第21話
相変わらずの薄汚れた扉を叩くと、愛想のない声が聞こえてきた。
《柘植忠司博士はいらっしゃいま――って、あなた方ですが。石津少佐》
「ああ、度々悪いな、怜」
《お気になさらず。少々お待ちを》
しばしの間、沈黙があった。何があったのだろう? 俺が振り返って少尉と目を合わせていると、ガチャリ、と扉の向こうから音がした。そこには、眠そうな表情の怜が立っている。まあ、眠そうに見えるのはいつものことかもしれないが。
「遅くなりました」
「ああ、いや。気にしないでくれ。何かあったのか?」
「以前あなた方がいらした時、ここは防衛軍強襲部隊に襲われました」
おっと。思い出したくない話だ。
「だからビルの出入り口を一応チェックさせていただきました。敵影はないようですね」
「ふむ。『敵影』とは随分と嫌われたものだな」
俺が軽口を叩くと、怜のジト目がより細く、鋭利になった。
「今は羽崎司令官は身動きが取れないんでしょうね。急襲部隊に指示を出すことのできる人間がいない。違いますか?」
「いや、その通りだ。俺には急襲部隊までの指揮権はない。これで安心してもらえるか?」
すると怜は、すーっ、と息を吸って、腰に手を当てながら深いため息をついた。
「ええ。おっしゃる通りです、石津少佐。今なら博士は時間が取れます。どうぞ」
「失礼する」
「失礼します」
俺と少尉はそれぞれ軽く頭を下げ、最奥室へと歩み出した。
※
目の前には、作業台に向かう柘植忠司博士の姿があった。
「お身体の具合はどうかな? 石津少佐」
「ご心配なく。博士も怜くんも、ご無事のようで安心しました」
「まあ、我々も同じことは散々言われてきたよ」
薄汚れた白衣をたなびかせ、柘植博士は作業台から振り返った。前回会った時よりも、どこか歳を取ったように見える。頬がこけ、白髪は増え、より痩身になったような。それとも、ただの俺の勘違いだろうか。
「怜、すまないがコーヒーを淹れてくれ」
すると怜はこくりと頷き、部屋の隅のコーヒーメーカーへと向かった。
「さて。今日は何をお尋ねになるつもりかな? お二人さん」
「繰り返すようですが、あなたに対怪獣用の特殊兵器の開発主任を務めていただきたい」
そんな俺の言葉に対して、博士は小さく噴き出しながら言った。
「それは無理だと、何度も言っただろう?」
「理由を伺っていません」
「必要か?」
「ええ」
腰に手を当て、ため息をつく博士。やれやれと肩を竦めることも忘れない。
俺が一歩詰め寄ると、博士もまた一歩後退し、作業台に半ば腰かけるようにして体重を預けた。俺を馬鹿にしているのか、という怒りが胸中でのたうつ。
それでも、俺は博士と目を逸らすまいと、彼のやや充血した目をじっと覗き込み続けた。
すると唐突に、博士はこんなことを言い出した。
「現場を見てきた目をしているな」
「?」
なんのことだ?
「戦場というものを、しかと見届けてきたなと言っているんだ」
そう語る博士の顔からは、何の感情も読み取れない。俺を褒めるでも軽蔑するでもない。だが、その無感情な顔で、博士は言った。
「まずは、その勇気を称えよう」
「た、称える?」
首肯しながら、博士は腰を上げて腕を組んだ。
「何を感じたか、思い出す必要はない。深層心理に刻み込まれているだろうからな。重要なのは、そこにいたかどうか、ということだ」
「怪獣と同じ場所に、と言う意味ですか?」
博士は再び頷いてみせる。
「でも、俺は何もできませんでした。避難誘導しようにも、謎の電波妨害に遭ってしまって。あのECMさえなかったら――」
「同じだ」
「え?」
「私も同じだった。あれは二〇二三年の夏、東南アジア某国でのことだ」
「それが一体何の関係が――」
その時、俺の肩が背後から叩かれた。菱井少尉が、むすっとした顔で俺を睨んでいる。ちゃんと博士の話を聞け、ということらしい。
俺は黙り込み、顔を正面に戻す。
「すまない。菱井少尉。続けてもいいかね? 石津少佐」
「は、はい。ご無礼を」
気にしてはおらんよ、とでも言いたげに、博士は怜から渡されたコーヒーカップに口をつけ、喉を湿らせた。
「話は前後するが、これを見てくれ」
博士は白衣をばさり、と脱ぎ捨て、シャツにスラックス姿になった。左足を露わにする。
義足だった。
最新型ではあるが、健常者の足の感覚とは程遠いだろう。
「PKOでの地雷除去作業中に踏んでしまった。ミイラ取りがミイラになったわけだな」
自嘲的な言葉だったが、そこに笑みは一欠片もない。
