
リリさんが、恥ずかしそうな顔をして立っていた。
「ごめんね。待たせちゃった」
「ううん!」
私はなんだか必死になって首を横に振る。
「……ううん! 全然待ってない!」
そう言ってから、あれ、こんな言い方したら「あんたのことなんか待ってない」って言ってるみたいに聞こえるかな、って急に心配になって付け加えた。
「ま、待ってたけど——待ってない!」
リリさんは笑って、どっちなんだよ、と言ってから私の頭をくしゃくしゃっとなでた。ふわっといい匂いがした。
「ほんっとごめん。久々にバカだった」
「大丈夫?」
ニワトコさんは本当に心配そうな顔をしている。立ち止まった私たちの方を迷惑そうに見てるおじさんがいる。私は、二人をそっと道の端の方に引っ張っていった。
「大丈夫だよ。日本のおまわりさんだもの。親切だし、礼儀正しいしさ、ただ、普段だったら外国人があまり多くない場所に外国人ぽい人間を見かけたから声をかけただけでさ……。職場に電話して本当に日本人だってわかったらものすごく丁寧に謝られたよ」
うん。おまわりさんも、さぞびっくりしただろう。
「だから私が悪かったんだけどさ、カッとしちゃったんだよね」
「うん」
ニワトコさんは頷く。
「ここで生まれて育って——ここしか知らないこの国の人間で、もう三代目なのに、いつまで外国人扱いされるんだろうって、思っちゃったんだよ」
「……」
そっか。
私は単純にリリさんを見て、肌が白くて目鼻立ちがくっきりしていて、綺麗だなーって思うだけだけど、リリさんはずっと外国人扱いされちゃうんだ。
持ってもいない在留カードを見せてくださいって、いくら丁寧に頼まれても、困るよね。
「なんて思ったらさ、言っちゃったんだよ」
「な……なんて?」
「はあ? なにボケてんの? 私は日本人だよ。私に在留カード出せっていうんだったら、あんたたちの方こそ出しなさいよ! って……」
……。
強い。
「でもね、その後、髪の毛の色とかねー。金髪にしてたのがいけないのかな。黒く染めようかなって思ったり。でも前に黒くしてた時も、そんなにみんなの扱いが変わったわけでもないしなって思ったり……いろいろ考えちゃってさ。ちょっとコーヒー飲んで落ち着いてからきた」
へへっとリリさんは笑う。笑ってるけど泣いてるみたいに見えた。
「そこは、別にリリさんが気にするべきことではないでしょう」
静かな声でニワトコさんが言った。
静かだけど、強い声だった。
「リリさんがその顔で生まれてきたのはリリさんの責任ではないし、リリさんには、好きなようにファッションを楽しむ権利がある」
こんな真面目な顔のニワトコさんを見たのは初めてかも。
リリさんは、笑って肩をすくめた。
「そうだね。私がああやって怒鳴ったことで、あのおまわりさん、次に声をかけるときは最初に日本人どうか確認してくれるかもしれないし……ま、こういう時にできることは一つだけだよね!」
リリさんは明るく声をあげた。
「おいしいもの、いっぱい買って帰って地蔵通りグルメを堪能しよう!」
「あ、そうでした! 私、キワコさんにお漬物、買って帰ろうと思ってたの!」
私も頷く。
「それに、ニワトコさん、まだ割れせんべいと塩大福を食べてない! 焼き鳥も!」
「お……おお!」
ニワトコさんは、まだちょっと難しい顔をしてたけど、私とリリさんに手を引かれて歩き始めた。
すごい、この通り、美味しいものの宝庫だ……なんていいながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます