第23話
博士は吐き捨てるようにそう言った。
「そんなことがあったんですか」
と応じた少尉の言葉を聞きながら、俺は複雑な心中を分析しようと試みた。
まずは、怒りがある。博士に対してではなく、彼に兵器の使用を強要した防衛軍の兵士たちに対して。博士が連中に妻のことを語ったとは考えにくい。だが、博士から試作品を奪って使用に踏み切ったというのは、あまりにも無情ではないか。
それも、ただの試作品ではない。博士が人生の伴侶を失う元凶となった、そんな兵器だ。
それと同時に、疑問、否、希望的観測が湧き上がる。もしかしたら、今の博士に頼めば、その兵器を完成させてくれるかもしれない。いや、間違いなく完成させてくれる。
『君は現場を知るべきだ。そうすれば再び兵器開発部に戻ろう』。その約束があればこそ、俺は怪獣のもたらした惨状を目にしてきたのだ。命懸けで。
「博士、改めまして、私からお詫びを申し上げます。部下が大変なご無礼を致しました」
「少佐?」
突然語りだした俺の肩に、少尉が手を載せようとする。だが、そんなことはお構いなしに、俺はその場で膝をつき、土下座した。
微かに陽光の差し込むこの部屋に、意外なほど穏やかな沈黙が訪れた。
俺はぎゅっと目をつむっていたものの、すぐ前で誰かが膝をつくのは気配で感じられた。博士で間違いないだろう。
「顔を上げてくれ、石津少佐」
「いえ。まだ足りません」
俺はますます額を強く床に擦りつけた。
「奥様の件も」
びくり、と博士が身を引く。
「大切な人を亡くしたのは、自分だけだと思っていました。そんな実感しかなかったのです。でも――」
俺は確かに見た。怪獣の通過後に残された、多くの人々。
彼ら、彼女らには、一人一人にまだ未来があったはずなのだ。それが無残に踏みにじられていく様を、俺は見た。
「俺が馬鹿だったんだ。自分のことしか頭になくて……。それと同じくらい酷いことが、怪獣の足元で起こっていたなんて……。あれは、あれは酷すぎる」
俺は目頭が熱くなって、落涙を食い止めるのに必死だった。
「確か君は、怪獣の初出現時にご両親を亡くされたんだな」
「はい」
なんとか声を絞り出す。
「ようやく君も、私と似たようなものを抱えることになった、ということか」
博士の意図することは、よく分からない。しかし、今までよりもずっと優しい声音であることだけは分かった。
「行くぞ、怜。準備してくれ」
その言葉に、ようやく俺は顔を上げた。
「行くって、どこへ?」
「決まっているだろう、防衛省技術研究本部だ。それとも、私に戦車に乗って戦えとでも言うつもりか?」
「い、いえ」
ポカンとした俺は、さぞ間抜け面だっただろう。だが、博士も怜も急ぎ足で動き始めたことは分かった。
「博士、このファイルは?」
「処分してくれ。そっちのノート類は青のバッグに」
「分かりました」
「は、博士……」
俺がようやく声をかけると、博士は鞄をデスクに置いて振り返った。
「どうした、少佐?」
「えっと」
「私は、約束は守る人間だと自負している。約束を守れなかったのは智美――妻のことだけだ。必ず幸せにすると言ってプロポーズをしたのにな」
自虐的で弱々しい笑みを、博士は浮かべた。『とにかく』と言って息を吸ってから、博士は言葉を続ける。
「対怪獣用決戦兵器の開発を再開する。防衛省の協力がなければできない。早く連れて行ってくれ。君は立派に、私の要求を満たした。今度は私が、君の要求を呑む番だ」
「あっ、だ、だったら!」
俺は慌てて立ち上がり、博士の手を取った。
「是非会ってもらいたい人間がいます。身内ですが、よろしいですか」
今度は博士が呆気に取られる番だった。
「か、構わないが、菱井少尉や怜は?」
「同道してもらった方がいいですね」
俺の言葉に説得力があったのか、博士はカクカクと首を上下させた。
「そういうことなら、我々も行こう。ヘリの定員はどうだ?」
「余裕です」
「分かった」
「では、全員屋上へ。ヘリを待たせてあります。菱井少尉、念のためヘリに連絡を頼む」
「あっ、は、はい! 了解しました!」
こうして俺たちは、エレベーターに乗り込んだ。
※
都内上空をヘリで移動すること、約十分。俺たちは近づいてくるヘリポートを見ていた。
《こちらでよろしいですか? 少佐》
「ああ。手間をかけてすまない。第二棟に頼む」
