ただの話し合い
そうして少年と二人の姫は、世界各国を巡る旅へと出発した。
姫たちが乗ってきた宇宙戦艦は次元ドライブ、つまり空間をワープできる代物だった。小笠原諸島沖で浮かんでいたはずが、次の瞬間には東京上空に移動することも可能である。
だが少年は「比較的ゆっくり」移動してもらうことにした。
その目的は二つ。一つは、空に突然宇宙戦艦が現れたことによるパニックと、そこからくる強烈な拒否反応を防ぎたかったためだ。国民が予想外の行動に出てしまい、交渉相手の首脳もその影響を受けて極端な結論を出しかねない。
もう一つは、少年の時間稼ぎだった。何とか結論の先延ばしには成功したものの、これから待っているのは手練手管の各国首脳を相手にした議論と説得という駆け引きの頭脳戦だ。
当然ながらそんな経験もない少年は、相手がどんな国かを理解し、交渉する首脳がどんな人物かを調べる時間が欲しかったのだ。
何せ、少年はどこにでもいる四人家族の長男であり、成績も運動も並程度の妹に、NPO法人でのんびりと社会貢献している母親、そして外交官をしている父親だが、帰宅すればプラモデルが趣味の普通の中年。
頭をフル回転させて臨まなければならない。
相手をいかにして説得するか。宇宙戦艦がゆっくりと移動しているあいだ、ずっとその方法を考えていた。
そうしているうちに東京の上空にたどり着くと、日本人たちは行動を起こすでもなく、ただその行方を見守っているだけのようだった。
安全だと分かったのだろう、報道各社のヘリコプターが宇宙戦艦のまわりへハエのようにまとわりつき、地上では何万人もの野次馬たちがスマホで撮影大会をしながら後を追ってくる。
父親に算段をつけてもらった通り、永田町へと移動して首相官邸の上空に停船させると、少年は二人の姫とそれぞれの護衛を連れて透明カプセルに乗って地上へと降り立った。
マスコミのカメラが放つフラッシュライトが火花のようにちらつく中、少年たちは案内されるがまま首相官邸へと入り、四階にある特別応接室へと通された。
同席しているのは、少年がテレビで何度も見たことのある閣僚たち。
「よく来てくれました。文化と緑の国、日本へようこそ。その後はいかがでしたか? 彼は失礼なことをしていませんでしたか?」
少年を差し置いて、首相はにこやかな笑顔を浮かべながら二人の姫に挨拶をした。
しかし少年を通すというルールによって、彼女たちには無視されてしまった。仕方ないという顔で少年に話を聞き事情を知った首相は、あきれ顔をしながら彼に向き直り話を続けた。
「君が世界の代表になる? とんでもない。お二方、年の雰囲気は同じように見えますが、この子はまだ未成年なんです。何をするにも親が必要な年齢ということです。何の権利も持たない、庇護される側という意味ですね。アレルギーの人間が必要でしたら、我が党出身の元文科相が甲殻類アレルギーなので、ぜひそちらと――ひっ!」
苛立ったようなカニ姫が腰に下げていた銃剣を抜き、その切っ先を首相の喉元に突きつけた。
「何度言わせるのだ。お前と喋る気はないと言っただろう。さあ決めろ。カニかエビかを」
冷や汗をだらだらと垂らす首相。
「そ、それではカニに……」
これが一国の首相か。少年はため息をつきながら補足した。
「首相。カニの側についた場合、同族となるんです。つまり、今後一切カニを食べられなくなるんですよ? 国民全員が」
「何だって? それは困る。漁業関係者の反発を招くじゃないか。漁協は大事な票田なんだ。もしやエビも……?」
頷くエビ姫。呆れた顔をしながらカニ姫が銃剣を下げた。
「では、どちらの側にもつかないと言ったら……?」
「中立は許さないと言ってました。それは両方への敵対行為になりますから」
「そ、それでは……我が国と通商条約を――」
「それも無理だそうです。条件なしでどちらかにつけということでした」
少年の言葉に、首相は言葉を詰まらせた。
そしてそっと後ろずさった首相が、傍らに控えていた閣僚たちとひそひそ話し始める。
「じゃあ……間をとってクジラにしませんか? あれならあってもなくてもいい。イルカもです。国際社会にアピールできるし、票田も減らない。そこらへんでどうでしょう?」
地球の危機だというのに、それほど有権者へのアピールが大事なのだろうか。
選択した理由が票のためだなんて、喜ぶのは議員だけだ。もし仮にこの選択で地球が滅んだとしたら、日本国民は死んだあとも魂となって首相を恨み続けるだろう。
少年は試すことにした。
「いいですか、首相。何事にも穏やかな日本人が怒るのは食べ物のことだけ、そう世界では揶揄されてます。だからこそ、日本の選択は重要な意味を持つんです。指針になる、つまりは世界の見本となるんです。それを踏まえた上で……どちらを選ぶんですか?」
くっと歯噛みする首相。
「二択しかないのか。……であれば答えを出そう。そのためにはまず臨時国会を召集して、議論を交わす必要がある」
「いつ答えが出るんですか?」
