第25話【第五章】
三日後、東京都八王子市・防衛軍兵器製造ドック。
俺と菱井少尉、それに柘植博士は、防衛軍本部を離れ、収束雷撃砲の製造過程の視察に来ていた。ちなみにちゃっかり怜が同行しているのは、怜の要望を受けた博士の『頼み』である。
「うわあ……」
思わず、といった風に少尉が声を上げる。博士は満足気に頷き、怜はそれなりの好奇心を湛えた瞳でガラスの向こうを覗いていた。視察者の安全確保のため、収束雷撃砲の製造・組み立ては防弾・耐熱ガラスの向こうで行われている。
「いかがですか、博士?」
「ああ。よく出来ているな。やはりここのスタッフは優秀だ」
俺が尋ねると、博士は腕を組んでそう答えた。
しかし、尋ねた当の本人である俺だけが、複雑な顔をしていた。いや、皆の表情を覗き込んだわけではないので確定事項ではない。だが、少なくとも俺には気にかかっていた。博士がどんな思いで、対怪獣用決戦兵器の製造を見守っているのか。
「博士、少しよろしいですか?」
博士は振り返らずに『何かね?』と尋ねてきた。本来なら二人っきりで話すべきことであることは百も承知。だが、ここにいる四人は全員が博士の事情を知っている。尋ねてみようか。
「よろしいんですか? あなたはこの兵器の開発をしていたから、この国に裏切られて奥様を殺害されたんですよ?」
すると博士は腕を組んだまま、微かに俯いた。
「確かに自分の研究を憎んだだろうな。もし私を引き戻しに来たのが、君でなければ。石津武也少佐」
「どういうことです?」
すると博士はようやく振り返り、俺と目を合わせた。そこに怒りや悲しみといった色は見られない。
「君は立派に現場を経験し、多くの市民を救った」
「確かに約束ではそうです。でも、奥様のことは……」
「妻との約束のことも、君には話したはずだが?」
博士は俺の心中を覗き込もうというような、しかし飽くまで温かな瞳で俺を見つめている。
「博士はこれでよろしいのですか? ご自分の才能を、奥様を殺めたこの国のために活かす形になってしまって……」
「今はいい」
「は?」
「今はもう構わない。そう言ったんだ」
俺は、いつの間にか項垂れていた自分の顔を上げた。博士の瞳には一点の曇りもなく、しかしどこか、揺らいでいるように見えた。微かな水滴が膜を成しているのだろうか。
「約束は守る。自分はそういう人間だと、私は君に言ったはずだぞ、少佐」
「そ、それはそうですが」
すると博士はすっと右手を挙げ、俺の言葉を柔らかく制した。
「私はまだ若い君の勇気に、希望を見出したんだ。同時に、この国は救うに値する祖国なのだと、実感させられた。妻が生きていれば、きっと許していただろう」
そういうものだろうか。
「それは、自分が防衛軍の兵士であって、義務に基づいて行ったことで――」
「それだけかな? 私はそうは思わない」
人差し指を立て、ゆっくりと左右に振って見せる博士。
「正義感でもいい。使命感でもいい。なんなら、復讐心でもいい。君は心の底から、怪獣の被害を減らそうと思い、そして今自分にできることを立派にやったんだ」
「しかし、前回の怪獣上陸での死者数は五千人を超えています! 私が救えた人数など、焼け石に水です! もっと自分に力があれば――」
「馬鹿者!!」
俺は思わず息を飲んだ。たった今まで穏やかだった博士が、鬼神のように豹変して怒号を上げたのだ。
居合わせた少尉は短く悲鳴を上げ、怜までもが目を真ん丸に見開いている。
「石津少佐、君は今、何を言ったか分かっているのか!? 謙遜だとは言わせんぞ、人命が懸かっているのだからな!! 自分一人で全ての命を救えるなどと考えているのか!? 思い上がりもいい加減にしろ!!」
『博士』と声をかけようとして、俺は口をパクパクさせた。なんと言って落ち着かせればいいのか分からない。落ち着かせる権利が自分にあるのかも分からない。
しかし、博士の叫びはそこまでだった。全身にまとった憤りの念はさっと消え去り、肩は落ちて顔は一気に老け込んだように見える。まるで、咲き誇った花が枯れていくのを高速再生で見せられているかのようだ。
「私に前言撤回をさせないでくれ」
枯れ木が風に吹かれるような声で、博士は言った。それからもごもごと口を動かすが、言葉にならない。
