見せかけの譲歩

 長い説明を聞いた後、少年は大きなため息をつくと、絞り出すような声で答えた。

「だから二つの宇宙戦艦であちこちを調べてたんですね? それで……地球はどちらが多かったんですか?」

 二人の姫が顔を見合わせて、首を横に振る。

「それがな、少年。この惑星ではほぼ同数という結論が出たのだ。実際は優勢が見受けられないからという理由ではあるが、彼女のほうも同じ結果だった」

 その言葉で、少年は何となく察した。これは大きなアドバンテージになるかもしれない。

「……もしかして、最後の惑星が地球なんですね?」

 彼の指摘にカニ姫が頷き、エビ姫も困っているのですとこぼした。

「他の惑星も探したのです。中心から徐々に外側へとチェックを進めてきて、銀河の渦状腕にある惑星も全て調べた上で、この地球が最後だったのですわ」

「そういうことだ。だから、この惑星の統治者にどちらへ属するか決めてもらおうとしたが、まだ惑星はステージ2の状態で、統治者がいないと言う。しかも、あたしたちの同族を習慣的に食べていたのだ! ……そんなヤツらとは話もしたくない。だから探していたのだ。我々の子孫たる人物を」

 少年がはっと気づく。

「まさか、僕がアレルギー持ちだから選ばれたんですか?」

「少年、そのまさかだ。調査した結果、お前にはどちらの生体組成情報も含まれていた。アレルギーとは、言わば同族を食べるなという生理的作用が体に現れるものだからな」

「で、でも……そんな人、たくさんいるじゃないですか」

 いいえ、とエビ姫がかぶりを振る。

「恐らくは、この地球を訪れた冒険者の撒いた子孫の『種』となる生命体が、こちらの原始的な知的生命体に取り込まれたのでしょう。だから、わたくしたちに近いのです。そしてその純度が極めて高いのが、あなただったのですわ」

「そうだ。いいか少年、お前がこの惑星の代表として決めるのだ。この惑星はカニだと……!」

 そう言うと、カニ姫がギラつかせた目で少年をねめつける。

「そんなプレッシャーはよくありませんの! 少年さま。エビを選んでいただければ、この勝負は丸く収まるのです。我が教団は愛と慈悲に溢れる集団なのですから」

 エビ姫が両手を合わせて慈愛に満ちた表情で少年を見つめた。

「まだお前はそんな世迷い言を……!」

「何度でも言いますわ!」

 困った。なぜ何の能力も特技もない一介の高校生たる自分が、この地球を代表しなければならないのか。

 だが、この状況では代表から下りることもできない。

 決断は自分に委ねられている。だからこそ、聞かなければならないことがあった。

「……ちなみに、負けたほうはどうなるんですか?」

 その問いに、カニ姫が不思議そうな目をした。

「その前に、なぜお前はこう聞かないのだ? 『どちらにつけば何をくれるのか』と――普通はそういう質問が先にくる。他の惑星でもそうだった」

「それもありますけど、そもそもこの競争――カウントレースは、全面戦争の代わりなんですよね? 銀河全体がかかってる勝ち負けが、それで終わりってことはないと思って。そしたら、地球だって巻き込まれるかもしれないじゃないですか」

 もっともだと言わんばかりに二人の姫が目を見合わせる。

「その可能性は否定できんな。だが、それは内紛という扱いだ。勝負には関係ない」

 カニ姫が答えた。エビ姫も続ける。

「敗軍の将に兵はついてこないのです。負けた勢力は失望して瓦解することでしょう。その場合、もっと強いリーダーを求めての内部紛争が始まるのですわ。きっかけとなった惑星がどうなるかは……保障できませんの。そして、相手の混乱を突いて襲い、勢力を完膚なきまでに叩くのでしょう。お父様――いえ、教祖は慈愛に満ちた方なのでそのようなことはありませんが」

「うちらがそうするって言いたいのかい? だったら最初からやっているさ。この場で殺されたいようだね!?」

「それこそ全面戦争が起きますわよ!?」

 睨み合う両者。

 護衛たちも再び銃口を上げて相手の護衛に向けている。

 どちらについても、地球が勝敗のトリガーを引いた場合は無事では済まないらしい。

 だったら、勝負に参加すること自体が無意味だ。

「……地球が中立を宣言したらどうなるんですか?」

 どうにかしてこの状況から逃れられないものかと、少年は聞いてみた。

 しかし、彼女たちは険しい顔をしてかぶりを振る。

「惑星防衛連合は第三の勢力を認めていない。つまりこの惑星を破壊することになる。そういう命令だからな。先に言っておくが――この戦艦は恒星破壊級の能力を持っている。惑星破壊級の艦載機十機もな。銀河広しとは言え、このクラスを運用しているのはあたしぐらいなものだ」

「わたくしたち教団はそのような残虐なことはいたしません。ですが……この結果が銀河ネットワークを通じて信者たちにブロードキャストされた場合、過激派が暴走してしまうかもしれませんの。反逆者に対する神の怒りは雷となって、この地球に向けられることでしょう。わたくしたちのこの競争に、銀河中が注目しているのですから」

