第3話 ズッキーニのお好み焼き 2
ネコばあさんの家はちょっと古臭い間取りだ。
だけど、入った途端、予想もしていなかった懐かしい気持ちでいっぱいになった。
そういえば、小学校の低学年のころ、何回かおじゃましてこのお家でおやつを頂いたことがあった。
「改装したんだ……」
かつてはタバコを手渡しで売るカウンターだった部分が大きな出窓になっている。
昔はその奥に壁があって、台所と店先を仕切っていたのだけれど、それが今では大きな一つの部屋になっている。改装してあるのに懐かしいのは大きな木製の食器棚とテーブルのせいだ。
「みゃーお」
毛並みの良い白い猫が、奥からやってきた。
「テス、これからご飯だからちょっと待ってな」
ニワトコさんはまるで人間に話しかけるみたいに猫に言うと私を招き入れた。
「ところで、お名前は?」
「あ、ゆきの、です。坂井ゆきの」
「サカイ、ユキノ。ユキノさんね」
台所の古びた大きなテーブルにはズッキーニと卵、それにポテチが並んでいた。きれいに洗ったもやしはザルの上。それに木製のまな板の上にみじん切りの長ネギ。
本当に料理の最中だったんだ。なんで玄関を開けたんだろう。
「台所見たらあんまり食材がなくてさ。お好み焼きにしようと思うんだけど、君も食べてく?」
「お好み焼き……ズッキーニ、使うんですか?」
びっくりして聞くと、ニワトコさんの目が丸くなった。
「えっ……使わないの?」
「う……うちは、使わない……と思うけど……」
「まじかー! もしかしてポテチも使わない?」
信じられない、という風情でニワトコさんが聞く。
「えっと、うちでは入れないと思います。……あ、でもベビースターを入れたりする人はいるのかな?! だから、おかしいとかじゃなくって!」
なぜだかちょっと焦って私は早口になった。別に初対面の人のお好み焼きレシピをディスるつもりなんて全然ないのだ。
「えっと、ベビースターって何?」
「え、ベビースター知らないの?!」
思わず大きな声を出してしまうと、悪いねー、とニワトコさんは笑った。
「俺さ、heritage speakerなんだよ。だからちょっと日本語不自由でね」
「え?」
「Heritage speaker……あー、日本語でなんていうのかなー。ヘリテイジ・スピイカア?」
ぶつぶつ言いながらニワトコさんはタブレットを出して翻訳を探した。
「はい。これ」
差し出されたタブレットには「継承語話者」と書いてあった。
「……けいしょーごわしゃ……聞いたこと、ないです」
「あ、そうなんだ」
ニワトコさんはニコニコしたまま卵を3つ割ってボウルに入れた。
そうか、あんまりメジャーな言葉じゃないのかな。日本だと。……なんて、言いながら。
「俺は、生まれながらにイギリス国籍でイギリス国籍しかないんだけど、親父がね、日本人だったんだよ」
「今は……?」
「今は親父もイギリス人だね。日本は二重国籍を認めてないし」
「……そうなの」
日本人じゃない、といった割には顔立ちは全く日本人だし、言葉にだってほんのちょっと訛りがあるくらいだ。私は思わずジロジロと顔を見てしまったけれど、ニワトコさんは気にする様子もなく菜箸を取ると手早く卵をかき混ぜる。
「あ、よかったら手を洗って、そのクジェット——クジェットって日本語だとクジェットじゃないんだよね——さっき言ってた……なんだっけ?」
「ズッキーニ、ですか?」
「そうそう。アメリカ英語だった。え〜と、そのズッキーニをグレートしてくれる?」
「グレートする?」
「うーん。あー。日本語でなんていうのかなー。面倒だなー」
ニワトコさんはキワコさんのキッチンの引き出しをあちらこちらガタガタ開け始めた。
「あった! これ」
手渡されたのはスライサーだった。きゅうりの千切りができる、あれ。
なんだ、ズッキーニの千切りが欲しかったのかな。
私は大慌てで手を洗ってズッキーニを「グレートする」作業に取り掛かる。うちでお好み焼きを作るときには山芋をすったり、キャベツをみじん切りにしたりするんだけど……。あとは紅生姜と、天かす。