パイロットにそう告げて、俺はふっと息をついた。菱井少尉が何事か尋ねようとしたようだが、さっと俯いてしまったので気にしないことにする。すぐに目的は分かるはずだ。特別に語る必要もあるまい。
「パイロットは待機してくれ。三十分もすれば戻る」
《了解》
すると、軽い振動を伴ってヘリは無事着陸した。自分たちがどこに向かっていたのかは、全員が既に把握している。ヘリポートのHマークのそばに、赤十字が見えているからだ。
これは、怪獣被害の増大に備えて造られた大規模総合病院の一つだ。『総合病院』とは言いつつも、主に緊急外科手術に特化している。また、隣にある第二棟は、怪獣による災害で精神を蝕まれた人々のケアが行われている。第一棟で手術を受けた負傷者が、トラウマから立ち直るために第二棟に通院する、という流れで被害者の支援をしているのだ。
「降りないんですか、石津少佐」
怜の声にはっとして、俺は立ち上がった。つい過去の記憶を追いかけてしまっていたのだ。
「皆、自分について来てください」
俺は振り返ることなく、ヘリを降りた。そのまま屋上側の受付に向かうべく、屋内への階段に向かって進んでいく。
一階分下って、スキャナにさっと防衛軍のIDカードをかざした。受付はそれだけで十分だ。少尉と博士はそのままだったが、怜は防衛軍のIDカードを持っていない。俺は総合受付への直通回線を開き、怜の入館許可を取りつけて、彼女をいざなった。
俺の足取りに、迷いは全くなかった。エレベーター前を通過して、個室が並ぶ十二階の向かって右側、四番目。縦長の曇りガラスがはめられた、手動のスライドドア。俺はコンコン、とドアをノックした。誰かの応答を待つわけではない。他の誰かがいないことを確かめるためのノックだ。
「入るぞ、美優」
小声で呼びかけながら、俺は把手に手をかけた。
穏やかな夕日が俺たちを照らし出す。そこに影をつくるようにして、彼女はベッドに横たわっていた。
「紹介します。自分の妹、石津美優です」
しばしの沈黙。心電図が鳴らす軽い機械音が、安らかに響いてくる。
「そうか、彼女が妹さんか」
博士の問いかけに、俺はゆっくりと頷いた。
「あ、あの、こんにちは。私……じゃなくて自分は、石津武也少佐の補佐を務めている、菱井恵美少尉です。初めまして」
美優は動かない。穏やかな表情で、沈黙を保っている。まるで彼女だけが、時間の流れに取り残されたかのように。いや、事実そうなのだ。
「美優、さん……?」
「無駄だ、少尉」
「えっ? 妹さんは眠っておられるんじゃないんですか?」
「そのようだな」
博士がそっと割り込んだ。
「ここ十七年間、ずっと眠り続けているのだろう」
すっと博士に一瞥されたのを感じて、俺は小さく頷いた。カクン、と上下する自分の頭部の、なんと気力のないことか。
「十七年間って、どういうことです?」
菱井少尉が尋ねてくる。その無邪気さに、俺は胸を貫かれる思いだった。
「それはな、少尉。美優は――」
「言わないでください、石津少佐」
鋭い声が刺し込んできた。後方から、怜が冷たい声で少尉を引き留めたのだ。
「菱井少尉、分からないんですか? 彼女は――美優さんは、気を失ったままだということですよ」
正直、俺は救われた思いがした。自分の口から語るには、あまりにも荷の重いことだったからだ。あの日に生き残った唯一の家族である美優が、こんな姿であるということを。
しかし、会わせたいと言ったのは俺だ。今の美優の、ありのままの姿を見てほしいと思ったのは俺自身なのだ。
同情されたかったわけではない。美優をヒロインにしたかったわけでもない。増してや、博士の気を引きたかったわけでもない。
ただ、博士の言った『現実』がここにもある。それを、皆に知っておいてほしかったのだ。
俺は美優の手を取って、声をかけようとした。皆のことを、美優に紹介しなければ。しかし、俺は立ち尽くしたまま動けずにいる。今度は誰も、この沈黙を破ろうとはしなかった。
俺がなんとか、話を続けなければ。いつものようにひざまずき、美優の手を取ろうとする。が、俺は唐突に恐怖を覚えた。美優の腕は、いつの間にこんなに細くなったのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます