第4話 たくあんと赤ワイン

「それで、魔女って書いてあったのは、吉田さんのおばあちゃんのお家にホームステイしているイギリス人の男の人だった」

「あら。男なのに魔女なの」

 母さんは少し笑って私のワードローブの中から服を選んでいく。そろそろ暑くなってきているから半袖とカーデガンかしらね、なんて言いながら。

「服は少し季節を先取りするくらいのほうがおしゃれに見えるわ」

 と、母さんは言う。

 母さんが選んだのは薄いブルーの大きめのチェックのワンピースだった。

「あなたは身長があるから大柄の服が似合うわ。本当に美人ね」

 このワンピースを選んだのは2週間前の週末だった。服がほしい、と言ったら、母さんは私をデパートに連れて行って、上から下まで初夏の服を揃えてくれたのだ。靴も。

 その日、私は試着室にこもりっきりで、母さんが持ってくる服を片っ端から着ていった。

「これは足が太く見えるわねえ」

「これは胸のあたりがだらしなく見えるわ」

「やだあなた、こんなのが好きなの。趣味悪いわ」

「これは似合うと思ったのになあ……」

「やっぱり太って見えるわ。もうちょっと痩せてね」

 着替えて、試着室から出て、コメントをもらって、脱いで、また着て。

「お母さん、これ、すごいお金になっちゃうんじゃない?」

 私はちょっとハラハラして尋ねた。

「何のために母さんが働いていると思うの!」

 母さんは笑って胸を叩いた。

「せっかく美人に産んでやったんだから、美人にさせておきたいのよ」

 口には出さなかったけど、私は買い物にいくことでものすごくドキドキしていた。

 学校に行かないで派手に服を買ってるとか言われたら嫌だし。誰かが見てると思うわけじゃないけれど、やっぱり気になってしまう。

 だけど、母さんが私を外へ連れ出したい気持ちもわかっている。

 学校に行けなくなった女の子がみすぼらしくしているのが嫌なんだ。それに可愛くなれるのは私も嬉しい。それは本当。

「女の子はね。可愛ければ道はそれなりに開くの! よし。これはいいわ!」

 このワンピースは母さんが特に気に入って買ったものだ。

 何着目だったか覚えていないけれど、着て、外に出たとたんブティックの店員さんも母も「似合うわねえ」と声を揃えた一着だ。

 私が欲しい服だったかと言われればそうではないんだけれど。

 その日、私は1着だけ、欲しいものがあった。母さんが私を連れて行った店ではなく、その隣の店に置いてあったGジャン。かなり大きめで私が着たらダボダボになりそうで、そして私はそれが着てみたかった。すっぽりと私の体を包んでくれそうで、いつもの男物のスエットよりずっとかっこいい。そろそろ暑くなる季節だからすごく安くなってたし。

「あのね、母さん、あの店のね」

 話しかけたら「シッ」と鋭い声で止められた。

「他の店の話を今ここでするって失礼でしょう」

「あ、うん」

 けれど買い物が終わった頃には、もうものすごくたくさんお金を使ってもらってしまった後で、私がGジャンの話をしたときに、母さんは眉をひそめた。

「下品よ。あれ」

「……」

「自分でお金を稼げるようになったら好きなように好きなものを買いなさい」




「ちょっと着てみなさい」

 母さんに言われて、パジャマからワンピースに着替える。

 今日はカウンセラーに会う日だ。

 カウンセラーに会いに行く日、母さんはいつも念入りに私の服を選ぶ。そして自分は仕事用のかっちりとしたスーツに、柔らかい印象になるパールのイヤリングをつける。それからパステルカラーのスカーフ。

「本当、よく似合うわ。このラインがいいのね。胸の大きさも目立たないし。ちょっと回ってみて」

 私がクルッと回ると母さんは満足気に笑った。

「うん。美人よー!」

「ねえ、カウンセリング。何言えば良いのかなあ……」

 私の気分はあまり明るくない。

「それこそ、イギリス人の男の人が魔女だって話をしたら?」と、母さんは言った。

「近所のお年寄りをボランティアで訪ねてますって」

 いや、むしろキワコさんがボランティアでワタシの面倒を見てくれてるんじゃないでしょうか……



 カウンセリングが行われるのは、一見普通のアパートの一室だ。保険は効かないからかなりの出費になるのだと思う。申し訳ないな、といつも思う。

 予約はなかなか取れないのに、約束の時間に行って誰かと鉢合わせしたことはまずない。いつも、スズキ先生という女の先生が、静かに待っている。

「今日はユキノさんと二人でお話をしようと思うのですが……」

 先生が切り出すと、母さんは少したじろいでから、「わかりました」と頭を下げた。

「よろしくお願いいたします」

「はい。30分ほどですから、お茶でも飲んでいらしてください」

 先生は柔らかいけれども毅然とした口調で言う。

 母さんが部屋を出てドアを閉めるまで、先生は私に声をかけなかった。


「さて、今月はどうでしたか」

 言われて、私は言葉に困る。

 わからない。

「あまり……変わりはないかも……」

 どうしても声は小さくなった。何を言えば良いのかわからずに胸がキリキリする。

「そう。今はお母さんが仕事に行っている間、一人で家にいるのよね?」

 私は頷く。

「何をしてるのか教えてくれるかな」

「……いつもと同じ……です」

 私はうつむいて自分の手を見る。

「ご飯は一人で食べてるの?」

「あ、朝ごはんは家族で。お昼と夜はお母さんが作っておいてくれるので——一人で食べることが多いけど……あ。でも」

 ふと昨日のお好み焼きを思い出した。ズッキーニとポテチのお好み焼き。

「昨日は近所の人と食べました」

「そう」

 先生はそれ以上何も言わずに聞いている。何かを書くのでもなくて、ただただ聞いている。何か話さなくちゃいけないような気分になって、私は早口で言う。

「ズッキーニとポテトチップスのお好み焼きを、食べました」

「ズッキーニとポテトチップス……?」

「イギリスの日本料理なんだって、言ってました」

「イギリスの?」

「近所の人のお家に、イギリスからの人が泊まりに来てて」

 話し始めたら、なぜか止まらなくなった。ニワトコさんが「魔女」だということ。キワコさんは「猫ばあさん」と呼ばれているけれど、猫は二匹しかいなくて、二匹ともとても可愛かったこと。「けいしょうご」の話。日本人にしか見えないイギリス人を見たのは初めてだったこと。

 カウンセリングでこんなに話したのは初めてだ。

「またご飯を食べにおいでって、言われたんだけど、行くわけにはいかないでしょう。ちょっと残念」

「どうして?」

「え?」

「どうして行くわけにはいかないの?」

「だって、私……」

 学校に行っていないのに、ニワトコさんとご飯を作っているわけにはいかないじゃないですか。当たり前じゃないですか。誰かに見られたら何言われるかわからないじゃないですか。

「勉強はちゃんとやってるのよね?」

「はい」

「そこのお家でご飯を作っていると美味しく食べられるのね」

「はい。でも、母さんがなんていうか……」

「お母さんはなんていうと思う?」

「行かせたくないって思いながら、いってらっしゃいって言うと思う」

「どうしてお母さんはあなたを行かせたくないって思うと、ユキノちゃんは思うんだろう」

「だって」

 次の言葉は何も考えなくても出てきた。

「母さんは私のこと恥ずかしいって思ってるから」



 

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