「それは……関係団体の意見も聞きつつ、与党内の調整をして、野党とも合意した上で――一ヶ月ぐらいか」
「遅い!」
カニ姫が吐き捨てるように言った。
「この惑星として結論を出す期限が一ヶ月だ。あと十分やる。決めてこい!」
怒鳴られた首相は不快そうな表情をしたが、やむなしと判断したのだろう、後ろに控えていた閣僚たちを連れて応接室を出て行った。
どちらにするのだろう。そしてその理由はいったいどのようなものか。
きっかり十分後にやってきた首相は額に浮かぶ汗をハンカチで拭いながら、少年にこう告げた。
「日本国はカニを選びましょう」
カニ姫の顔がぱあっと明るくなる。一方でエビ姫は不満そうに首相を睨んでいた。
「理由を教えてください」
少年の問いに、しぶしぶといった顔で首相が二人の姫に向かって口を開いた。
「まず最初にご理解いただきたいのは、日本が四方を海に囲まれた海洋国家だということです。そのためカニとエビは、どちらもはるか昔から大切なエネルギー源として消費してきました。つまり、どちらも大事でどちらが上か下かという議論はありません」
カニ姫がふんと鼻を鳴らす。
「これは単に政治的な問題なのです。カニを多く扱う業者の献金先が野党だった、それだけの理由です。好き嫌いではなく、純粋に政治的な問題だということをご理解いただきたい」
やはり理由は有権者の票だった。
地球の危機だというのに政局でしか物事を考えられない日本に少年は心底がっかりしたが、その裏で彼はほくそ笑んでもいた。
一応は経済大国と言われている日本が、特に何の議論も交渉もないまま二択の条件を飲み、選んできたからだ。
議論のシミュレーションなどする必要もなかったらしい。
この前例を武器に各国との確認を進めていけば、少年の目的を達成することができるだろう。
「どのような事情であれ、我々を選んだことは正解だろう」
カニ姫の勝ち誇った笑顔を見て、エビ姫がくっと歯噛みした。
「次こそは……!」
そうして少年と二人の姫は日本を離れ、世界を飛び回ることとなった。
と言っても、国連加盟国196ヵ国の全てを訪れようとしていたわけではない。一ヶ月の期限をすぐに使い切ってしまうからだ。
少年が採ったのは、首相を通じて国連から加盟国に対して事情を説明してもらい、彼が選んだ国々にいる日本の大使からエビとカニのどちらにつくのかを確認してもらうことだった。
もちろん、アンケートのようにすぐに答えが集まってわけではない。当然ながら詳しく話を聞かせてほしいという国や回答を保留にする国も出てきたため、少年が通訳を使って詳細を伝えたりして答えを引き出した国々があった。
明確な回答が得られたのは170ヵ国で、エビとカニでそれぞれ同数のカウントを集めることができた。
しかし、それでもまだ26ヵ国が残っている。
その国々は大使を通じた回答や話し合いすらも拒否し、あくまで異星人――二人の姫と直接話がしたいと申し出てきたのだ。
「ここにいたのか」
透明カプセルにいた少年を見つけて、カニ姫がやってきた。
「他に行くところもないですから。……ところで、ここって何なんですか?」
「エビ姫と話すためにカウントレース中に作った会談の場だ。中立艇と呼んでいる。ところで……少年はなぜ、残りの国にも通信で選択を突きつけなかったのだ?」
「残ってるのが海洋国家なんです。地球で一番広い、太平洋に面した国々……それらの国では、この選択が致命的になるからです。通信じゃとても難しそうで」
「もう一つの大西洋という海もあるのだろう? そっちの国々は通信で説得していたではないか」
「そうもいかなかったんです」
訝るようなカニ姫の視線を、少年はまっすぐに受け止めた。
やましい気持ちより、やらなければならないという気持ちが、顔から嘘を消していく。
詐欺師の才能があるのではと思ってしまった。
「少年。分かっているだろうが、あたしはその国々と話をする気はないぞ。あくまでもお前が、この地球の代表として話をとりまとめるのだ」
「分かってますけど……もし本当にどちらも選べないという国が出てきたらどうするんですか?」
「だから棄権は許さないと言ったはずだ。その時は本当にその国を滅ぼす。ただ威力が強すぎて地球ごと吹き飛ばしかねないが」
「……頑張ります」
そこへエビ姫もやってきた。
「また時間をかけていくのですわね? それは何ですの?」
「衛星電話と充電器です。これで情報収集しないと……」
「不便なものだな。まあ、致し方あるまい。久しぶりに海の上をゆっくり飛ぶとするさ。つかの間の息抜きだ」
「そうですわね。本当につかの間の……」
太平洋を南西に向かう二隻の宇宙戦艦とその間に浮かぶ透明な中立艇。
少年はスマホで必死に情報を収集し、父親にも連絡してアドバイスもしてもらった。
そんな彼をよそに、二人の姫はどこまでも続く青い海原を見て目を細めている。
残り26ヵ国への訪問がいよいよ始まったのだ。
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