「私は地雷除去要員だったが、研究者でもあった。特殊な電波を広げることで、地雷を自然に爆破させる装置の開発中だった。だがなにぶん人員不足でな、私も地雷除去に駆り出されていた」
それは博士が駆り出されて、五日目のことだったという。
「現場のゲリラ部隊は、こちらの状況を読んでいたんだ。地雷原で動けなくなった我々に、十字砲火を始めた。私は衛生兵ではなかったが、それでも仲間が肉塊にされていくのを黙って見てはいられなかった。なんとか助けようとしたんだ。幸い、医療キットがそばに転がってきていたのでね」
ここで博士は一旦言葉を切り、額に掌を当てた。汗を拭うような所作だった。
「撃たれた、地雷を踏んだ、助けてくれ――。あちこちで悲鳴が上がった。たまたま私のそばに転がり込んできた兵士は、いや、具体的な情景描写は避けよう。とにかく、酷い傷を負っていた。その光景は、私が義足になったのと同じくらい、ショッキングだった。救いようがなかったんだ。それでも彼は、私が医療キットを握っているのを頼りに、そこまで這ってきた。その光景……。一生忘れられるものではあるまいな」
博士はどこか、遠くを見つめるような目で俺と視線を合わせた。
「だから君にいったのだよ、石津少佐。君は現場に出るべきだと」
俺は熱に浮かされたように、ぼんやりと博士の独白に耳を傾けていた。
そうか。あれが戦場というものなのか。
俺が感慨にふけっていると、目の前でガタン、と音がした。博士が着席したのだ。が、それだけでこんな派手な音は出ない。
俺も少尉も目を上げて、博士の方へと振り向いた。
「どうしました、博士?」
「いや、なんでもない」
そう言いながらも、博士は自分の脇腹を押さえて微かに呻いた。
「博士、痛み止めを」
「ああ、すまんな怜くん」
盆の上に水と錠剤を載せた怜が、博士の元へ歩み寄る。博士は震える手で錠剤を二粒摘み上げ、水の入ったカップに口をつけた。
「どこか、お加減でも?」
少尉が尋ねたが、博士は息を荒くしながら答えようとはしない。否、できないのだ。
横目で怜の方を見遣ると、ちょうど目が合った。それから彼女は博士の方を向き、彼とも目を合わせる。するとそれに応じたかのように、博士は二、三度頷いてみせた。
「昨日の怪獣上陸、及び被害拡大の件ですが、実は柘植忠司博士に責任の一端があります」
「な……!?」
俺は思わず立ち上がった。
「どういうことです? 博士はかつて、怪獣を駆逐する兵器開発を担っていたんでしょう? それと怪獣の上陸にどんな関係が――」
咳き込む博士に代わり、怜が答える。
「昨日の道路爆破テロ及びECMの展開による被害拡大に、柘植博士は一枚噛んでいます」
「馬鹿な!」
俺は一歩、詰め寄った。ただし博士にではなく怜に対してだ。
「怪獣の上陸一時間前、この建物は、防衛軍急襲部隊の襲撃を受けました」
「ッ!?」
俺は時間の流れが止まってしまったかのような錯覚に陥った。はっと息を飲む気配が、少尉からも聞こえてくる。
「あり得ない、あり得ないぞ、そんなことは! 防衛軍実働部隊の司令官は俺なんだ。一体誰がそんな命令を……」
「羽崎哲三中佐」
こんなタイミングで聞かされるには、あまりにも非現実的で冷淡、そして非情な名前だった。
いや、今ここで私情を挟んでも仕方がない。何故だ? どうして中佐は博士の身柄を拘束したんだ?
「そもそも防衛軍を名乗ったテロリストが、博士をさらった可能性だって――」
「もしそうなら、博士は解放されずに殺されています。今までにない特殊兵器ですからね、博士が開発していたのは。日本がそんな兵器の開発をしていたとするならば、周辺国が黙っていないでしょう。資料の奪還が最優先、できなければ、博士を殺してしまうのが道理です」
つまり、博士の技術力が国外へ流出する恐れはないとしたから、急襲部隊の連中は博士を殺さなかったということか。
「あっ、でも!」
手を挙げたのは菱井少尉だ。
「昨日、博士は外出中だったんですよね? どうして怜さんがそこまで知っているんです?」
「博士の携帯端末から緊急通報を受けました。だから私の力でなんとかしなければと思ったんです。その時博士は――」
「もういいぞ、怜くん」
ギシリ、と音を立てて、博士は立ち上がった。痛み止めが効いたらしい。
「後は私の個人的な話だ」
どこか虚ろな目をしながら、博士は自らのぶんの話を始めた。
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