第22話

「昨日、私は妻の墓参りに行った」

「えっ!?」


 意外にも、最も狼狽えたのは怜だった。


「博士にはずっとご家族がいなかったものかと……」

「いや」


 博士は素早く否定した。その声音には、妻は確かにいたんだ、と訴えかけるような芯の強さがあった。


「そこで拉致されたんだ。恐らく、このあたりを巡回していた若い兵士たちが、功を焦って私の身柄を確保しようとしたんだろう。その時は、そのくらいにしか思わなかった」

「? 『その時』とは?」


 俺は疑念を隠すことなく尋ねた。


「しかし彼らは、それだけでは気が済まなかったらしい。私が完成間近にまで造り上げた対怪獣用兵器の試験運用をさせろと言ってきた」


 その時、俺は思い出していた。確かにECMの範囲内に入った時、怪獣は苦し気にかぶりを振っていたのではなかったか。


「それで、あなたは協力したんですね?」

「拷問するとチラつかされてはな。仕方なかろう?」


 俺はぎゅっと拳を握りしめた。確かに、拷問など許される行為ではないし、ただでさえ一般人を強制連行するような真似は、どんな組織においても認められはしない。だが。


「あなたは抵抗しなかったんですか? 自分で造り上げた兵器なら、ECMが広域に渡って展開されることは知っていたんでしょう? それをむざむざ使わせて、通信障害が出て、多くの民間人や兵士たちが……ッ!」


 足の裏に力がこもる。すぐに飛び出して博士を殴りつけられるように。しかし俺の気配を感じたのか、怜がゆっくりと立ち上がった。怜との白兵戦――俺に勝ち目がないのは明らかだ。


「構うな、怜。私は平気だ」


 すると無言で、怜は握り拳を下ろした。


「正直に言おう。私にとって、この国民がどうなろうと関係はない」

「な……!?」


 俺は自分の膝から急速に力が抜けていくのが感じられた。


「それが国を守る防衛装備開発主任の台詞か!」

「開発主任である以前に、私は一人の人間であり、男であり、かけがえのない妻を娶った夫だ」

「それがどうし――」


 と言いかけたところで、俺は背後から腕を取られた。


「待ってください、少佐!」

「放せ少尉! こいつは国民を見殺しにしたんだぞ!」


 お前だって見ただろうが。あの惨状を。

 と、言葉を続けようとして、俺は唾を飲んだ。菱井少尉が、あまりにも強い瞳で俺を見つめていたから。


「今は博士の話を聞きましょう? ねえ、少佐?」


 俺は自分の胸中で、怒りの風船が膨らんだり萎んだりするのを感じた。しかし、勝ったのは萎む方だった。


「感謝する。菱井恵美少尉殿」


 俺に戦意がなくなったことを確信したのか、博士は深々と頭を下げた。


「あれは忘れもしない、五年前の春先のことだ」


         ※


「桜がこんなに綺麗に咲くなんて、最近は珍しいわね」

「そうだな」


 柘植忠司博士は、妻と連れ立って近所の河原を歩いていた。桜の名所ではあるものの、現在時刻は午前五時。まだまだ肌寒い。


「あら、こっちの梅はもう散ってしまったのね。ねえ、あなた」

「そうだな」


 やはり寒さのためだろう、ランニングをする人々が時折挨拶を交わしていくだけで、人影もまばらだ。そんな中、ゆっくりと歩んでいく二人ぶんの人影がある。


「ほら、お隣の田中さんだわ。お子さんが産まれたばっかりの。おめでたいわね」

「そうだな」


 そこで博士の妻はさっと振り返った。


「もう、どうしちゃったの、あなた? 確かに左足のことは辛いでしょうけど……」

「ああ」


 その時には、既に博士の義足は生身といってもいいくらい身体に馴染んでいた。つまり、妻は完全に博士の胸中の問題を取り違えている。その問題とは言うまでもなく、怪獣を駆逐するための兵器のことだ。


