仮装利益

 残っている3ヵ国は、どれも超大国と呼ばれている。

 向かったのは、そのうちの一国である中国。

 国連を通じて当局から要請を受けた三人は、二隻の宇宙戦艦と中立艇を天安門広場に着陸させると、中国政府のそのおかしな歓迎にただただ驚くばかりだった。

 宇宙戦艦が停船したと見ると、周りを取り囲んでいた人民解放軍がわっと押し寄せてきて、その場で歓迎の式典会場を設営し始めたからだ。

 二隻の船首が向いた場所に高さ数メートルにもなる壁を作り上げて国家主席の写真をでかでかと飾ったかと思えば、宇宙戦艦には勝手に「友好」や「朋友」などといった垂れ幕を飾っていく。

 少年と二人の姫にお付きの護衛たちが中立艇から外に出ると、軍楽隊が大音量で伝統音楽を演奏し始め、ヘリコプターから大量の紙吹雪を撒きだした。

 彼らを取り囲むようにして大勢のダンサーが現れると、ドラゴンの人形を操る竜舞をしながら踊り出す。

 まるで映画か何かをVRで体験しているような気分になった。

「……少年さま。これはいったい……?」

 エビ姫が目を丸くしながらあたりを見回す。

「何なんだ、あのでかい顔は。そんなものを船首に向けさせるとは……それに勝手に幕なんか垂らしやがって……」

 カニ姫はただただ戸惑っている。

 中国政府のその意図を、少年も計りかねていた。

 父親からのアドバイスを思い出す。彼らはメンツで動く、と。

「この国独特のパフォーマンスだと思います。写真を船首に向けているのは友好を示しているんじゃないかと。でも、もっと言えば……国内向けの意味が強いかもしれないです。写真に船首を向けさせる。つまり、この国に恭順の意を示しているんだと……」

 すると、カニ姫の護衛一人が慌てて宇宙戦艦へと戻っていった。

「あたしたちは惑星防衛連合なんだぞ? 誰にも恭順などせん! ま、待て……!」

「即刻やめさせなければなりません! 少年さま!? 早くお願いしますわ!」

 エビ姫も懇願するように叫ぶ。

 そんな三人の元へやってきたのは、人民服を着た中国政府の面々だった。

 握手を求めてきたため少年が手を差し出すと、彼を無視して後ろにいる二人の姫へと群がり、次々とひったくるようにして彼女たちの手を握った。

「ようこそ、異星の方々。我々は宇宙の同胞たるあなたがたを友人として歓迎します。まずは我が国の国家をお聞きください」

「そ、その前に……」

 少年が止めようとしたのも虚しく、竜舞をしていた人々が三人を取り囲むようにして配置につくと、大音量での国歌斉唱が始まった。

 すると、さらに人民軍の兵士たちが現れて、戦車やミサイルを使った軍事パレードも始まってしまう。

 空では戦闘機によるアクロバット飛行も行われていた。

 ひたすら歓声と拍手を繰り返す政府高官たち。

 三人があっけにとられていると、護衛に守られた国家主席がゆっくりと登場した。

 威風堂々という顔に笑みを浮かべると、まず二人の姫に握手を求め、さらには後ろに控える彼女らの護衛にまで挨拶を始めた。

 すると、どこからともなく現れたスタッフが絨毯を敷き、その上にテーブルと椅子を準備したかと思うと、コックたちがやってきてその場で料理を作り始めたのだ。

「さあ、姫さまがた、どうぞお座りください。護衛の方たちの分ももちろん用意しておりますよ。さあ、さあ!」

 顔を見合わせる二人の姫に護衛たち。

「毒も入っていなければ、エビとカニも入っておりません。オーストラリアやフィリピンでは何も振る舞われなかったとか。失礼極まりない。まずは食事をしてから、お話させてください。おい!」

