不利益の回避

「オーストラリアへようこそ。私たちは宇宙からの使者を歓迎します」

 最初に訪れたオーストラリアでは、国をあげての大歓迎で迎えられた。

 首都キャンベルではパレードが行われ、首相官邸となるザ・ロッジに集まった国民数万人を前にして、国歌斉唱、全閣僚による挨拶と首相によるスピーチというセレモニーまで行われた。

 全ての人々に三人は受け入れられた。そんな錯覚すら覚えてしまうほどの歓待ぶりだった。

 そうして招かれた会談の場。

 臨席している全閣僚を横目に、オーストラリア首相は三人を前にしてこう述べた。

「遠くはるか彼方の星から我が国へご足労いただき、ありがとうございます。国連から連絡をいただいた後、ここにいる閣僚全員と一昼夜かけて議論いたしました」

 その結果は。息を飲んで次の言葉を待つ少年に、首相ははっきりとした意志を持つ目で続けた。

「我が国は多くの移民を受け入れた多文化主義のもと、多種多様な民族の方とともに暮らしています。他者を排斥する文化はありません。惑星防衛連合や銀河救世教団の方たちとも共生することは可能だと結論もでました。我が国は、誰とも分かりあえる未来を目指しているのです。しかし、それはオーストラリアという国家が自立した状態であることが前提なのです。この理想を貫くために我々が出した結論は――どちらの側にもつかないというものでした」

 やはりこういう答えになってしまったのか。

 少年は直前まで頭のどこかに住み着いていた「他国も日本と同じように楽勝だろう」の希望的観測を捨てた。

 そして考えを巡らせる。

 大国であるオーストラリアがどのような経緯でこの結論を出したのかが分からないと、導きようがない。

 滅ぼすぞという目をしたカニ姫を制するようにして、少年は答えた。

「しかし、事前にご連絡していた通り……中立や棄権は認められないんです。必ずどちらかを選ばないといけないんです」

「理想とは別にもう一つの理由があります。……正直に申しましょう。我々は伝統的に貴重なエネルギー源として、また海外との貿易のためにお二方の子孫となる甲殻類の漁をしてきました。我が国の多くの人々がそれで得た収入で暮らしています。いまそれを絶たれたら、多くの人が貧困に陥り、亡くなる人も多数出てくるでしょう。あなた方のお気持ちは尊重しますし、ルールも承知しておりますが……命には代えられません。我が国の理想たる未来を支えているのは他ならぬ国民なのです。そのため――選択できませんでした」

 首相のその言葉には、苦痛や苦悶といった感情が窺えた。

 政局を理由に棄権しようとした日本とは違う。

 考えの根本は同じなのだろうが、人の命がかかっているという前置きは、こちら側を悪に見立てさせるマジックワードなのだ。

 これは慎重な言葉選びと議論が必要になる。

「少年さま。分かっていると思いますが……」

 エビ姫が後ろに控える護衛たちを気にしながら、囁きかけてくる。

「もちろん分かってます」

 少年は父親のアドバイスを思い出していた。

 日本の首相が気にしていたのは票田のことばかり。ということは、カニかエビではなく票田についての議論をすれば、答えを導けたはずだと。

 それはつまり論点だと父親は言っていた。

 議論のポイントがどこなのかを探り当ててコントロールしていけば、望む答えに導けるだろう。

「首相。僕も海に囲まれた日本の出身で、同じ海洋国家であるオーストラリアの皆さんの気持ちを分かってるつもりです。ですが、これは一国家の問題ではなく地球全体の問題なんです」

 少年の言葉に、首相は意思の強そうな目で頷いた。

「分かっています。しかし、我々は地球を守る前にオーストラリアの国民を守る立場でもあります。前例のない、本当にされるかどうかいつになるかも分からない攻撃。それに対して、貧困と飢えはすぐに――そして必ずやってきます」

「彼女たちは全てを捨てろとは言ってません。あくまでどちらにつくかを選んでほしいという話なんです」

「ですが、全てではないにしろどちらかを捨てる必要があるということになります。その影響は決して小さくないのです。ただ漁を止めるだけではありません」

「と言うと?」

「漁を止めた漁師は職を失うでしょう。船にガソリンを提供していたスタンドや、船のメンテナンス業者も仕事がなくなるのです。オーストラリア自慢のクラブやロブスターが食べられないと分かれば、観光客も減り、レストランが閑散とします。バタフライ効果ではなく、実際に起きるドミノ効果です。もちろん政府はそういった人々を支援しますが、国庫にも限りがあるのです。……お分かりください」

