第30話

《いし……さ。石津少佐、聞こ……か?》

「柘植博士!?」


 俺は一度、目標の様子を見遣ってから振り返り、猛ダッシュで装甲車に戻った。後部ハッチに回り、身体を捻じ込む。『貸してくれ!』と半ば怒鳴りながら、通信係からヘッドフォンを引ったくった。


「こ、こちら石津少佐! 柘植博士、通信可能なんですか!?」


 口角泡を飛ばす俺とは対照的に、博士は穏やかな口調で呟いた。


《なんだ、通信できるようになるじゃないか》

「はか……せ……?」

《ああ、すまない。こちらの話だ。端的に言うぞ。こちらは雷撃砲を懸架しているヘリだ。コードはスーパー04。ECCMの広域展開に成功した。だから今こうして話せているわけだが、お陰で雷撃砲の稼働時間が短くなった。残り二十分といったところだ》


 口早に説明された俺は、なんとか情報をまとめようと試みた。こちらも急き込んで質問をぶつける。


「博士、まさか雷撃砲の懸架ヘリに乗ってるんですか?」

《そうだ。それはさておき、時間がない》

「どうしてそんなことを? まるで制限時間を設けるようなことをするんです?」

《制限時間は雷撃砲の問題だ》


 軽い咳払いが聞こえる。


《今、雷撃砲がオーバーヒート状態になった。こちらでは詳細が掴めないが》

「怪獣の……目標の発した熱線が、雷撃と真正面からぶつかったんです」


 ふむ、と息をつく博士。


《それでか。雷撃の出力が安全圏を超えたんだ。自己診断プログラムを走らせたところ、射程も稼働時間も大幅に制限されることになった。目標を確実に駆逐するには、奴の前方一〇〇〇メートルまで接近しなければならない》

「そんな馬鹿な!」


 俺は思いっきり掌をコンソールに着いて喚いた。


「目標の熱線の最大射程は七百メートルです。しかし、目標が狙いを定めれば、射程がどれほど伸びるか知れたもんじゃない! 危険すぎます!」

《今叩かなければ、奴はすぐに雷撃砲に対抗できるだけの知性と強靭さをもって襲ってくるぞ》

「そ、それは……」


 待てよ。だったら航空支援を要請すればいい。しかし、そんな俺の考えを見越したのか、博士は落ち着いた、しかし沈んだ声で告げた。


《ECMを解除して通信できるチャンネルは、生憎君の乗っている装甲車と、そこから延びる有線通信型ヘッドフォンだけだ。他の部隊を動かすことはできない》

「そんな!」

《とにかく、我々は第三射の射撃可能空域まで接近する。目標の動きは逐一知らせてくれ》

「あっ、待ってください博士!」

《なんだ?》


 俺はなんとか、通信の尻尾を捕まえた。そして一つ、博士に問うた。


「何故博士が、雷撃砲の輸送任務に同行しているんですか?」

《君にばかり一方的に『現場を見ろ』とは言ってはおられんだろう? それだけだ》


 そして今度こそ、ぶつり、とあからさまな音と共に通信は途絶された。


「石津少佐、指示を」


 そう尋ねてきた壮年の兵士に向かい、俺は告げる。


「目標の様子は、私が常に監視する。通信係は、こちらからもスーパー04に通信できるか確認しろ。向こうの通信係に届くかどうかだ」


 復唱が続く中、俺は先ほど車体上部に出たハッチから上半身を乗り出し、有線式双眼鏡を手に取った。

 今度は流石に、目標も『熱線で霧を断つ』ことができなかったようだ。双眼鏡を赤外線視認モードに切り替えると、上半身を起こしながらも、うずくまるように背を折る目標の姿が見えた。負傷部位は熱を帯びて察知される。どうやら熱線によって偏向した雷撃砲の残滓は、目標の右脇腹を掠める形となったらしい。


 目標は、少なからず体力を消耗している。もう一発、叩き込むことができれば――。


「少佐! スーパー04より、『射程内突入及び雷撃砲再充填まであと十分』とのことです!」

「了解」


 しかし、うかうかしてもいられない。目標は上体を上げ、咳き込むような所作を取った。一見弱気になったかにも見える。だが、目標はすぐにかぶりを振って陸地、ビル群、青空を睥睨した。恐らくは、その先に待ち構える収束雷撃砲をも。