「あのエネルギーコアが安定しないんだ。あれを抜きにして、破壊力を維持することはできない」


 妻は深々とため息をついた。一歩前に出て、くるりと振り返る。


「ねえ、あなた」

「ん?」


 顎に手を遣ったまま、博士は足を止めた。


「あなたがやっていることが、この国を守る最善の選択肢だってことは私も分かっているわ。でも、家族そっちのけでいいの?」

「家族?」

「ええ」

「家族って言ったって、私とお前しかいないじゃないか」

「生憎ね。でも、私だってあなたとの時間を共有したいのよ。せめてお休みをいただいた日くらい、私のことも考えて頂戴」


 ぐいっと迫る妻に、博士は少しだけのけ反った。


「ほら! ご覧なさいな、あの立派な桜の木!」

「桜の木なんて、どこにでもあるじゃないか。どれだ?」

「もう!」


 頬を膨らませる妻。そんな歳に似合わない所作が、しかし博士の心を潤した。


「あの川沿いにある、立派な木! ここからあそこまで競走しましょう!」

「あっ、おい!」


 博士が止める間もなく、妻は駆け出した。


「待てよ、こら!」


 否定的なことを言いつつも、博士は心のどこかで安息を得ていた。たまにはこんな日があってもいいのかもしれない。

 そう思った時、ストッ、という鋭利な音が、差し出しかけたつま先を掠めた。


「なんだ?」


 見れば、アスファルトの歩道に小さな穴が空いている。相当高温を帯びているのか、そこからは煙が上がっていた。

 ふと、視線を上げる。そこには、こちら向きに後頭部から倒れ込む妻の姿があった。しかし、ただ倒れ込んだのではない。反射的に目を閉じる。再び目を開けるとと、真っ赤な血と紫色の脳漿が、自分に降りかかるところだった。


 博士はようやく理解した。たった今、妻は射殺されたのだと。


「智美!!」


 博士は駆け出した。辛うじて妻の身体を抱き留める博士。妻の顔は、驚いたように目が見開かれており、しかし口は自然に開かれたままだった。自分が殺されたことを悟ったのか否か、よく分からなかっただろう。


 その時の博士の心境は、自分でも驚くほど冷静だった。やはりPKOでの経験が活きていたのだろう。妻が狙撃されたのだと推測し、前方に目を走らせる。川が緩やかに曲がっていく途中に、大型のスーパーマーケットがある。その屋上に、キラリと何か光るものがあった。きっとあれは、狙撃用ライフルのスコープが日光を反射する光だ。


「智美」


 軽く声をかけながら、妻の身体を引きずって木々の陰へ。博士の対応が早かったためか、それ以上銃弾が飛んでくることはなかった。


 その後、博士の身柄と妻の遺体は警察に、それから葬儀場に身柄を移された。

 涙は出なかった。これもPKOでの経験の賜物か。『賜物』というのも変な話だが、泣いていられる場合ではないのだ。


 妻の遺体と最後の別れを果たした博士。彼の前に現れたのは、警視庁公安部の人間だった。

 パイプ椅子とテーブルが並んだだけの、簡素な部屋。その薄暗い空間で、相手は唐突に口を開いた。


「奥様を射殺したのは、防衛省内部の人間です」

「内部?」


 男は頷きながら両手の指を組み、そこに顎を載せた。


「黒幕については調査中ですので、明確に申し上げることはできません。しかし、防衛省内部にも極端な人間がいたものですな。日本が怪獣対策を進めれば進めるほど、軍事力強化に繋がると思っている。そんな人間に、あなたの奥様は射殺されたのですよ。あなたと勘違いされてね」


 博士はずっと、テーブルの手前の淵を見つめながらぼんやりしていた。一応、公安の男の言うことはよく分かった。


「それで、私にどうしろと?」

「何も変わりません」


 男はなんの感情も表さずに告げた。


「柘植博士には、対怪獣用の兵器開発部チーフを務めていただきます」

「……」


 無言で視線を下ろした博士に向かい、男は立ち上がって軽く頭を下げた。


「奥様については、お悔やみ申し上げます」


『そんなことは最初に言うべきだろう』などという正論を述べるだけの気力は、当時の博士には残されていなかった。もちろん、再び開発部チーフに戻ることも。


         ※


「そうして私は、密かにこの国を出た。いや、捨てたんだ。妻を殺すような国だ、怪獣などという災難に見舞われても、正直、それ見たことかというのが私の思うところだ」


 俺も菱井少尉も、言葉がなかった。

 博士はその後、やはり日本を潜伏先に選び、そこで怜を拾った。そうして国内を点々とするようになったらしい。


 俺は冷めきったコーヒーの液面を見つめる。なんとも情けない顔の俺が映っていた。俺は思いっきり、勢いよく飲み干してから、博士と目を合わせた。


「その博士の過去と、昨日のECM騒ぎに、どんな関係があるんです?」

「私を拉致した連中だが、やはり焦り過ぎたようだな。私の試作品を無理やり起動しようとしたんだ」

「それがECMであると?」


 首肯する博士。


「まったく、下手に扱うと爆発するからと言ったのにな。実験場が見つからないから、地下の空洞地帯を使うと言い出した。それが昨日の顛末だ」

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