第20話

 翌日。非番の兵士たちの休憩室にて。

 俺は菱井少尉がくれた缶コーヒーを飲みながら、彼女と共にテレビを見ていた。

 昨日の一件があったがために、ほとんどの兵士は出払っている。怪獣は、まるで気紛れで進行してきただけだったようで、戦車隊を蹴散らした後ですぐさま海に帰っていた。そのまま、回れ右をするかのように。まあ、奴にとってはよくあることだ。


 今回の上陸で、死者・行方不明者は三九〇一人。これは数年で突出した数字である。

 避難民の誘導が上手くいかなかったからだ。あの時ECMさえかかっていなければ、という思いは強かったが、それは、一体何がECMの発生源なのか、という疑問にも変わりつつあった。


 俺が大きくため息をつくと、微妙な距離を空けて座っている少尉が口を開いた。


「大丈夫ですかね? 怜さんや柘植博士は」

「ああ。先ほど連絡があった」


 ここでコーヒーを一口。


「ただ、怜から『二人共無事』『建物も損傷なし』と言われただけだが」

「そうですか」


 俺はリモコンを手に、チャンネルを変えていく。しかしテレビに映るのは、避難民が携帯端末で撮影していた怪獣の映像ばかりだ。ネットでも拡散されている。

 半ば飽きた俺がリモコンを反対側のソファへ投げ込んだ、その時だった。

 テレビ画面が、スタジオのニュースキャスターに唐突に切り替わった。


《番組の途中ですが、昨日の怪獣への対応について、陸海空の幕僚長及び防衛軍司令部代表による記者会見が行われます。しばらくお待ちください》


 俺は唾と共に口に含んでいたコーヒーをごくりと飲み下した。


《繋がりましたか?》

《はい。こちら首相官邸三階の記者会見場です。まずは首相及び防衛大臣から挨拶がある模様で――》


 などとリポーターが語っている間に、背後にスタンドマイクが設置され、見慣れた顔が入ってきた。恐らく発言順に並んでいるのだろう、総理大臣、防衛大臣、幕僚長三名、それに羽崎中佐だ。


 まずは、総理大臣から被害者・遺族へのお悔やみと、今後の復興計画についてが語られた。それはいつものこと、いわばルーティンだ。

 次にフラッシュライトを浴びたのは、やはり防衛大臣だった。この期に及んで、ようやく爆発事故やECMについて触れられた。言ってみれば、『こういうことがあったから、どうしてもこれだけ被害が拡大してしまったのだ』と言いたかったわけだ。

 その責任の転嫁先は、当然ながらこの人物の元へ渡された。


《続きまして、防衛軍にて今回の作戦指揮にあたっていた羽崎哲三中佐、お願い致します》


 中佐は無言で席を立ち、演壇に足をかけた。今までにないほどのフラッシュが瞬き、彫の深い中佐の顔を照らし出す。微かに目を細めた後、中佐は明瞭なバリトンヴォイスでこう語り始めた。


《防衛軍総司令、羽崎哲三中佐です。先ほど総理大臣、防衛大臣がおっしゃられた通りです》

《それはどういう意味ですか!?》

《前述したお二人の発言に間違いはない、ということです》

《被害者や遺族に対して、反省の弁はないんでしょうか!?》

《それは後日、防衛軍の総意として大々的に発表させていただきます。以上です》

《待ってください、羽崎中佐!》

《中佐! 防衛軍司令官!》


 一斉に立ち上がり、津波のように襲ってくる記者たち。それを、ボディーガードに挟まれながら退室していく演台の人々。


 ふーっ、と俺は長い息をついた。眉間に手を遣る。なにも、俺が責められているわけではない――と素直に思えるほど、俺はこの状況を楽観できなかった。

 俺がもっと強く、自分の主張を押し出していれば。作戦指揮を羽崎中佐に任せなければ。『現場を知れ』という柘植博士の言葉を鵜呑みにしていなければ。


「くそっ!」


 俺が片腕を振り上げ、思いっきり拳をソファに叩きつけようとした、その時だった。

 振り上げるはずだった腕の拳が、優しい温もりに包まれる。


「落ち着いてください、石津少佐」


 静かな声で、菱井少尉はそう言った。『放せ!』というほど、俺も子供ではない。だが、それでも怯んでしまった。少尉の、涙を湛えた瞳に覗き込まれては。


「ああ……」


 少尉は俺の肩に両手を添えて、顔を押しつけてきた。ドクン、と心臓が跳ね上がるような感覚に囚われる。だが、一気に血流量が増した影響か、ある考えが俺の脳裏に浮かんだ。そのまま勢いよく立ち上がる。