 決心がついたのか、目標は前進を再開した。ゆっくりと、しかし一歩一歩着実に。

 傷に響くのだろう、右足を上げるのがやや億劫でいるようだ。俺はすかさず頭を引っ込め、通信係に声をかけた。


「目標、時速約十五キロメートルで進行再開。懸架ヘリ部隊に伝えろ」

「了解! ――返答あり! 作戦に支障なし、です!」

「よし」


 俺は再度遮光眼鏡を掛け、その上から双眼鏡を覗き込んだ。

 焼けつくような期待と焦燥感が、胃袋の中を上下する。これほど長い十分間を、俺は今まで経験したことがなかった。

 目標は、既に足音が立つほど浅瀬に入っている。

 さあ、もう少しだ。今度こそ――。


「少佐、収束雷撃砲第三射、カウントダウン入ります! 十、九、八……」


 俺は復唱も忘れて、双眼鏡の向こうの目標を見つめ続けた。


「五、四、三」


 しかし、カウントダウンは中断させられた。なんの前動作もなく、目標が熱線を放射したのだ。


「!?」


 それは、今までの熱線に比べて音もなく、極めて薄いように見えた。


「何だ……?」


 いいや、違う。薄く見えるのは、熱線が細いからだ。まさか――。


「全機、回避だ!!」


 俺は叫んだ。その直後、目標に向かっていた雷撃砲は照準が大きくずれ、海面を叩いた。目標は、熱線の狙いを細めることで、その射程を伸ばしたのだ。もしかしたら、いや、雷撃砲の軌道からして間違いない。――懸架ヘリは、撃墜された。


「少佐!」

「どあ!?」


 俺は思いっきり足を引かれ、尻餅をつくように装甲車の床にへたり込んだ。

 ヘリがやられた? 雷撃砲は? 博士はどうした? 作戦はどうなる?


 何を喚いていたのか、自分でもよく分からない。しかし、気づいた時には俺は年嵩の兵士に羽交い絞めにされていた。


「落ち着いてください、少佐! ヘリが撃墜されました! 収束雷撃砲は上空一〇〇〇メートルより落下、損傷度合いは分かりません!」

「なんだと!?」

「雷撃砲はもう使えないんです! 作戦失敗です!」


 そんな、馬鹿な。本当にそうだとしたら、懸架ヘリの搭乗員たちは? 柘植博士は? 博士の奥さんは? 皆が皆、無駄死にだったというのか? 博士の身元を割り出すまでの間、数年にわたって怪獣に立ち向かってきた仲間たちも?


 俺は、自分の足元から地面が裂けていくような錯覚に囚われた。今までの先人たちの痛みも苦しみも、全てがこの一騎打ちのためにあったというのに。俺は、一体何をしてきたんだ? 上官と部下という関係の中で、他人に死傷を強いてきただけではないか。

 俺は、俺は、俺は――。


「俺はッ!!」


 ヘルメットを脱ぎ捨て、装甲車の内壁に頭突きを繰り返す。

 俺がもっと優秀だったら。俺が俺でなかったら。現実の俺は、なんて無力なんだ。


「うああああああ!!」


 俺が喚き叫んでいる、まさに最中だった。


《こちらスーパー04、石津少佐と話したい。取り次いでくれ》

「ッ!!」


 俺は割れた額からの流血を気にも留めずに、マイクに飛びついた。


「は、博士!? 無事なんですか!?」

《その話は後だ》


 ヘリが撃墜されたのに、博士は無事だったのだろうか。微かに急き込む博士。


《スキャンしたところ、雷撃砲はまだ生きている。撃てるとすれば、残り一発だ。だが、配線が一部外れている》


 博士は該当ユニットの番号を告げた。


《誰かに来てもらって、修繕を試みるしかない。一番近くにいるのは君の率いる観測班だ》

「そ、それは……」

《……私は動けん。年寄りの最期の頼みだ。来てくれ、石津武也少佐。君なら……》


 そして無線の向こうからは、風鳴だけが虚しく響くばかりとなった。


 雷撃砲はまだ生きている――。その言葉が、俺の狂った頭を急速に冷却した。

 まだだ。まだ戦える。博士がどうなったのかは分からないが、彼は作戦を続投すべしと俺に言い残した。これに従おう。


「ヘリの撃墜された座標を送ってくれ」

「少佐、どうするおつもりで?」

「私が雷撃砲まで走って、修繕する。さっきのユニット名は?」


 これです、と言って通信係がメモを取り出した。すぐに暗記する。


「ここに残った者は目標の観測を続けて、危険と判断したらすぐに退避しろ」

「し、しかし! 少佐! 石津少佐!」


 俺はヘルメットを被り直し、顔についた血を拭って装甲車から飛び出した。


         ※


 外は酷い有様だった。繰り返された雷撃砲と熱線の応酬で、あちらこちらのビルが途中からへし折られ、融解し、瓦解している。コンバットブーツでなければ、とても駆け回ることはできなかっただろう。

 とは言っても、俺は元々現場に出る人間ではない。自分の体力のなさは、以前の怪獣上陸の際に嫌というほど実感している。

 それでも。

 それでも俺は、今までに命を落とした人々――そして今後、命を落とすかもしれない人々――、その無念を晴らさなければ。

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