第17話

 ドオン――。


 怪獣の屈強な脚部が、ついにその切っ先を陸地にかけた。かつて感じた振動が、俺たち人間の足元を揺さぶる。


「きゃあっ!」

「なんだなんだ!?」

「早くここから逃げろ! 怪獣に追いつかれるぞ!」


 民間人が経験したことのない、目標の進撃に伴う振動。避難者のパニックに拍車がかかる。近辺のビルの窓枠がガタガタと悲鳴を上げ、マンホールが跳ね上がって水道水が噴出する。


「皆、足を止めるな! 防衛軍が奴を食い止めるから、地下に避難するんだ!」


 俺は大声を上げ続ける。しかし、突然ぐいっと肩を掴まれた。


「おい、お前は何をやってるんだ?」


 声をかけてきたのは、避難誘導にあたっていた警官だった。


「防衛軍が攻撃を開始するなど、そんな情報は入っていないぞ!」

「俺は防衛軍司令部の石津武也少佐だ! これを見ろ!」


 俺はシャツの胸元につけたバッジを見せつけた。ちなみに上着は途中で投げ捨ててしまっている。

 すると、警官は慌てて姿勢を正した。


「し、失礼致しました! 石津少佐がこんなお若い方だとは……」

「言い訳はいらん! 防衛軍司令部も混乱しているんだ。攻撃はあと二分後には始まる!」


 俺は腕時計を見下ろしながら言った。


「分かったら部下に、避難者を地下街に収容するように伝えろ!」

「は、はッ!」

「敬礼もいらない!」


 そう言って警官を突き飛ばしながら、俺は再び避難誘導に入った。目標はといえば、やや周囲を警戒しているのか、しきりに頭部を左右に巡らせている。

 すると一段落ついたのか、再び前進を開始した。足が振り下ろされるたび、周囲のもの全て――人が、窓が、看板が揺れる。空気までもが、畏怖の念に打たれたかのように引き裂かれ、目標の足音のために道を空ける。


 警戒を解いたのか、ドォン、ドォンとアスファルトを踏み抜きながら、目標は前進を再開した。


「あいつッ!」


 俺はまた悪態をつきかけたが、それどころでないことは分かっている。上手く避難民を誘導するにはどうしたよいか。

 幸か不幸か、目標は真っ直ぐ内陸に向かって進んでいる。海岸に沿って左右に広がるように避難すれば、非難は容易だ。だが、それを周辺の人々に伝える手段がない。

 自分たちが防衛『軍』としての閉鎖的な組織形態を取っていたことを、つくづく後悔する。怪獣を倒すために先鋭化された兵器群。その情報流出を防ぐため、防衛軍と他の組織との接触は避けられていた。否、忌避されていたと言ってもいい。

 その結果がこれだ。消防庁とも警察庁とも、挙句は一般の自衛隊とも連携が取れない。

 俺は奥歯をぐっと噛みしめた。


《石津! 石津少佐!》

「こちら石津。羽崎中佐、一体何事です?」

《特科が攻撃を開始した。二六式ロケット砲だ。弾着まで約三十秒。カウントダウンを行うから、とにかく身の安全を――》

「馬鹿な!」


 俺は叫んだ。悲鳴に近かったかもしれない。


「避難民は混乱している! 他の組織との連携も取れない! 自分はこの場を動くわけにはいきません!」

《いいか、石津少佐。お前はこの化け物を駆逐するのにどうしても必要な人材だ。とにかく自分の身を守れ! 命令だ! 弾着十秒!》


 こうなってしまっては、俺には何もしようがない。ようやく地下街へと向かい始めた避難民の流れに押されるようにして、地下駐車場へと滑り込んだ。

 胸中でカウントダウンは進んでいる。

 五、四、三、二、一、今だ!

 数度にわたる爆音が、俺の鼓膜を揺さぶった。今までにない絶叫が響き渡る。俺は自分の背後から、真っ赤な爆光が膨れ上がるのを想像した。いや、想像ではない。経験上、確信に満ちた光景だ。