 国家主席の一声で繰り返されていた国歌が止み、パレードが中断されて、戦闘機は四方へと散っていった。

 すると、いい匂いが漂ってくる。

 異星人も同じような食事が好みなのか、二人の姫がふらふらと席に着いてしまった。

 それを見た護衛たちも一人また一人と椅子に腰を下ろしていく。

「……いただくようです」

 少年の言葉を受けて、国家主席が彼女たちの向かいに座り、そうして中国主導の食事会が始まった。

 席を用意されなかった少年が、近くで立ちながらその行方を見守っている。

 まずはコックが、次に二人の姫それぞれの護衛が毒味をした。問題ないと判断されたため、彼女たちが恐る恐る料理を口に含む。

 すると、目が輝いた。

「うまい……!」

 中華料理は彼女らの胃を刺激したらしく、二人が勢いをつけて食べ始める。

 宇宙戦艦にはそれなりの食材とコックもいたはずだが、毎日同じようなメニューでは飽きてしまったのだろう。

 二人の姿を見て、護衛たちも食べ始めた。

 時おり旨いという言葉が漏れ聞こえてくる彼らを前にして、国家主席がエビ姫とカニ姫、両勢力の繁栄を願い、平和の使者として地球へ来てくれたことへの祝辞を述べ、酒の代わりに一杯300万円もする高価なお茶が振る舞われ、改めての乾杯が行われた。

「私どもの無知をお許しください。中華5000年の古来より食料としてエビとカニを食してきました。あなた方の子孫だとは知らなかったのです。その無知な私に……どうかお二方の故郷の話をしてくださいませんでしょうか」

 その要求に、二人の姫は目を見合わせて戸惑った。

 公式な話は全て少年を通す約束だったが、いったん食事をしてしまった以上、何か喋らないといけない――そんな揺れ動く気持ちが瞳に見て取れた。

「あの……彼女たちは本題に入ってほしいみたいです。どちらにつくか……」

「通訳は黙っておれ」

 少年の言葉を切って国家主席が睨み付けてくる。そして二人の姫に向き直ると、再び笑顔を浮かべた。

「確かに、お二方は銀河を統べる多忙の身。本題に入らせていただきましょう。かねてより平和を目指し宇宙にも通じる国家を目指していた我々の目的はただ一つ。地球と宇宙の架け橋になりたいのです」

「お二人はどちらにつくか選択しろと――」

「だから黙れと言っとるだろう! 目障りだ!」

 国家主席が一喝すると、彼の護衛たちが一斉に銃を構え、その銃口を少年に向けてきた。

 思わず口を閉ざしてしまう。

「何の能力もなく選ばれただけの身で偉そうな口を利くな、ゴミ」

 フィリピンのように中継はされていない。本当に撃たれるかもしれないのだ。

 少年は冷や汗が止まらなかった。

「すみません。大声を出してしまって。我々には技術も知識もありません。お二方の故郷が羨ましい。ですが、我々にも持っているものがあります。それは、お二方の舌を喜ばせたこの料理……」

 特に賞賛の言葉を連発していたカニ姫に向けて語りかける。

「銀河から見たら5000年という短い時間ですが、それでもその時間をかけて作り上げた調理技術。食べるという欲求は地球も宇宙も変わらないのです。我々はどちらにでもつく気でいます」

