第17話 あんぱんの約束
「子供にとって、すごい辛いことだよね」
ニワトコさんは「箱入り娘」の衝撃から立ち直ったらしく、そう言ってくれた。
「周りの人間と違うと子供ってそれだけで不安になるんだよね」
私はコクっと頷いた。
「言葉が通じないような感じがして……」
「うん」
ニワトコさんは頷いた。
「言葉が通じないのはつらい」
「ニワトコさんも、あったんですか? 言葉が通じないこと」
私がおそるおそる聞くと、ニワトコさんは「そうだね~、ポーランド語かな」と肩をすくめた。
ぽ、ポーランド語。それは……普通に考えて通じないだろう。
「小学校の頃だけどね。ポーランド系の移民が多い街でねー。しかもそれまでほとんどいなかったのに、俺が三年生ぐらいの頃にどっといっぱい入ってきたんだよね。それでさ、休み時間とかに、集まるとみんなポーランド語で話してるんだよ。で、そばに行くとみんなピタって話やめるの。俺の顔見たとたん。……もう、せつなくってさ」
おお。リアルに「言葉が通じない」話だった!
本当に、本当に、本当にリアルで学校の中で言葉が通じない話だった!
私のなんて、全然軽いくらいの話の通じなさだ。
それはめちゃくちゃ通じないよ!
誰が聞いても納得の通じなさだよ!
でも。
悲しいけど、私、知ってる。そばに行くと、楽しそうに話してたグループが、ピタって静かになるの。困ったみたいな顔になるの。
みんなが一緒に楽しんでる話題に私がついていけないのはわかってて、「あ、困った、なんかこの子にもわかる話題探さなきゃ」みたいな顔をするの。
せつないよ。
私がいけなかったのかな、って、思っちゃうよ。面と向かって意地悪言われなくても、胸の奥がぎゅーってする。
「だけどさ、今になるとわかるんだよね。9歳ぐらいでさ、親の仕事の事情で外国から来るわけじゃん」
ニワトコさんの右手のコップには魔女パンチ。コップの中で薄切りりんごがユラユラしてる。
「心細いときに同じ言葉がわかる友達がいたら、そりゃあ、話したいよねー」
私は頷く。
うん。
そうだよね。
たぶん、私だっていきなり外国の学校に放り込まれたら、見つけた日本人の子とは日本語で話したい。そして、誰か日本語がわからない人がそばにきたら慌てて現地の言葉喋らなきゃって、思う。
でも、それで現地の言葉がうまくなかったら。
たぶん、黙っちゃう。
「なんていうかさー、人間ってやっぱりグループ作りたい生き物だからね。グループの線の中にいるか外にいるかって、どうしても気になっちゃうし——線の端っこにいる人間は大変だよ。俺は自分が端っこにいるような気分だったけど、あの子たちはあの子達で端っこにいる気がしてたんだろうし」
「あたしなんか、もう、いつだって線のど真ん中よ!」
リリさんが笑った。
うん。そんな感じがする。なんかそういうエネルギーがあるっていうか。
「人と言葉が通じない場合はね、相手に悪意がある場合もたくさんあるけど——そうじゃない場合もあるでしょ。ニコニコ笑って自分で線を引き直せば多分助けてくれる人も出てくるし」
「あ、それ、それ! それだよ! 俺、そういうの、日本語でなんていうか知ってる! 最近覚えたんだよ」
ニワトコさんが目を輝かせた。ニワトコさん、なにげに日本語習得にとても熱心だ。
「えーっと、友達付き合いをしている人が助けてくれる——援助してくれるんだよ。それ、たしか、援助交際! そう、援助交際だよ! 俺とキワコさんの関係とかみたいな!」
ニワトコさんの最後の一言は、なぜだかちょうどそのタイミングで静かになった部屋の中に響き渡り、キワコさんも、お客様たちもみんなびっくりしたようにこっちを見た。
……ちが……ちがうよ! ニワトコさん!