 爆風を逃れようとしたのだろう、狂ったように殺到してくる避難民。俺は背中を突き飛ばされ、なだれ込む避難民に圧し潰されかけた。


 地下街の喧騒は、一気にその度合いを増した。なんとか壁に貼りつき、避難民をより奥へ奥へと誘導する。だが、そこからでも戦闘による惨状はよく見えた。

真っ青だった空は今や黒煙に覆われ、その内側から炎が立ち上っている。周辺の窓ガラスは破砕され、看板は叩き落とされ、電柱は根こそぎにされて哀れに倒れ込んでいる。

 そして目標は、爆炎の中からぬうっとその頭部を露わにした。まるで何事もなかったかのように。


《石津、聞こえているか? 石津少佐!》

「こちら石津、無事ですが応答できる状況ではありません! 皆、早く奥へ! 一人でも多く収容するんだ!」

《命令したはずだぞ、まずは自分の生存を優先――》

「それでは駄目なんです!」


 俺は無線機に手を遣って、怒鳴り散らした。


「柘植忠司博士は、俺になら心を開く可能性がある! でもそのためには、俺自身が現場を知らなければならないんです!」

《一体どういう理屈だ!?》

「それを確かめるのも俺の任務の内です! だから、今は応答できません!」

《始末書ものだぞ、石津少佐!》

「構うもんか! それより、続く空爆と特科の第二波攻撃を止めてください! もう奴には通用しません!」


 ドン、という鈍い音がした。羽崎中佐が手を着いて、立ち上がった音だろう。流石に冷静ではいられなくなったのか。


《目標の進行を鈍らせるだけでもいいんだぞ、石津! その間に、目標の進行予想範囲内の住民を避難させれば――》

「ここだって避難民で一杯だ!」


 俺はなんとかここの現状を伝えようと、それだけに意識を集中した。


「今空爆なんて仕掛けたら、犠牲者は増えるばかりです!」


 すると、急に無線の向こうが静まり返った。いや、司令室の喧騒は聞こえてくるのだが、肝心の中佐の声が聞こえてこない。


「中佐? 聞こえますか? 直ちに航空攻撃を中止するよう進言します! これは自分が司令官として――」

《今回の作戦指揮は私が執っている》

「えっ――」


 その突然の、そしてあまりに冷え込んだ声音に、俺は息を飲んだ。


《菱井少尉から伝達は受けている。今回は私に指揮を委任すると、お前は言ったそうだな?》


 しまった。こんなところで足元をすくわれるとは。


《少佐が本部に無事帰還するまで、私が臨時に指揮を執る。異論は認めない》

「ちょ、ちょっと待ってくれ中佐! 羽崎中佐!」


 俺の叫びも虚しく、無線は向こうから一方的に打ち切られた。


「畜生!」


 俺は思いっきり腕を振りかぶった。無線機を壁に叩きつけてやる。しかし、腕を振り上げたところで、俺は動きを止めた。

 無線は今現在使える、唯一の通信手段だ。これを失うわけにはいかない。


 その時、喧騒の向こうから、微かにジェット戦闘機の飛行音が混じってきた。空爆まで、恐らく二十秒とはあるまい。

 俺はとにかく叫ぶしかなかった。


「地下に入った人は、皆耳を押さえて頭を下げろ! 空爆が始まって――」


 まさにその言葉の途中で、俺の声は爆音でかき消された。異様とまで言える風圧が、地下駐車場にも流れ込んでくる。吹き飛ばされた人々が、満員に近い駐車場の中で宙を舞う。そのままあちらこちらに避難民が叩きつけられる。

 といっても、彼らは床に落ちたわけではない。既に収容されていた、人々の頭上に落ちたのだ。あちらこちらで悲鳴や怒声、助けを求める大声が響き渡る。


 俺は咄嗟にしゃがみ込み、頭を押さえていた。幸い、自身は爆風に飛ばされなかったし、飛ばされてきた人々の下敷きにもならなかった。

 次の攻撃は再び特科の、ロケット砲によるものになるはず。俺は小休止を取るつもりで、重いため息をついた。しかし、安堵することはとてもできなかった。振り返って地下駐車場を見遣ると、先ほどから耳に捻じ込まれていた悲鳴の元が突きつけられた。


 避難民の群れの中、そのあちらこちらで将棋倒しが起こっている。


「誰か! 医療関係者はいませんか!?」

「おい、早くこいつをどけないと!」

「子供が下敷きになってるのよ、助けて!」


 俺は思わず、喉を鳴らして唾を飲んだ。自分は指揮官であり、衛生兵でも通信兵でもない。そして、現場で釘づけになっているだけの指揮官にはなんの価値もない。

 かくなる上は――。

 俺は無線機を取り出し、防衛軍本部の司令室に繋いだ。


《石津、無事か?》

「そんなわけないでしょう!?」


 唐突な羽崎中佐の声に、俺は荒れた声音で言い返した。


「空爆は爆風で犠牲者を出しやすいんだ! 最大効果域を狙うのは分かりますが、それでは不要な犠牲者が――」


 そう言いかけて、俺は口をつぐんだ。

 今の俺の使命はなんだ? 一人でも多くの民間人の守ること。それは分かる。だが、この世に『不要な犠牲者』、引いては『この世に不要な、守るに値しない者』などいるだろうか?


《おい、石津? 石津少佐! どうしたんだ!?》


 そう訊かれるまでもない。俺は既に、逃げ遅れた住民の避難誘導に加わろうとしていた。


「自分は地上に出て、住民の避難誘導を試みます!」

《なんだと? 何を考えているんだ、石津!》


 幸か不幸か、俺は防衛軍内部でも特別扱いされている。そんな俺が地上に出ているとあれば、誰も攻撃してはこないだろう。俺は、自分自身を人質に取ったのだ。

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