でも、そういう坂井家の定番アイテムはここには一つもない。
これは本当にお好み焼きになるんだろうか。
摩訶不思議だ。
怪訝な顔をしている私のことは気にしていない様子で、ニワトコさんは説明を続ける。
「Heritage speakerってね、俺みたいな——家庭の中に普通に二つ目の言語があって、それを子供の頃から使ってる人たちのことをいうんだよね」
「子供の頃から家の中で日本語を使ってたんですね」
「そ。でも読み書きはひらがなとカタカナまでしかできない。それに、ちょっと複雑なことになるとわからない。だから母語ってわけじゃないんだ」
「ボゴ?」
「あれ、日本語だとボゴじゃない? 生まれた時からずっと使っていて一番強い言葉のこと」
それは母国語っていうんじゃないんだろうか。とちょっと思ったけれど私はそれ以上何も言わなかった。
「じゃあ、ニワトコさん、英語しゃべれるんだ」
「英語がしゃべれるっていうか、そっちの方がボゴだからね——あ、だいぶグレートできたね」
ニコニコ笑いながらニワトコさんは私からズッキーニを受け取ると卵と小麦粉と混ぜ、水を加えた。
「あとは何かパンタク質がほしいな」
「……たんぱく質?」
「うん。肉とか」
そう言いながらニワトコさんは冷蔵庫を開ける。
「豚肉のひき肉! これ入れよう。あとはクリスプを砕いて入れれば焼くだけ!」
ぽん!
ポテチの袋が渡された。
「砕いてね」
「あ、はい」
ここのところずっと食べたくてたまらなかったポテチ。まるまる一袋私の手の中にあるのに、砕かなくてはならないとは。くくう。
ネコばあさんのフライパンは鉄製の、古そうな、でもとても手入れの整ったものだった。
そこに油を入れると、ニワトコさんはキッチンペーパーで慣れた様子で油をなじませていく。ポテチとズッキーニの入ったお好み焼きの生地がフライパンに入れられる。
じゅわ。
パチパチと油のはねる音。小麦生地が焼かれていく匂い。
「あ……」
私は思わずお腹を抑えた。
ぐうううう。
恥ずかしくなっちゃうくらい大きな音。
本当に久しぶりに、お腹が空いていた。
「久しぶりねえ! ゆきのちゃん。大きくなって!」
お好み焼きが焼きあがる頃帰って来たキワコさんはニコニコして私にコーラを注いでくれた。久しぶりだ。コーラ。母さんは絶対に家に置いておかないから。
「ニワトコとはいろいろ話をしたの?」
「あ……はい」
とりあえず頷いたけど、何を話していたんだろうか。
「あまりまだ、話してないよ。ずっとお好み焼き作ってたし」
ニワトコさんは笑った。
「あと、日本語を結構直された」
「わ、私直しましたか?」
「うん。ポテチのことをクリスプって言った途端、キョドキョドしてた」
むしろ態度で直してたのか。失礼極まりない女だな、私。
「カタカナ言葉はねー。一番難しいんだよ。微妙に英語と違う表現が一般的だったりするし」
「ポテチ——ポテトチップスって言わないんですか?」
「アメリカ人は言う。イギリス人はクリスプスと呼ぶ」
「センキュー」
「サンキュー」
——直された。
「Thank youのaの音が "あ”と”え”の中間なのはアメリカ英語。間違いっていうんじゃないけど」
「へええ」
「カタカナ言葉は大変だよ。英語がもとだとは限らないし」
なんか面白い。カタカナ言葉のほうが通じやすそうなのにな。
「ニワトコはね、昔お世話になった人の息子さんなのよ。ニワトコ、ゆきのちゃんは近所のお子さん。すっごくいい子よ」
キワコさんの説明に私はちょっと肩をすぼめる。
あまり自分のことがいい子だとは思えない。お母さんをとてもとても心配させてるし。
「今いくつだったっけ?」
「あ……16歳、です」
私は余計ちぢこまる。「今、高校何年生?」じゃなくて「今いくつ?」ってキワコさんが聞いてくれたからだ。
きっとキワコさんも気を使ってくれているんだと思う。
「あ。いい感じに焼けてる! 熱いうちに、食べて食べて!」
