第16話 野菜春巻き

 リリさんは、どう見ても外国の人に見えるのに、日本人なのだと教えてくれた。

「生まれも育ちも神奈川だよー。両親とも日本人だし」

 それなのに、歩いていると結構英語で話しかけられるんだって。

 無理もないよ。もしも、どこかでとても困ってるリリさんを見つけたら、私も多分、ものすごく勇気を出して——英語で話しかけちゃったんじゃないかと思う。「えくすきゅーずみー、きゃないへるぷゆー」とか言っちゃいそうだよ。

 下手したら話しかけられても逃げるかも。めちゃくちゃ失礼だけど。

 しばらく一緒にいたら慣れてきたけれど、私は、まだ、ほんの少しリリさんが怖くて、なんだかうまく目を合わせられなかった。でも、一生懸命リリさんの話をそばで聞いていた。

 ——ニワトコさんの初めてのコヴンだもの。私がお客様を困らせちゃったら申し訳ないもの。 

 私達は並んで座って果物を切っていた。今切っているのはリンゴ。

「昔ね——戦争が終わったあと、ものすごい人数の混血の子供が生まれたんだよね。で、まあ売春婦の子供だったり、レイプの被害で生まれた子供だったり、恋愛の結果でも周囲に別れさせられたり——育てられない親のほうが多かったんだって。で、まあ、そういうわけで、母がたはおじいちゃんもおばあちゃんも、同じ孤児院で育ったんだよね」

「——ハーフ同士の結婚だったんですね」

 私の声はとても小さい。声がうまく出ない。


 どうしたんだ、私! がんばれ、私!


「ハーフっていうか、まあ、今の人だとダブルっていうんだろうけど。当時はもっとひどい言葉も使われたみたいだよねー。だからもう、うちの母も子供の頃はけっこう大変だったみたい。見た目がまわりの子供と全然違うしね」

 話を聞いていたら、私の喉の奥がちょっとキュってなった。

 さらっと言ってるけど、リリさんも大変だったんじゃないだろうか。子供の頃。

「エスニック・マイノリティあるあるだよね」

 のんびりした口調でニワトコさんが口をはさんだ。

「俺もさあ、ポーランド系とか、インド系とか、結構人種的には混ざった小学校だったけど、日系ってすごくマイナーだから、やっぱり目立っちゃって——まいるよね。何にもしてなくても目立つからさ」

「あとさあ、日本にしか住んだことないし、親も両方日本国籍なのに、日本ではこうなのよ、とか、そういう言い方で叱られたりするんだよねー」

「あー。それねー。子供心に納得いかないんだよね。イギリスから一歩も出たことないのに外国人扱いされるんだよ」

 言いながら、ニワトコさんは私達の前に揚げたての春巻きを出してくれた。

「ちょっと味見してくれる? 揚げたてだと美味しいと思うんだけど」

 野菜春巻きには、野菜しか入ってない。

 ズッキーニの春巻きには細長く切ったズッキーニ。セロリの春巻きは小さめにぶつ切りにしたセロリ。

 セロリは小さく切らないと噛み切れないから、とニワトコさんは説明する。

 「熱い!」

 口に入れようと手でつかんで、思わず声が出た。笑いながらニワトコさんがお箸を渡してくれる。せっかちだなあ、なんて言いながら。

 「熱いよー。塩だけで食べてみて。これ、美味しいようだったら、お客さんが来たときに揚げれるように少し包んでおこうかと思ってるんだ」

 揚げたてじゃないと美味しくないからね。

 ニワトコさんの説明を聞きながら春巻きを口に入れると、きつね色の皮がぱりっと口の中で割れた。——中のズッキーニから汁がじゅわっと出る。熱くて、おいしくて、はふはふしながら食べていたら、美女のリリさんが、同じようにハフハフしてるのと目があった。

 ふふふ。

 なぜだか私たちは笑い始めていた。だって、リリさん、あんまりマヌケな顔をしてたから。

 私もマヌケな顔をしてたんでしょうけどね! 

 そこは私、自信がありますけどね!