 さらにカニ姫を見つめてくる国家主席。

「この調理技術をもって通商条約を結んでいただけるほうに……!」

 中国はどうやらカニ姫側へすり寄ろうとしているらしい。

「だから、あたしたちは直接話す気がないと言っておるのだ」

 その視線に戸惑っていたカニ姫だったが、次の言葉を発しない国家主席に痺れを切らしたらしく、吐き捨てるように言った。

「ああ、そうでしたね。この役立たずの通訳がゴミなばっかりに……おい、連れてこい!」

 国家主席に呼ばれてスタッフが連れてきたのは、少年と同年代ぐらいの若者たちだった。

「さあ、こちらへ」

 国家主席に促されて、二人の姫がしぶしぶといった顔で席を立つ。

 怯えながら現れた二十人ほどの男女は、スタッフに中国語で怒鳴られると、彼女たちの前に背筋を伸ばして一列に並んだ。

「我が国最高の学府で様々な学問を修めたエリートたちです。この通訳と同じく、全員がエビとカニについて激しいアレルギーを持っています。どの者にしますか?」

「い、いや、そういうことじゃ……」

「ああ、お疑いなのですね。おい!」

 戸惑っているカニ姫をよそに国家主席が指示を出すと、コックがエビとカニの乗った皿を持ってきて、一番近くにいた若者に無理矢理食べさせた。

 驚く二人の姫。

 若者はみるみるうちに顔色が青くなっていき、唇が真っ赤に腫れ上がって苦しそうにうつむき始めた。

「な、何をなさったんですの!? アレルギーは命に関わるのですわよ! そうプログラムされた生理的反応なんですの! あっ!」

 倒れそうになった若者の肩と腕を、カニ姫が慌てて支える。

 すると、若者はさらに苦しくうめきながら地面に倒れ込んでしまった。

「お、おい、バカ! あたしたちが触ったんじゃ……」

「ああっ……!」

 近くにいた護衛やスタッフたちがスマホやカメラでその瞬間を押さえる。

 国家主席が呼ぶと、傍で待機していた医師と看護師がやってきて若者の応急処置を始めた。

 エビ姫が顔を青くさせる。

「まさかエビ姫様が手を出されるとは……驚きでした」

 うっすらと笑みを浮かべながら国家主席が二人の姫を見据えた。

「あ、あれは……事故ですわ」

「そうでしょうな。銀河救世教団の法王ともあられるお方が、我が国民を殺すなどとは考えられないでしょう」

 国家主席の口調が変わっていく。

「しかし、実際に触れていただき、ご自分の目で確認いただけたでしょう。我々もこうして命を張りながら、お二方の要求に応えようとしています。しかしカニかエビを選べば、海洋国家たる我が国では死ぬ国民も出てきます。喜んで死にゆく者などいません。どちらかにつくなら、少しでも利益のある方につきたい。それが我が国の結論なのです。だから取引なのですよ」

 彼の口調が強くなっていく。

 その瞳には決意とともに、二人の姫に対する侮蔑も含まれているように見えた。

 この国も他と同じだ。だが、他とは違う。

 少年は生唾を飲んだ。ここからが正念場だ。

「それで……どちらを選ぶんですか?」

 少年の言葉に、国家主席が明らかな不満を顔に出す。

「だから口を挟むなと言っただろう。……一つ言っておく。お前はこの方たちに選ばれた、ただの御用聞きに過ぎない。地球、ましてや我が国の代表として認めたわけでもない。わきまえろ」