「お前たちのほうが残虐じゃないか。いつだって神の名の下にすぐ殺す」

 また言い争いが始まった。

 その様子を見て少年はさらに困惑する。自分の選択、それもたった一言が地球の運命を変えてしまうからだ。

 しかもそれは火種となって、銀河の趨勢すら動かすことになりかねない。

「さあ少年、決めるのだ。この地球はカニに属すると……!」

「いいえ。この惑星はエビなのですわ」

 たった一言で二十億もの惑星に住むさらにその何十倍もの知的生命体の未来を変えてしまう。

 そんなことがあってはならないのだ。

「全面戦争による徹底的な殲滅戦を避けるためにカウントレースをしてるんですよね? でも、その先にあるのは相手の内紛を突いて戦争をするなんていう、あまり変わらない結末。なのに……そのトリガーを無関係の僕なんかに委ねるのはおかしくないですか?」

 この質問は核心を突いたらしい。

 二人の姫はどう答えていいか分からないように押し黙った後、眉間に皺を寄せながら口を開いた。

「ち……違いますわ。わたくしたちだけでカウントレースを進めたらそうなるでしょうけれど、最終的な審判を第三者の方に下されれば、両者が納得できるのですから」

「答えになってませんよ。誰がどう審判したって、その後が同じなんですから」

 エビ姫の反論はなかった。彼女を庇うようにカニ姫が少年の前へ出てくる。

「そんなことはやってみないと分からないだろう。あたしたちはそれぞれの代表なのだ。あたしたちの決めた勝負に口出しはさせん。もう決めたことだ。これ以上口を挟めば……殺す!」

 カニ姫の護衛たちが、今度は少年に銃を向けた。

 ギラリと光る銃口。実弾が出てきて撃ち抜かれるのか、それともレーザーで焼き殺されるのか。死に方のイメージすら掴めない。

 怯えていた少年だったが、深呼吸して彼らを見据えた。

 もう後には戻れないのだ。

「納得できないんですよ。傘下にある十億の惑星はどちらに忠誠を誓うか、すぐにデータで集められたでしょうけど……この天の川銀河には二千から四千億の恒星があるって勉強したんです。惑星だったらその何倍もあるはず。なのに……全部なんて確認しきれるはずないんです」

 少年の指摘に、今度はカニ姫が黙った。

「地球が最後の惑星なわけがないんです。まだ他にもあるはず……何を隠してるんですか? 教えてください。全ての情報がないと、僕だって決断を下せません。そんな安易な決定じゃないんです」

「口達者なヤツめ……」

 カニ姫がちらりと背後の護衛たちを見やる。エビ姫も同じそぶりを見せた。

 彼女たちには隠し事がある。それも根本的な問題だ。

 それを探る必要がある。

「きっと負けたほうの勢力は、カウントレースの最後の惑星になった地球に怒りを向けて滅ぼしにかかるでしょうね。それで手打ちにするつもりですか? 悪いのは地球だと」

「そんなことはない」

「じゃあ、教えてください。本当のことを。僕は七十億の人間の命を預かったことになるんです。立場は二人と同じなんですよ」

 しかし、今度はカニ姫がはっと笑った。

「たかが七十億がなんだ。あたしはその何倍もの命を預かっているのだぞ? 親父はそのさらに十億倍だ」

「なるほど、そうですか」

「……何だ少年、その不気味な笑みは」

「だから、七十億ぐらい無駄にしてもいいとおっしゃってるんですよね? 評議会副議長で大将、つまり兵士たちを守る立場でもあるあなたが、命を粗末にする――そんなことを言ってていいんですか?」

 少年が語りかけたのは、背後に控える護衛たちだった。

「こんな辺境の惑星じゃ何が起きてもおかしくない。七十億の命ぐらいどうでもいいなら、みなさんぐらいの数は誤差のはず。ここで撃ち合いがあって死んでも、何とも思われない。可愛そうですね」

 哀れみの言葉を投げかけられた彼らは、互いを見合わせながら動揺しているようだった。

「貴様ァ!」

 激高したカニ姫が、鎧の腰に下げていた銃剣を抜いて少年の喉元に刃を突きつけた。

「……エビ姫さんも同じ考えですか? 地球ぐらいどうなってもいいと?」

 彼女は背後の護衛たちを振り返らなかった。胸を張って堂々と答える。

「違いますわ。どの命も等しく大事なもの。教祖さまがいらっしゃったら、少年さまに天罰のガンマ線バーストを落とすことでしょう」

 そう言いながらも、エビ姫はドレスのどこから出したのか、小さなハンドガンの銃口を少年に向けた。

「僕を殺しても、何の解決にもならないですよ?」

「ああ、そうだろうな。だが代わりはいくらでもいる。ここまできたら、少しぐらい引き延ばしたって構わないのだ。何なら、この惑星を舞台に一暴れしたっていいのだぞ? 全てお前の責任でな」