「熱さとお塩で食べるみたいなものだけど、悪くないかな? 俺は好きなんだけど……」

 自信なげにニワトコさんが言うのだけれど、口の中が熱くて、声がうまく出せなくて、私たちは二人ともハフハフしながら頷いた。

 リリさんは、怖い人じゃなかった。たぶん。



「ユキノちゃんさー」と、リリさんが言ったのは、他の人達が来て、パーティーも盛り上がって来てからだった。

 予定通りわたしは部屋の隅っこから、みんなを見ていて、でも、それはそれで楽しかった。時々キワコさんや、ニワトコさんが来てくれたし。リリさんも。

「箱入り娘でしょ」

「箱入り……なのかなあ」

 私は首をかしげる。世間知らずの自覚はあるけど……

 箱入り……だったとしても、私が入ってるのなんて、せいぜいダンボール箱って感じだと思いますよ?

「え、嘘だろ……?」

 その時、信じられない事を聞いたように目を見開いたニワトコさんと目があった。

「ユキノちゃん、箱に入れられてたの? いつまで? ……そんなひどい目に……誰が……」

 えっと、あれ? 

 ニワトコさん、何か勘違いしてる?

「やだぁ、ニワトコ。『箱入り娘』って、ってことだって」

 児童虐待の話じゃないって、って、リリさんが説明してくれた。

「そうか……」と、言ったものの、ニワトコさんは、どうも納得がいってないようだった。なんでそれが褒め言葉になるんだよ、なんて、ブツブツ言っている。

 最初はもっと怖いことを想像しちゃったよ……なんて言ってたけど、一体何を想像しちゃったのかは、かえって怖くて聞けないよ! 

 どんな状態で箱に入ってるのを想像したんだろう…… ニワトコさん。

「高校はどこ? ——高校生だよね?」

「え……あ……はい……あの……」

 おずおずと学校名を言うと、リリさんは「すっご」と声をあげた。

「名門校じゃん。——そんな感じはしてたけど」

「でも、今、行けてないの……」

 なんだか嘘をついているみたいで気がひけて、小さな声で早口で言うと、「ま、あたしもほとんど行かなかったしなー」とリリさんは、当たり前のように言って、チーズ春巻きをかじった。

「そうなんですか?」

「だってさー。髪の毛の色とか、自分で変えられないのに文句言われるんだよ。もームカついてさー」

 そうか。リリさんなんて、学校にいたら、すぐにお友達できそうなんだけどな。

「ユキノちゃんてさ、学校がどーのっていうんじゃなくって、なんか、すごいかっちり躾けられた感じがあるんだよね。箸の持ち方とか、しゃべり方とか」

 リリさんはまだ「箱入り娘」に衝撃を受けているニワトコさんを無視して話を続ける。

「あ、しゃべり方は……」

 私は頷いた。

「小さい頃、使っちゃいけない言葉があったの。結構たくさん」

 だから、今でもあんまりクラスの子たちみたいな話し方はできない。

「……どんな言葉が禁止されてたの?」

「マジ、とか、ウケる、とか……」

「……結構な頻出語句じゃん!」と、リリさんが目を丸くした。「それなんの罰ゲーム?」

「マジ、は、小学生の時にお願いして解禁されました!」

 私は慌てて付け加える。 

「お、お願い、したんだ……」

 リリさんがのけぞった。

「筋金入りだねー」

「うん……」

 でも、それは私にとってはとても苦しいことだったんだ。

 クラスの子達と同じような話し方ができないことが。

 同じような服が着れないことが。

 ——大人になると、そういうしっかりした話し方ができた方が楽になるのよ。ちゃんとした高校に行ったらね、ユキノに似たような子ばっかりのはずよ。

 母さんの説明に納得してたのも、本当。

 でも、母さんが満足するような高校に行っても、周りの子達は、やっぱり、私とは全然違う、もっと普通の話し方をしているように聞こえて、母さんがくだらないっていう動画やゲームの話で盛り上がっていて、私は足がすくむような気持ちがしたんだ。

 ここに来たら話が通じるって思ってたのに。

 そういう約束だったのに。

 ここは私にとって、もっと息がしやすい場所になるはずじゃなかったの。

 私がここに居場所を見つけるには、私はどんどん自分を変えていかなくちゃいけない。でも、そんなことしたら、叱られる。

 足がすくむような気持ちは、まだ私の心のどこかにギュッと固まってあって、それに気づくたび私は困ってしまう。ごくごく控えめに言っても。とても。とても。

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