「すみません、博士を部屋にお送りしてきます」
そう申し出たのは、今まで無言を貫いていた怜だった。
「行きましょう、博士」
「すまない」
博士は怜に手を取られるようにして、ゆっくりとその場を後にした。深い影を、その顔に刻みつけながら。
※
視察を終えた俺と菱井少尉は、すぐにヘリで防衛軍本部への帰途に就いていた。羽崎中佐に、兵器の製造過程を報告する義務がある。
だがそれよりも俺は、柘植博士の様子ばかりが気にかかっていた。こんなことで報告が疎かにならなければいいが。そう自らを客観視するものの、さして頭の中身は変わらない。
博士の激昂ぶりを見るに、きっと俺にはまだ驕りがあるのだろう。それが『人命に懸かっている』と言われてしまっては、目の前で両親を殺された俺は胸中穏やかでいられない。
「あっ、少佐!」
反対側の席を見ると、小声で少尉が身を乗り出し、窓枠から地上を見下ろしていた。
そこにあったもの。もはや確認するまでもない。美優の入院している病院だ。一体何度この上空を通過したことか。
「少尉、そのくらい俺にも分かって――」
と言いかけて、俺の脳裏にいくらかの映像が去来した。怪獣の出現前、美優がどんな女の子であったか。現在のところ、どんな状態に置かれているか。そしてもし、怪獣さえいなければ、どのような人生を送っていたか。
「菱井少尉」
「はッ、なんでしょう?」
「俺は羽崎中佐に進言したいことがある。その時になったら、援護してもらえるか?」
すると少尉は微かに頬を染め、視線を泳がせながら『は、はい!』とどもりながら返事をした。
「その内容はだな――」
※
「特別被災病院の手前一キロメートルを最終防衛線にしたい、と?」
「はッ」
帰って早々に、俺と羽崎中佐は顔を合わせた。そばには菱井少尉が控えている。
「目標の遠距離攻撃――熱線の射程は約七百メートルです。医療施設にその被害が及ぶのは、なんとしてでも避けねばならない事案と考えます」
中佐はテーブルの反対側で肘をつき、指を組み合わせて深いため息をついた。
「石津少佐」
「はッ」
ぐるりと眼球が、その狙いを俺に定める。
「君は極めて優秀な部下だった。階級が逆だったら尊敬に値する、といっても過言ではなかった」
『だがな』と微かに声を震わせながら中佐は言った。
「私が思うに、お前は妹さんの身を守りたいだけなのではないか?」
図星だった。だが、考えるべくもなく、俺の言葉は決まり切っていた。
「おっしゃる通りです。しかし、病院に寝かされている人々が避難の必要に迫られた場合、一体どれほどの時間がかかるか、ご承知でしょう?」
「それはそうだが」
さも当然だという雰囲気の中佐。俺は言葉を継いだ。
「であれば話は早い。怪獣を最も近づけてならないのは病院とその関連施設です。あとは避難指示を早急に出すことで、住民の避難完了を確認できる。いかがですか」
「悪くない案だな。そしてその最終防衛ライン到達までに、目標を収束雷撃砲で駆逐する、と」
「はッ」
『だがな、石津少佐』。そう言って、中佐は身を乗り出してきた。
「その考えに至るには、お前の個人的な都合が入り込みすぎてはいないか? 妹さんを危険にさらしたくない、と。違うか?」
反論はここまでだった。あとは中佐の独壇場だ。立ち上がり、小さく歩き回りながら、淡々と言葉を紡ぎ出す。
「確かにお前の考えは理にかなっているし、異論はない。だが、そこに至るまでの考えが甘い。我々はかつての自衛隊ではない。軍隊だ。多数のために少数の犠牲を強いられる立場にある者たちだ。その現場指揮官たるお前がそんな考えに囚われるとは、意外や意外」
俺には、ぎゅっと唇を噛みしめることしかできない。
「前向きに検討は試みよう。だが、私はそのプロセスに納得しかねている、ということは覚えておけ」
以上だ。退室してくれ。――その言葉が、これほど突き離すように聞こえたのは初めてだった。結局、俺と菱井少尉が合わせてかかっても、羽崎中佐の信念の前には無力なのか。
その時だった。俺の相方、菱井少尉が口を開いたのは。
「それはおかしいです」
ぴたり、と。こちらに執務机に向かおうとしていた中佐の足が止まった。
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