第24話

 その腕の細さ、血管の浮き出た生々しさこそ、俺にとって一番の恐怖だったといえるかもしれない。


 いつも俺の後にくっついて、サッカー選手の真似をしていた美優。

 クリスマスパーティの席で、ケーキの大きさで俺と喧嘩になった美優。

 海へ行くことを誰よりも楽しみにしていた美優。


「こんなはずじゃなかったんだ」


 なんの脈絡もなく、俺の口から零れ落ちた言葉。怪獣――奴さえいなければと、またいつものように感情が昂ってくる。

 そんな俺の胸中を察してか、博士が動く気配がした。怜に『我々は外で待とう』と指示しているのだろうか。


「菱井少尉」


 俺は、自分でも思いがけないことを口にした。


「君は少し残ってくれないか。気まずくなければ、だが」

「えっ? あっ、はい!」

「では、私と怜は外で待つ。構わんかね、石津少佐?」


 その博士の問いに答えたのは、俺ではなかった。


「大丈夫です。少佐には私がついていますから」


 意外なことだった。少尉が自ら、俺のお守りを買って出るとは。

 博士と怜は、思いの外すんなり納得したらしい。スライドドアの開閉音がして、背後の人の気配がなくなった。一方、少尉はどうやら、俺と同様に膝を床についてそばにいることにしたようだ。俯いてばかりの俺を見ていても、面白くもないだろうに。


「大丈夫ですよ」


 と、少尉は言った。一体何が大丈夫なのか、俺には皆目見当がつかない。それでも、彼女は言った。『大丈夫ですよ』と。


 柘植博士の協力を得て、怪獣を確実に倒すことができる、という意味か?

 その作戦で、互いに生き残ることができる、という意味か?

 はたまた、医学の進歩で美優が意識を取り戻す、という意味か?


 もしかしたら、その全部かもしれないし、全部違うかもしれない。だが、俺を励ますでもなく責めるでもない、そしてなんの具体性もない『大丈夫』という言葉が、俺の胸に微かな灯りを灯してくれたのは事実だ。


「ありがとう」

「いえ」


 短く礼を述べ、返事が返ってくる。それだけのことで、俺は『人を救う』ということの真価の新たな一面を見せつけられたような気がした。

 気づいた時には、俺は号泣していた。

 突然泣き始めたわけではないと思う。本当にいつの間にか、涙が頬を滑り落ち、そのまま涙腺が決壊し、肺の躍動を抑えきれなくなったのだ。


 もしかしたら、少尉の言った『大丈夫』という言葉は、『俺は一人ではない』という意味だったのかもしれない。少尉自身だって怪獣孤児であろうに、どうして孤児同士で励ましたり、励まされたりするのだろう。

 俺は心が弱いから、励まされる側になっているのだろうか。

 そんな俺の心境を見透かすような、それでいて温かい何かが俺を満たした。それは言葉ではない。俺の背にそっと当てられた、菱井少尉の手の温もりだった。


         ※


 気づいた時には、随分時間が経っていた。眠っていたという自覚はないのだが、そういうことらしい。もし落涙を止められないでいたとしたら、今頃俺は脱水症状を起こしていただろうから。

