第19話【第四章】
「石津少佐、入ります!」
そう告げて、俺は足早に羽崎中佐の元へ向かった。背後から司令官席に歩み寄る。
「おお、石津。無事で何よりだ」
「自分のことは構いません。戦車隊とヘリ部隊はどうなりましたか?」
「見ての通りだ」
そう言って、中佐は振り返った。その顔は、げっそりと頬がこけたように見える。焦燥感からか疲労感からか、はたまた絶望感からか。瞳からは活力が失われていた。
「迎撃作戦A-3を遂行中だが、周辺のビル群に阻まれて攻撃できない。お前ならどうする? 石津少佐」
「自分ならば、怪獣を素通りさせて、この先の首都緑地公園で迎撃態勢を取ります。作戦A-4です」
首都緑地公園とは、東京都が造成した大型の自然・環境施設群だ。施設と言っても建物はほとんどなく、緩やかな坂の上から麓にかけて、背の低い森林地帯が広がっている。ここなら、我々防衛軍も心置きなく戦える。
俺は戦車隊・ヘリ部隊に後退を命じるよう中佐に進言してから、作戦司令室のメインスクリーンに目を遣った。衛星からのリアル映像が大写しになっており、左下の四分の一程度のスペースに観測ヘリからの情報が提示されている。いわゆるバッジシステムというもので、目標や味方の位置、周辺の地形などのデータを三角形や曲線で描いている。各戦車からの情報もリアルタイムで流入している。先ほどまでECMに封殺されていたとは思えない、見事な働きぶりを見せていた。
衛星からの映像を見ていると、目標がいかに易々と進行してきたかが分かる。目の前の高層マンションをなぎ倒し、乗り捨てられた車両を踏みにじり、それらをまとめて尾で払いのけていく。
「特科、ミサイル第四波発射用意!」
「了解。司令部より特科隊へ。第四波攻撃用意」
中佐の声に続き、オペレーターの声が響く。
《ミサイル第四波、発射準備よし!》
「中佐!」
オペレーターが振り返るのを見て、中佐は大きく頷いた。
「特科、第四波攻撃開始!」
《全弾発射、弾着まで四十秒! 迫撃砲及びMLRS、残弾なし!》
再びオペレーターが振り返るのを待たずに、中佐は指示を飛ばす。
「近接航空支援要請、特科は撤退。ヘリ部隊は後方待機!」
ミサイルがなくなったため、戦闘機での空爆で時間稼ぎをするつもりらしい。
流石に住民の避難は完了している。とは言うものの、ここに一般の自衛隊とは異なる点が一つ。
自衛隊は国民の生命・財産を守ることを任務としているが、防衛軍はその限りではない。作戦展開域の住民が避難していれば、何をやってもいい。と、いうことになっている。
逆に言えば、それだけ世論が怪獣を『国家を脅かす敵』と強く認識していることの証左だとも受け取れる。
それよりも今は、戦車隊・ヘリ部隊の後退のための時間稼ぎを考えなければ。俺は中佐の隣の副司令官席に腰を下ろし、事態を見守った。
その時、ふと、怪獣がその進行を止めた。軽く顎を上げ、ゆっくりと首を左右に振る。まるで何かを察知したかのように。
「まさか!」
中佐が訝し気にこちらを見遣ったが、それどころではない。そして、俺の悪い予感は見事に的中した。
怪獣が、上空へと熱線を放射したのだ。それは今まで見た中で最も細く、長い射程をもつものだ。慌てて視線をバッジシステムの方へと下ろす。すると、ミサイルを表す小さな赤い三角形が、一斉に消滅していくところだった。
まさかあいつ、ミサイルの接近を見切ったのか? これほどの距離で? 俺は唖然とした。
「中佐、航空支援機、空対地ミサイルを搭載して発進しました!」
とのオペレーターの声に、俺は背筋が凍る思いがした。
「駄目だ! すぐに引き帰らせろ! 航空支援も撃墜されるぞ!」
慌てふためく俺に、中佐は諭すように言葉をかける。
「目標の対空性能については、研究の余地がある。それに飽くまで、今飛行しているのは戦闘機だ。ヘリよりずっと高速で――」
「それより速いミサイルが撃墜されたじゃないか!」
飽くまで冷淡さを保つ中佐。だが俺は、そんなことに構ってはいられなかった。
誰もが今の俺のことを、いつもの俺らしくないと思っている。きっとそうだ。しかし、それは当然といえば当然だ。怪獣の残した爪痕を見せつけられた、今となっては。
これがどうして落ち着いていられるだろうか? 放っておけば、戦闘機のパイロットたちは死ぬのだ。こんなところで彼らが無駄死にするのを黙って見ていろというのか?