 彼の護衛たちが銃口を少年に向けてくる。

 引き金に指を当てている者もいた。

 だが、少年はひるまない。

「だから御用を聞いてるんです。彼女たちは求めてる答えがどちらなのかを知りたいんですから。わきまえてます。それ以上のことは言ってませんよ?」

 舌打ちをした国家主席が二人の姫を振り返ると、彼女たちは少年の言葉に頷いているだけだった。

 これ以上は何も話さないという顔をしている。スタッフがやってきて、国家主席に耳打ちをした。

「お二方にもう一度聞きます。我が中国はあなた方の舌を満たす料理技術を持っています。どちらかと取引させていただけませんかな?」

「取引はせん。それがルールだ」

 カニ姫の言葉に、国家主席が笑う。

「そうでしょうな。しかし、あなたには聞いていない。どうです、エビ姫。先ほど姫の触られた者が息を引き取りました」

 えっと声を上げるエビ姫。

「まさか否定なされるわけではないでしょうな? この場にいる全ての者が見ていたのです。護衛の方々も。結論を出す前に危害を加える。これもルールなのですかな?」

「い、いえ……」

「だとしたら、それ相応の償いが必要でしょう? 彼にも家族があり、恋人がいて、輝ける人生が待っていた。彼を失った、それはすなわち我が国の損失なのです」

「う、うう……」

 エビ姫は弱り切っていた。戸惑う彼女の護衛たちが疑惑の視線を彼女に向けている。

 教祖に叱咤されたあとに現地人を殺害してしまった。弱り目に祟り目とはこのことだろう。

 そんな彼女にターゲットを絞った国家主席がニヤリと薄笑いを浮かべながら続ける。

「銀河救世教団は愛を解いていると聞きました。自分を愛し、他人も愛する。人々を思いやる心。異星人を殺すのがカニ姫の愛なのですかな? どうですか?」

「それは違いますわ……」

「しかし、あなたは殺した!」

 国家主席の恫喝に、エビ姫が小さな悲鳴を上げる。

「彼の命に見合うものをいただきたい。何も技術や知識が欲しいとは言わない。あなたがたで余っているものを」

「で、では……戦闘機を――」

 国家主席が口の端を吊り上げた時だった。

「おい、やめろ」

 カニ姫が割って入ってきたのだ。

「不幸な事故だったが、事故に過ぎん。そもそもの発端はお前らのショーだっただろう。何を居丈高と……お前らには選択という手段しか与えていない。さあ、決めろ」

「それが惑星防衛連合のやり方ですか? 武人らしい誇りも何もないようで。まさか副議長とはね。ははは」

「何だと、貴様……!」

 カニ姫が銃剣の切っ先を国家主席に突きつける。

「エビ姫さま。我々は何もかもを求めているわけではないんです。我々の損失を埋められるだけの何か……それだけでいいんです。戦闘機の一台、いやその半分でもいい」

 エビ姫は明らかに弱っていた。責められる彼女を見て心が痛む。

 だがその傍らで、少年はこれが論点なのだと気づいていた。

 カニとエビのどちらを選んでも、その損失を埋められるぐらいの経済力を中国は持っている。批判を押さえつける機能も力もあるのだ。

 つまり彼らが欲しいのは、異星人の技術や知識という利益に他ならない。

 それはルールとしてできないと決まっているが、与えないことには話が先に進まないだろう。

 では何を? オーストラリアの時のように仮装利益で与えるものなんてない。

 いや、ないと決めつける必要はないはずだ。

 他のやりかたもある。

「……エビ姫さん。技術や知識の供与ができないルールは知ってます。経済的な支援になることも。だったら、この宇宙戦艦を置いていったらどうですか?」

 少年のアイデアに、二人の姫は目を丸くした顔で応えた。

「な、何をおっしゃるのですか! これは教祖さまからお預かりした大切な旗艦ですの! それを明け渡すなど……断じてできませんわ!」

「少年、気でも触れたか? うちのには劣るが、それでも銀河では最上位クラスの戦艦だぞ? 命令一つで惑星の二、三個は粉々にできるものを」

「それはいい案だな。見直したぞ、通訳」

 二人が驚いているのを差し置いて、顔を明るくさせた国家主席が自信満々に頷く。

 まさか本当に宇宙戦艦をもらえるとは思っていないだろうが、何がしかのおこぼれにあずかろうという魂胆が見て取れた。

 そこにつけいるのだ。

「何も宇宙戦艦を譲渡しろという話ではないんです。それは明確なルール違反ですし。そうじゃなくて……ただ置いていくだけです。クルーは乗ったまま、カウントレースが終わるまでこの場所にあう。そもそも僕と二人がいれば済むレースですし、大所帯で動く必要もないですよね?」

 二人の姫は戸惑っていた。

 国家主席も彼の意図を図りかねているように、探りを入れるような目で見つめてくる。

「そこに何の意味があると言うのだ?」

「違います。意味はあるんじゃなくて、持たせるんです。正確には……今日の歓迎でしたようなことの意味を、です」

 それでも不満そうな国家主席を、少年はまっすぐ見つめた。

「主席。エビ姫さんは銀河救世教団の法王ですが、あくまで使者です。いくら失態があったとしても、教祖を差し置いての利益供与などできません。船をここに置いていく。それが姫のとれる最大限の取引です」