「ごもっともです」

 ここまでの話で、少年はやっと論点を見つけることができた。

 保障ができないということなのだ。

 オーストラリア全体の経済から見ても、この二つの品目が占める割合は経済を揺るがすほどのレベルではないことを、少年は事前に調べて知っていた。

 だが、漁の停止や観光業の痛手は目に見えるマイナス効果となり、ニュースやSNSで取り上げられることによって呼び水と化し、国を混乱させる不測の事態を生むだろう。

「来る前にオーストラリアの漁獲量を調べました。比べると、エビよりカニの漁獲量が多いんですね。タスマニアキングクラブやマッドクラブは、海外の人も好きだと書いてありました。これが失われるのは辛いですよね?」

 首相は少し驚いたような表情をした。

「よくご存じで……観光地では大きなカニの料理が好まれています。それを当てにしたレストランもあり、食材を提供する漁師がいて、漁の見学ツアーも賑わっています」

「それも見ました。それでしたら、エビの側について、その損失分をカニで埋めるのはどうでしょうか?」

 少年の提案に、閣僚たちは顔を見合わせた。そして一斉に苦虫を噛みつぶしたような表情に戻る。

 そんなことは議論し尽くしたとでも言いたげだ。

 首相が空咳を一つ入れて口を開いた。

「言葉では簡単ですが、失った分の保障はたやすいものではありません。漁獲量では差があるものの、ロブスターもまた主要な海産物で、その額は莫大なものになっています。ドミノ効果まで考慮した財源がないのです」

「ですので、エビ漁をしている人たちをカニ漁に切り替えるんです。それで補填できますよね?」

「それも難しいでしょう。そもそも漁の方法が異なるのです。漁をする場所も漁の仕方も、船も装備も違うのです。政府は新たに装備一式を提供できるほどの余裕もありません」

 少し見誤っていたらしいと少年は思った。

 失った分を持っている分で少しでも補うのではなく、その分を他で埋め合わせることができなければ無理だと言っているのだ。

 マイナスを埋めるのはプラス。しかも他の産業で埋め合わせるのですら厳しいと言っている。

 では技術を提供してはどうか? しかし、それは二人の姫から出されたルールに反することだし、彼女たちからの了解が貰えるわけもない。

「やはりないようですね。我々も同じ結論に達しました」

「……いえ、あります」

 ない。そんな方法などないのだ。

 どうやってマイナスを埋める? 考え続けていたら、頭の中が沸いてきてしまった。

 浮かんでくるのは、穴のぽっかり空いた地面の後ろに、山となっている掘り出した盛り土のイメージしかない。

 掘った土はいつもどうしているのだろう。捨ててしまうだけだろうか。

 もったいない。

「そうです」

 気づいたのだ。元から考えていたプランにもぴったりと合う。

「……売ればいいんです。マイナスを」

「マイナスを……売る?」

 首相が訝しげに少年を見つめた。

「そうです。仮にエビを選んだ場合、今後いっさいエビ漁ができなくなります。でも、エビがなくなるわけじゃないですよね? 相変わらずエビは海の中にいるんです。なくなるのは、エビを捕る権利。だから、その権利を手放すんじゃなくて、売るんです」

 ああ、という声が会議の場に広がった。

 首相も頷いている。

「カニを選んだ国に、エビの漁業権を売るのですね? その分をエビ漁の関係者に補填しながら、シフトしていく」

「これなら、シフトをしなくてもできることがあります。漁業権を売った先の国はエビ漁が盛んになりますよね? 船を売ったりメンテナンスを請け負ったり。採り方のアドバイザーとしても活躍できます」

 徐々に首相の顔が明るくなってきた。

「それはお互いに補填しあうことも意味しているのですね? 確かにいいアイデアです。他国との関係改善にも使えますし、交流が増えることで他の分野でも経済を刺激することでしょう。私は問題ないと思います。……皆はどうかな?」