「今の司令官は私だぞ、石津少佐!」
「ッ……!」
俺はぐっと押し黙るしかなかった。直後、俺の頬を撫でるように、真っ赤な炎が映像に映し出された。
「ああ……」
ゆっくりと一瞥したバッジシステム上。そこでは、戦闘機の三角形に×印がつけられ、その上に『Terminated』の文字列が並んでいた。
「くそっ!!」
こんな事態を、俺は今まで『運を天に任せる』などと言って見過ごしてきたのか。何でもいい、俺は自分の頭を硬い何かにぶつけたくなった。
しかし、ここで妙な通信が入った。
《こちら観測班、目標、進行を停止!》
「なんだ?」
疑問の色を隠せないでいる中佐に代わり、俺はじっくりと目標の姿を見つめた。
「目標の衛星画像を拡大してくれ」
「了解」
確かに、奴は足を止めている。しかし一体何のために?
変化は唐突に訪れた。目標は、お辞儀でもするように上半身を折ったのだ。それから首をもたげ、前方を見つめる。そして、屈強な脚部が思いっきりアスファルトにめり込むのを、俺は見た。
直立に近い姿勢から、肉食恐竜のようなフォルムに体勢を立て直した目標。
「戦車隊及びヘリ部隊へ。目標は進行を停止している。すぐに攻撃を再開しろ」
「駄目だ!」
俺は自分の眼前に置かれたマイクに、思いっきり大声を叩き込んだ。
「全部隊、直ちに撤退! 目標の前方を空けろ!」
「何を言っているんだ、石津! 今なら目標に火力を集中させて――」
「それだって、今まで倒せなかったじゃないか!」
階級がどうだろうが関係ない。今は、前線で戦っている友軍の身を案じなければ。
しかし冷酷にも、そんな猶予が与えられることはなかった。
ドン、という音と共に、目標は後ろ足で地面を蹴った。そのあまりの迫力と獰猛さに、誰もが息を飲む。
いつものように、ゆっくりと進むのではない。目標は敵を見定め、屈強な足で駆け出したのだ。
《も、目標、移動速度が時速四十キロから八十キロに……!》
「ぜ、全部隊後退、撤退だ!」
中佐の言葉も虚しく、戦車隊と目標との距離はどんどん縮まっていく。
「全員戦車を捨てて、横道へ入れ! 踏み潰されるぞ!」
俺は必死に呼びかけた。しかし、突然の事態急変に対応しきれなくなったのか、あろうことか戦車隊は砲撃を開始した。ヘリ部隊も、機関砲を撃ち始める。
しかし、そんなものが今更通用するものか。これでは足止めどころか、目標の進行速度を速めただけではないか。
《目標、高速で接近! 戦車隊が砲撃を……あっ!》
あまりの光景に、観測員も言葉を失った。戦車が呆気なく蹴り飛ばされていくのだ。
「早く撤退指示を出せ! 羽崎中佐!」
「まだ勝機はある! 私に命令するな!」
「あんた本気か!? あれが見えないのか!? 奴は――怪獣はもう、俺たちの手には負えない! オペレーター、俺に指揮回線を回せ!」
「階級を無視するのか、石津少佐!」
「もうやめて!!」
突如として響いた悲鳴に、俺も中佐も、いや、作戦司令室にいた全員が出入口に視線を飛ばした。
そこに立っていたのは、自分で自分の肩を抱いた菱井恵美少尉だった。
「これ以上、味方を殺さないで……」
すると少尉は、その場に膝をついて顔を覆い、肩を震わせ始めた。
「少尉!」
俺は何故か、磁石に引かれるように少尉に近づいた。しゃがみ込んで彼女の肩に手を載せる。
「大丈夫だ、菱井少尉。すぐに撤退命令が出る。いや、中佐に指揮権があるのなら、それを強奪してでも俺が命令を――」
「もう、誰にも死んでほしくない……」
少尉が今ここにいるのは、きっと戦況の分かるところに身を置きたかったからだ。彼女の嘆きぶりを見るに、俺が入室してからそうそう時間の経たないうちにやって来ていたのだろう。
司令室前方のメインスクリーンに爆光が映る。『きゃっ!』と短く悲鳴を上げる少尉。踏みにじられた戦車が爆発したらしい。あたりには、蹴り散らかされた戦車隊と後退するしかなくなったヘリ部隊が、呆然とその場に佇んでいた。
※
「今回の作戦の全責任は私が取る」
苦虫を噛み潰したような顔で、羽崎中佐はそう告げた。
「各自衛隊幕僚長と共に、記者会見を開くことになった。これほど犠牲を出してまでも、怪獣を足止めできなかったのだからな。国民に謝罪せねば」
「そうですか」
呆然としたままで、俺は答えた。
「石津、君や菱井少尉の足取りについては、絶対に外部には漏らさない。それだけは安心してくれ」
それだけを告げて、中佐は足早に俺の部屋を出ていった。
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