「だからと言って、その程度で……」

「その言葉は本気ですか?」

 少年が彼の目を見据える。

「どこの国にも一時停泊しかしなかった宇宙戦艦が、他でもない中国に停まってるんです。未知の技術と知識を持った船が。それがどれほどのインパクトを与えるか。主席なら、エビを失う以上――いや、それ以上の物を得られるのでは?」

 ルール上、最大限の譲歩をしている姿勢。与えられるものを何とかして探したという気持ち。

 それを受けた国家主席はくっと歯嚙みをした。

 だが、その表情で少年は勝ちを悟ったのだ。

「……エビ姫。中国の領土内に船を留めてもらえるなら、我が国はエビを選択しましょう。これまでのこともなかったものとして」

「……いいですわ」

 ――決まった。

 父親からのアドバイスはあったにしろ、予測不可能な中国を自分の力で説得できたのだ。

 ほっとため息をついた少年は、エビ姫と国家主席を交えて、宇宙戦艦の取り扱いについての相談をした。

 外装を剥がしたり、内部に入り込んだりはさせず、あくまでこの天安門広場に留めておくのみで、クルーとの接触ももちろん不可。

 映像や写真での撮影は構わないが、何の支援や協力もしていないことは少年が国連を通じて発表する。

 そうした約束を取り付けると、エビ姫は副官に艦の指揮を委譲すべく打ち合わせを開くと言って、宇宙戦艦の中に消えていった。

 彼女の戻りを中立艇で待っていると、カニ姫が少年をまじまじと見つめながら聞いてきた。

「それにしても……よくこの国は受け入れたな。実質的には何も提供してないのだぞ? なぜそれが成功した?」

「仮装利益というものらしいです。これも父から教えてもらったものですけど……」

 交渉の場では、お互いに自分の利益を求めて議論を交わしながら相手を説得し、合意を取っていく。

 その中では、自分がどれぐらい得られ、相手にどれだけ与えられるかがポイントになってくるのだ。

 しかし、与える利益が少なければ説得も効かない。かといって与えすぎれば自分の首を絞める。

 そこで出てくるのが仮装利益だ。

 具体的には、明確に存在しない仮の利益を作り上げて相手に渡すことで納得させるというものだ。

「それのプロセスでは、演出が必要だって言ってました。こちらがいかに苦しんでいるか。それによって渡す仮装利益が相手には大きく見えるんだそうです」

 カニ姫がはっと気づく。

「それがあいつだったのか」

「エビ姫さんのギリギリまで悩んだ姿を利用させてもらいました。ルールを破りたくなかったんです。ここまでの努力が水の泡になると思って……すみません」

「いや、別に……あたしに謝られてもな」

 とはいうものの、カニ姫が小さく頷く。

「しかし、ああでもしなければ面倒にはなっただろうな。カウントレースがどうなったかも分からん。ありがとうな」

 そこへエビ姫が戻ってきて、いよいよ出発となる。

 どうせ一隻になったのだからと、カニ姫の提案で、中立艇は使わずに彼女の船で移動することになった。

 次の国、ロシア到着までは一日の猶予がある。

 部屋をあてがわれた少年はそこで調べ物をしていると――艦内が異様に静かなことに気がついた。

 何かあったのだろうか。人影のない船の中を歩いていると、途中でエビ姫と会い、一緒にブリッジへと向かった。

「……!」

 メインモニターに映ったいかつい男性を前に、カニ姫とクルーたちが全員跪いていたのだ。

「貴様それでも軍人か! その無礼を前に何もしなかっただと!? 大将として恥ずかしくないのか!」

 激怒する男性の髪もまた赤く、左右に触覚のようなハネ毛が見える。

「議長、この地球は銀河の中心から離れた田舎なのだ。そんなところのデータなどない。分かったところで蚊ほどのヤツの挑発に乗る必要もないだろう」