 話を振られた閣僚たちは口々に意見を述べたものの、そのほとんどは賛成と見られるものばかりだった。二、三人だけ否定的な見方の発言をした人もいたが、少年の出したアイデアの対案は出せずに話を終えていた。

 彼はまっすぐに首相を見つめて言った。

「オーストラリアなら、きっと乗り切れるはずです」

 何の根拠もない言葉ではなかった。

 農業、漁業、サービス業のバランスが良く、ここ二十年にわたってGDPがプラス成長を続けている数少ない国の一つなのだ。

 特に近年では、アジアでの需要が高まった石炭や鉄鉱石などの資源鉱山の採掘に対する投資で設けた人々が、新たな仕事を生み出しているらしい。

 その一つに観光業もあって、それは政府が後押ししているのだ。

 漁業に携わる人々の受け入れ先は充分にある。

「……エビを選びましょう」

 しばらく考えていた首相は、そう言って力強く頷いた。

 カニ姫がチッと舌打ちする。

「しかし、これは迫られた上での判断だということを覚えておいてください。我が国は惑星防衛連合と敵対する決意をしたわけではありません」

「日本も同じことを言っていたな。ふん。好きにしろ……!」

 彼女の言葉を受けて、閣僚たちから小さなため息が漏れ聞こえてきた。

 首相も安堵の表情を浮かべる。

 それが確かな話ではなかったにしろ、未知の技術を持った宇宙戦艦の持ち主たちから破壊されるかもしれなかったのだ。

 彼らの気持ちもよく分かる。

 条約への調印などは考えていなかったため、少年は念のため首相に頼んでマスコミのカメラを会議室の中に入れてもらい、改めてエビ選択の事実を世界へと公表してもらって、会談を終えた。

 スマホで父親から国連にも伝えてもらう。

 そして次に訪れる国についての検討を始めた。

 オーストラリア上空に長く留まることは誤ったメッセージを伝えかねないと考えたため、太平洋の真ん中へと二隻の宇宙戦艦を移動してもらいつつ、中立艇の中であれこれ考える。

 すると、世界が動いたことを知らされた。

 オーストラリアに対する柔軟な対応が功を奏したらしく、残っていた東南アジアの国々は各国で連携を取り合い、お互いに漁業権を交換する協定を結ぶことで結論を出してきてくれたのだ。

 父親からの連絡を受けて、一気にカウントが進んだことを知らされた。

 エビ側が95、カニ側も97となり、惑星防衛連合に若干のリードを許した形となった。

 残り4ヵ国。

 少年はほっとため息をついた。

「鮮やかでしたわね。あんな提案は聞いたことがありませんわ。いったい、どこであのような交渉術を身につけてきたのですか?」

 中立艇にやってきたエビ姫が少し感動しているような顔で、少年に問いかけた。

「うちの父からです。……と言っても、外交官として体験したエピソードを聞いてただけですけど」

「そうだったのですね。それで――今回のはいったいどのような技だったのですか? 逆転の発想、なのですか?」

 まるで必殺技のように言うエビ姫の話に、少年は小さく吹き出してしまった。

「強いて言うなら、仮装の利益、ですね」

「……何ですの?」

「人を説得する方法はそんなに多くないそうです。その中でも、一番いいのは相手に何か利益を与えることで説得する方法です。でも、僕には与えられるものがありませんでした」

「そうですわ。技術供与も経済支援もありませんでしたもの」

「だから、利益を生み出したんです。正確に言えば……不利益の回避ですね。エビを失う不利益をその他の方法で埋めるという利益を与えたんです。結果的にはゼロですけど、でも、相手にとってみたら失うはずだった不利益が埋められた――つまり利益と勘違いしてもらったんです」

「ああ……確かに。結果的に利益は変わっておりませんもの」

 エビ姫が尊敬のまなざしで少年を見つめてくる。

 この人はいい人かもしれないと、彼はそう思ってしまった。

 法王というだけあって礼儀や振る舞いには高貴さがにじみ出ているが、その一方で素直な性格をしている発言が所々で見られる。

 使えるかもしれない。

 少年はそんなことを考えながら、次に訪ねる国を伝えて出発してもらうことにした。

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