 その言葉で少年は事情を察した。これで自分が何をすべきかよく理解できたのだ。

 思わずニヤリと笑ってしまう。

「……気持ち悪いヤツだな。それでどうするのだ? 殺されるか決断するか。はっきりしろ」

「ふん。腹をくくったようだな。それでいい。手間をかけさせやがって」

「ですが、僕には196もある国の総意をとる力はありません。意見もなかなかまとまらないでしょうし。そこでこういうのはどうでしょう? それぞれの国にもカニかエビを選んでもらって、多数決を採るんです。二人がやってるカウントレースの地球版。多い方が勝ち。これでどうですか?」

 突然出された少年の提案に、二人の姫は顔を見合わせた。

 言葉は交わさずにアイコンタクトで何かを語り合っている。しかし、結論は出たようだった。

「……分かった。お前にはお前の立場がある。それもやむなしだろう」

「わたくしも承知しましたわ。ですが、どの国も棄権は許しません。あくまでどちらにつくかです。いいですわね?」

「もちろんです。その結果にお二人が従う。それでいいですね?」

 二人の姫が頷いた。

 すぐあとに、エビ姫がはっと気づいて少年を見つめる。

「もしかして……ゲームの条件を変えたのですわね!? この短い間に……!」

 それは少年の目論み、その最初の段階だった。

 お互いに譲れない条件があり話が膠着している状態が続いたとき、最大限の抵抗を見せ相手に必死な感情をつらつらと訴えたあとに、小さな譲歩をしてみせる。

 これにより、相手は一瞬だけ自分たちの主張が受け入れられたと思い込む。しかしそれは譲歩ではなく、本来の目的だったのだ。

 男女のやりとりで考えると分かりやすいだろう。デートをしたい彼女と出かけたくない彼氏。最初は旅行に行こうとせがんで断られ、次に遠出をしようとして断られる。そこで悲しそうな顔で「近場でいいから行きたい」と本来の目的であったテーマパークでのデートを提案して「それぐらいなら……」とイエスを引き出すのだ。

 そこに気づいて相手が前言撤回をしてきようものなら、こちらの思うつぼ。

 いわゆる見せかけの譲歩という交渉テクニックだった。

「こいつ……主導権を奪いやがった……」

「今さらナシにはできないですよね、副議長?」

「くっ……」

 最初は二人の姫しかいなかったカウントレースというゲームの中に、少年はまんまとプレイヤーとして入り込むことに成功した。

 あとは二人がゲームから降りる方向へと導いていけばいい。その時間を稼ぐことができたのだ。

 それぞれの護衛たちが二人の姫に集中する。

 カニ姫側の一人がゆっくりと前に出てきて、彼女に耳打ちした。

「姫様。お父様から課せられている条件があるのをお忘れなく……」

「わ、分かっている!」

 カニ姫は焦ったような顔で少年に向き直った。

「少年、そちらの条件は呑んでやる。だがこちらにも制約があるのだ。まずは回答期限。無期限はなしだ。地球で言うところの一ヶ月だけ時間をやる。それ以上待つことはまかりならん。次は――どちらの側についたところで、何の見返りも与えない。経済的、技術的な支援の一切をだ」

「分かりました。まずは報告をします」

 透明なカプセルの隅に移動してスマホを取り出す。どこにいたって聞こえてはしまうだろうが、気持ちの問題だ。

 なるべく下を見ないようにしながら父親に事の経緯を伝えると、「ただの延命措置になるかもしれないが、地球を守ってくれ」と再び頼まれた。

「後で聞いて戸惑わせたくないから言うが……既に日本ではお前を叩く声が出始めている。うちの家族を脅迫するヤツらもな」

「どうして僕が? 何も悪いことしてないのに」

「端的に言えば、異星人から選ばれたことへの僻みだ。なぜ政府はまともな人選をしなかったのか……政治家、タレント、実業家……皆が皆、自分のほうがうまくやれる、あんな子供に任せるなと」

「だって、相手が僕にって言ってきたんだよ?」

「そうだ。だからお前は、家のことは心配せずその役目だけに専念してくれ。家族は俺が守る。お前は――地球を守ってくれ」

 滅多に聞かない父親の真剣な声に、少年は力強く頷いた。

「やるしかないんだよね」

「そうだ。男には一生に一度、こういうときが来る。お前は少し早かっただけだ。いいか、頼るべきは地球を守るという己の信念と、自分の力だ」

「力なんてないよ」

「あるだろう? こうして譲歩を引き出せた。お前は頭が回る。言葉を使え。俺が色々話したことを思い出すんだ」

 まさにそれが、見せかけの譲歩だった。

 普段のコミュニケーションにも使えるからと、父親が駐米大使館の外交官として様々な交渉や折衝、調整をしていたときのエピソードを、機密に触れない程度で話してくれていたのだ。

 知識としては覚えておいたものの、実践したことなど数える程度しかない。

 だが、それを発揮するときがきたのだ。

「……分かったよ。頑張る……!」

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