 痺れた足でゆっくりと立ち上がり、時間を確認。面会可能時刻を三十分も過ぎている。それなのに、看護師のうち誰も注意しに来なかったのは何故だろう。

 パチンと自分の両頬を叩き、視線を下ろすと、少尉が腕枕をして眠っていた。ひざまずいた姿勢で、よくも眠れたものだ。他人のことは言えないが。


 俺は美優の心電図が穏やかに波打っているのを確かめてから、そっと少尉の肩を揺すった。


「菱井少尉」

「ん……」


 少尉はすぐに気づき、ぼんやりとした目で辺りを見回した。それからしゃがみ込んだ俺と目を合わせ、もごもごと口を動かした。


「も、申し訳ありません少佐、自分、ついウトウトと……」

「気にしないでくれ。それより、もう十七時だ。早く防衛軍本部に帰ろう」

「はい」

「多分足が痺れているからな、ゆっくり立つんだ」


 そう言って、俺は少尉に背を向けた。

 廊下に出ると、ドア正面のソファに博士と怜が座っていた。博士は研究資料を、怜は文庫本を読んでいる。

 すると、博士はゆっくりと顔を上げた。


「面会時間を知らせに来た看護師たちにはお引き取り願ったよ」

「あ、ありがとうございます」


 善行とは言いづらい。だが、ありがたいことに変わりはなかった。


「菱井少尉は?」

「今起こしました。間もなく出てくるかと」

「そうか」


 博士が読んでいたファイルを鞄に戻すのと、少尉が出てくるのは同時だった。


「皆さん、失礼しました。私が眠ってしまったばっかりに……」

「いや、眠ってしまったのは俺も一緒だ。では、ヘリに戻りましょう。よろしいですね、博士?」

「大丈夫だ」


 そばでは怜がすっと腰を上げた。


「では、屋上へ。ヘリのパイロットには、俺から何か奢ります」

「無事怪獣を倒すことができたら、な」


 眼鏡の淵をきらりと光らせながら、博士は軽く微笑んでみせた。


         ※


「では、あなたは防衛軍を名乗る者たちに半強制的に連行され、地下の産業廃棄物処分場で新兵器の実証試験に付き合わされた、と?」

「その通りだ。羽崎中佐」

「ふむ……」


 俺たちはひとまず、防衛軍司令部に戻ってきた。既に太陽はビル街の向こうへと没し、屋内はどこもかしこも電灯に照らされている。

 特に、今俺たちがいる特別面談室は、間接照明で部屋全体がぼんやりと暖かいようにも見える。ちなみに『俺たち』には菱井少尉も含まれる。


 今、柘植博士は羽崎中佐による聴取を受けていた。階級的には中佐の方が上だが、博士の方が一種の風格がある。俺は今更ながら、博士が本気で対怪獣用決戦兵器の開発再開に闘志を抱いていることをひしひしと感じた。

 が、その前に、前回の怪獣上陸時における事故についての説明が必要だと中佐は判断したらしい。それには俺も博士も異論はなかった。


「柘植博士、あなたはその試作兵器の使い方を兵士たちに教えたのですか?」

「なにぶん拳銃をこめかみに当てられていたものでね」


 博士は肩を竦めた。


「危険だから止めておけと言ったんだが、彼らは耳を貸さなかった。死者を責めるのは私の趣向に反するが、それでも自業自得といったところだ」


 それを聞いた中佐は暗いため息をつき、背もたれに寄りかかった。

 博士自身は、兵士たちの実験そのものには付き合わなかったらしい。もしその場にいたら、爆発で彼自身も命を落としていただろう。


「では、本題に入りますが――」

「大丈夫かね? 中佐。だいぶお疲れのようだが」


 眉間を揉みながら言葉を続ける中佐に、博士は淡々と声をかけた。


「怪獣はいつ現れるか分かりません。柘植博士、あなたこそよろしければ、今お教えいただけますでしょうか。その対怪獣用決戦兵器の内容を」

「分かった」


 すると、博士はくたびれたコートの胸ポケットから一枚のチップを取り出した。立体映像の情報が入っているらしい。博士は慣れた手つきで、中佐と向かい合っているテーブルの端末差込口にチップを差し込み、起動した。

 軽い擦過音がして、テーブル上に薄水色の映像が展開される。同時に、少尉が気を利かせて部屋の照明を落とした。そこに映し出されていたのは――。


「収束雷撃砲だ。正式名称はまだ決めていない」


 皆が口の中で、『収束雷撃砲』という言葉を転がす。


「それは一体、どのようなもので?」


 中佐が至極真っ当な質問をする。テーブル上に展開されているのは、太い円筒状の物体だった。端に表示された縮尺からすると、全長が三十メートル、直径が十二メートル。


「人工の雷を発生させ、その周囲の電磁波を操作して狙いを定め、射出する」


 博士は立ち上がり、ポインターを手に説明を始めた。まるで大学教授だ。


「雷の潜在的エネルギーの強大さは、皆も知っての通りだ。しかし雷は、雲の中、あるいは雲から地面に向かって、通過しやすい方向にしか進まない。それを制御する電磁波を、砲塔と目標の間に走らせ、落雷のエネルギーをそのまま目標に叩きつける。簡単に言えばそんなところだ。これなら、未だかつてない損傷を怪獣に与えることができる」


 一息ついて、博士は説明を続けた。

 現在、設計図は完成していること。射程は怪獣の熱線よりずっと長いこと。エネルギーの充填に、最低一分はかかること。ヘリで吊り上げて使用すれば、地上への被害は最低限度に抑えられること、など。


「各フェーズの進行は、特殊なレーザー通信で八王子から行うことができる。副作用として広範囲にECMがかかってしまうが、そのレーザー通信を使えば問題ない。それよりも、収束雷撃砲を吊るすヘリがECMの影響を受けないように、何らかの処置を施す必要がある」


 すっと腰を下ろす博士。俺たちは博士の説明を反芻しながら、立体画像に見入っている。


「了解しました、柘植博士。よろしければ、明日八王子で収束雷撃砲の製造監督の任に就いていただきたい。よろしいですか?」


 羽崎中佐の言葉に、博士は大きく首肯した。


「承知した」

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