ニワトコさんは、私の表情が沈んだことに気づいてか気づかないでか、ミニサイズのお好み焼きを私の取り皿に乗せてくれた。その上から鰹節。それからおたふくソース。それにケチャップとマヨネーズはボトルごと手渡された。鰹節がくねくね踊る。鰹節フラダンス。
「すごいよねー日本。削ってある鰹節が普通にスーパーに売ってあるんだもん。俺びっくりしたよ」
イギリスにいた頃は、鰹節を削るところからお好み焼き作成が始まったのだそうだ。なんというか、ハードだ。
「い、いただきます」
両手を合わせてから箸を入れる。
ふわっ。
柔らかい生地が切れた。
熱々のお好み焼きをそのまま口に入れる。とろり、と柔らかく口の中でほどけた。
「おいしい……」
「だろー!」
自慢げにニワトコさんが胸を張った。
意外なことに、ニワトコさんのお好み焼きは美味しかった。作っているときには半信半疑だったんだけど。
「キワコさんの分はこのくらいの大きさでいい?」
「んー、私にはちょっと大きいわ。半分ぐらいにしてくれるかしら?」
「はーい」
二人の会話は親子のようだ。もう一口、箸を動かしてから私は首を傾げた。
「あれ……これ、山芋とか、入れてないですよね?」
「お好み焼きって芋入れるの?」
きょとんとニワトコさんが尋ねる。
「えっと、あれ、普通山芋を入れるとふわふわになるって」
「あ、それはズッキーニがいい仕事してくれるから」
「あ、そっか」
好奇心にかられてもう一口食べて気がついた。
キャベツと山芋の仕事をズッキーニがしていて、ポテチが、天かすのかわりになってるんだ。歯ごたえ、というか、こく、というか。材料からは全然想像がつかなかったのに、しっかり日本のお好み焼きの味に近かった。
「これはね、親父のレシピ。イギリスにいると日本に普通に売ってるものが売っていないからね。いろいろ代用品を使って日本の食事を作るんだよ」
ニワトコさんは面白そうに私の顔を見た。
「ていうか、俺は日本は今回が初めてだから、ズッキーニとポテチのお好み焼きしか食べたことがないな」
ぱくっ。
大きな口を開けて、ニワトコさんは自分のお好み焼きを食べ始めた。
それを見ていたら、なんだか無性に私もお腹が空いて、ぱくぱくぱくっと目の前のお好み焼きを口に突っ込んだ。美味しいものを食べて、美味しいって感じたのは本当に久しぶりだった。
「本当に美味しそうに食べるねー」
気がつくとニワトコさんがニコニコ私を見ていた。
「すごく美味しいです」
私は素直に頷いた。
「これ、魔法ですか?」
冗談で言ったら、ニワトコさんとキワコさんは目を合わせた。
「魔法——とも言えるし、魔法じゃない、とも言える」
ニワトコさんが大真面目な顔をしていたので、私はちょっと笑顔を引きつらせてしまう。
「まあ、でも——ユキノちゃんが知りたくなるまで話さないよ」
ニワトコさんはキワコさんと目を合わせて頷いた。
「俺、しばらくはここでマジョをしてるから、ご飯食べたくなったら来るといいよ。お昼ごはんはいつも俺の当番だし」
キワコさんは何も言わずにニコニコしてた。
洗い物を手伝って、何だかいろいろなことをニワトコさんと話して、白猫のテスと、黒猫のジュードをいっぱい可愛がって、家に帰ったら、もう午後4時だった。
ニワトコさんとキワコさんには色々な質問をされた。どんな野菜が好きか、だとか、花を育てたことはあるか、だとか、楽器は弾いたことがあるか、だとか、とりとめもない質問ばかり。
でも、二人は一度も私が答えたくない質問をしなかった。何がおかしいのかわからないけど、なんだかいっぱい笑って、妙に気持ちも体も軽くなった。
本当に久しぶりに突然ちゃんとお昼ごはんを食べたので、自分の部屋のベッドの上に倒れこんだら三回連続でゲップが出てしまって、一人で部屋で赤面した。
ニワトコさんは、本当に魔女なのかもしれない。
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