 どうやら中国が二隻の宇宙戦艦に恭順させているように見せた演出がリークされたのだろう。

「その考えが甘いとなぜ分からん! このバカ娘! 蚊ほどのヤツから挑発された事実自体が不名誉なのだ! 軍の名誉を汚しおって! 大将から降格させてやる!」

 議長の言葉に、カニ姫がメインモニターを睨み付ける。

「だったら副議長からも解任したらどうだ? 今回のカウントレースになったその発端は、我が軍の一部の暴走が原因だったのだ。大将として更迭、副議長解任で丸く収まって――議長の顔が立つのならそれでいい」

「俺のメンツの問題じゃない!」

「メンツの問題以外に何があるのだ? 向こうから来た仲裁案に何一つ妥協できずに、こんな形で決着をつけようとしたのが何よりの証拠ではないか」

「バカ娘が何を言う……あれは我々の落ち度ではない! それにこれは全面戦争を避けるための必要な措置だったのだ!」

「だったら、議長の親父が責任を持ってカウントレースをすれば良かっただろう。あたしにやらせて批判と責任を交わそうとしていることぐらい、誰でも知ってるはずだ」

「その口の利き方は何だ! 次の議長にお前を押す声が議会の半分をやっと超えたんだぞ!? 今回の任務が終われば議長選だったんだ。それをお前は、ノコノコと……!」

「どうとでもすればいいだろう。議長になったところで、あたしは親父の駒にしか過ぎないことなど誰でも知ってるんだからな」

 血なのだろう、どちらも譲らない。

「貴様!」

 激高した議長が怒鳴りつける。

「親父が欲しいのは、お飾りのトップだ。院政できる相手ならゴミでも虫でも何でもいいんだ」

「今すぐ帰ってこい!」

「通信を切れ」

 オペレーターが戸惑う。

「どけっ!」

 カニ姫がコントロールパネルに駆け寄って、無理矢理メインモニターを切った。

「解散だ! 近いうちに全てが終わる! 配置につけ! 気を抜くな!」

 そう言ってブリッジを出てきたカニ姫が少年とエビ姫の姿を見つける。そして気まずそうに舌打ちした。

「……いつから見ていた」

 わなわなと震える声に、これまでのような威厳は見受けられない。

 そんな彼女にエビ姫も何か声をかけようとしたが、言葉が出なかったらしく見つめるだけで終わってしまった。

「……少し前からです」

「だとしても分かっただろう。あたしたちはこのレースに勝っても負けても、何も変わらないのさ。代理戦争もいいとこだ」

 護衛がやってきたのを後ろ目に、頷く。

「だが、戦うしかない。それがこんな間抜けなカウントレースだとしてもな。おい! 早く船を出せ! 次のロシアとやらへ向かうのだ!」

 そう言い捨てると、艦内の通路を足早に行ってしまった。

 大丈夫だろうか。

 そんな少年の思いがエビ姫にも通じたのだろう、彼女は何も言わずに歩き出した。

 その後をついていくと、何の表示も見受けられない通路をまるで知っているかのように進んでいき、目当てのドアの前で足を止めた。

 ノックしようとしたエビ姫の手を、少年が握って止める。

 耳を澄ますと、僅かにすすり泣きのような声が聞こえてきたからだ。

「止めておきましょう。一人の時間は大切ですから」

 少年の囁きに、なおも心配そうな目で見つめてくる彼女。

 しかし、彼は首を横に振った。

「副議長で大将、地球への使者の重圧から、せめて今だけでも解放してあげないと……」

 一瞬だけ泣き声が止む。聞かれていただろうか。

 少年の言葉を受けて、エビ姫は納得したようにその手を取ってそっと下ろす。

 だが、時既に遅し。

 少年はアナフィラキシーショックで倒れた。

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