「菱井少尉、すぐに制服に着替えてくれ。ああいや、来てくれなくてもいい」

「どうしたんです、少佐?」

「会いに行くんだよ、柘植博士に。今の俺が行けば、俺たちの話に耳を傾けてくれるかもしれない。至急、ヘリを一機とパイロット二名を借りつける」

「あっ、少佐! 私も!」


 こうして俺と少尉は、大股で休憩室を後にした。


         ※


 三十分後。

 ヘリに揺られながら窓を開けてみると、怪獣の残した爪痕が実によく見えた。

 まず目に入ったのは、向かって左右に、一文字に走った建物の倒壊状況だった。台風や地震と異なり、怪獣が通過した痕というのは、『どこが被害に遭ったのか』が明確に見える。


「少しより道だ。あの傾いたビルの上空を一旦通過してみてくれ」

《了解》


 俺と反対側の窓から地表を見下ろしていた菱井少尉が、微かに呻き声を上げる。

 滅茶苦茶に破壊されたビルの合間では、迷彩服と灰褐色の服装をした自衛隊員たちが、行方不明者の捜索を行っている。

 あの下では、一体どれほど多くの人々が痛みに苦しみ、救いを諦め、そして命を落としているのだろう。俺はぎゅっと目をつむり、小さくかぶりを振った。


「もういい。十分だ。柘植博士のいるビルへ向かってくれ」

《了解》


 俺がヘッドセットを外すと同時に、少尉が声をかけてきた。


「これを私に見せたかったのですか、少佐?」

「いや」


 俺は一旦短く答え、唇を湿らせた。


「俺一人で見る勇気がなかったんだ。すまないな、君までつき合わせてしまって」

「そうでしたか」


 すると少尉は、強張った俺の拳にそっと手を載せた。


「もし少佐が懲罰を受けるようなことがあったら、私もご一緒します」

「何?」


 俺の口から出たのは、さも意外だという色の滲んだ声だった。


「石津少佐は、現場の惨状を知っているから、きっと博士に認めてもらえます。博士が具体的に何を考えているのかは図りかねますが、それでもあなたは大変な状況を目にしてきたんです。だから――」

「見なければよかった」

「えっ」


 少尉は中途半端に唇を開けて、息を止めた。


「まったく恐ろしい光景だった。本当に、俺自身が死ぬんじゃないかと……。怖い目に遭った。君を先に帰らせたのは正解だった」


 直後、俺にもたらされたのは、非力な拳骨によるストレートだった。


「ひ、菱井少尉……」

「少佐! どうしてあなたはそうやって自分ばかりを責めるんです!? どんな人間だって必ず死ぬんです。だからこそ、今日一日が輝くんです。あまりに不謹慎かもしれないけれど、でも、あなたは輝いています! だからこうして、博士の元へ向かっているんじゃないんですか!?」


 バタバタとヘリの回転翼の音がする。このキャビンでの会話は、パイロットたちには聞こえていないはずだ。それでも、俺は羞恥心を覚えた。誰に対してか? 言うまでもなく、菱井恵美少尉に対して。


「現場の惨状を見届けたあなたは、立派な指揮官なんです。どうか、ご自分を責めないでください。そして、私たちの指揮を執ってください」


 敬礼などなくとも、彼女の誠意はひしひしと伝わってきた。横目で彼女を見ると、やはり涙ぐんでいる。最近彼女の涙を見る機会がやたらと多い気がするが、俺が不甲斐ないからだろうか。


『おう! 任せろ!』などと言えた口ではない。だが、せめて今の彼女だけでも、安心させてやりたい。そう思った。


「君も来るか? 少尉」

「よろしいんですか?」

「無論だ」


 すると、目をパチクリさせた拍子に、少尉の瞳から涙が零れた。


「あっ、すみません、私……」

「気にするな。俺だって泣きたくなることはあるさ」


 俺は咄嗟にハンカチを取り出そうとしたが、いつから制服のズボンに突っ込んでいたかも分からないものを女性に手渡すわけにはいかない。

 躊躇していると、少尉は自分のポケットからティッシュを取り出し、目元を拭った。


《目標上空まであと三十秒》


 と、パイロットの声が響いたところで、少尉はティッシュをポケットに仕舞った。


「行くぞ、菱井少尉」

「は、はい!」

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