私は耳まで真っ赤になってしまってリリさんのカーディガンの袖を引っ張ってしまった。
リリさん、説明してあげて! ぷりーず。
私の困ったような視線を受けて、リリさんは軽くため息をつきながら肩をすくめた。
ニワトコさんの発言の後、みんなが爆笑して、それから私はなぜだか初めていろんな大人の人に褒められたり、話しかけられたりして、すごくすごく緊張したけれど、終わったときには何だかとてもレベルアップしたような気分になっていた。
えっへん。
魔女さんたちは、みんな反応がちょっと不思議で、私がなにか言うと「ああ、水星の位置がもしかしたら……ねえ……」とつぶやいたり、なんか、もう色々だった。あんまりにも今まで会った大人たちと反応が違って、なんだか笑えてしまう。
私の学校の話や進路の話にはあんまり興味を示さない割に、みんな季節の話と、植物の話と、夏至の話にものすごく意欲的だった。
私には、全然みんなが何を話してるのかわからなかったけど、不思議なくらい気にならなかった。
でも、もしかしたら、それはみんなが魔女さんだから、ではなくて、キワコさんの友達だから、だったのかもしれない。
ニワトコさんもいつになく楽しそうだった。
もしかしたら、ニワトコさんはこんな感じの人がいっぱいいるところで育ったのかもしれないってちょっと思った。
「観光はしてないんですよねー。なんか、こっちにきて、落ち着くだけで精一杯で」
ニワトコさんの声が聞こえてきたのはそんな時だった。
「次いつ来れるかわからないから、ちょっと見ておきたいなーっていう気持ちもあるんだけど、普通に生活してるだけでもわりと楽しいし」
あ。
そうか。
ニワトコさん、いつ来てもキワコさんの家にいるものね。留守してるのなんて時々ボランティアで小学校に行っているときぐらい。
このあたりのお散歩してるだけで楽しそうだから、全然気づかなかった。
日本語喋ってるし、見た目も日本の人だから、すぐ忘れちゃうけど、ニワトコさんはとても遠くから来たんだ。
一回イギリスに帰っちゃったら、いつまた来れるかどうかわかんないんだ。
もっと日本の色々なところ、見せてあげたいな。一緒に、どこか連れて行って案内してあげたいな。
私は頭のなかで猛烈に貯金箱の中身を計算した。
遠くには行けない。
もしかしたら、母さんが臨時にお小遣いをくれるかもしれないけど、予算は限られてる。
近くで、日本ぽいところ。楽しいところ。
私でも交通費が出せて、ちょっと買い食いしても大丈夫なチープでおいしいものがあるところ。
そう考えてたら、まさにその条件にピッタリの、素晴らしい場所を思いついた。
「ニワトコさん! 巣鴨いこう。巣鴨の地蔵道り行こう!」
……ユキノちゃん、そのチョイスはディープだ……と、呆れたようにリリさんが隣で呟いた。
「ここからそんなに遠くなくて、
「あんぱん?」
ニワトコさんが怪訝そうに首をかしげた。
食べたことないのかな?
「あんぱんは、おいしいよ!」
私は力説する。
愛と勇気の友達だよ!
ていうか、むしろ、愛と勇気だけが友達だよ! よく考えるとぼっちだよ!
「それに、お寺もあるし——それから」
私は巣鴨地蔵通りの魅力を伝えようと必死になる。
「赤いパンツの店もいっぱいある」
「!」
ニワトコさんが目を見開いた。
「連れてってあげる!」
「そ……それはちょっと……ディープそうだね……」
「うん。ディープな世界だよ! 多分日本人と行ったほうが楽しいよ!」
私は胸を張った。
おしゃれな原宿とかのガイドは無理だけど、おばあちゃんの原宿ならまかせといて!
ニワトコさんはちょっと困ったように目をさまよわせて、リリさんと目が合うと、リリさんも一緒に来てくれるなら、と言った。
「うん! リリさんも来てくれたら嬉しい!」
私が元気よく言うと、リリさんは、何だか笑いをかみ殺したような顔をして、「楽しそうだから、つきあったげる」とちょっと偉そうに言った。
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