第16話
その時、俺は自分がいかに焦っていたのかを思い、同時に悔いた。こんなビルの隙間からでは、現場の見極めようがないではないか。俺は携帯端末を開き、怪獣の現在地を立体表示させようとしたが、やはりECMは健在。その影響で、ディスプレイは砂嵐状態だった。
「くそっ!」
取り敢えず、海岸線に向かって駆け出す。そこにあったのは、まさに混沌たるパニックだった。『怪獣が現れたらしい』という情報は行き届いているものの、皆がどこへ避難したらいいのか分からないでいるのだ。
防衛軍支給の端末でもECMにジャミングされるならば、市販の端末が機能するはずもない。人の流れは右に、左にと俺を圧し潰すように渦巻いた。警官も兵士も消防隊員も、為す術がない。
「うおっ!?」
俺は思いっきり、左から突き飛ばされた。悪態をつく暇もなく、そちらに流されていく。だが、待てよ。これだけの避難者がいるということは、その流れはちょうど怪獣の反対側に向かっているのではないか? 俺は左から右に流されているのだから、怪獣の姿を捉えるとすれば――。
俺はぱっと振り返った。そしてそこに、怪獣の姿を認めた。もう俺は、海岸線にまで出てきていたらしい。自分の現在地を把握しそびれたのは俺が未熟だからなのだろうが、取り敢えず敵に対する目視範囲には到達した。
しかしその敵、すなわち怪獣はといえば、海岸線で足止めを喰っていた。一体どうしたんだ? 陸地はもう目前だというのに。どこか苦し気に、上半身をぶるぶると震わせている。するとちょうど、天気雨でも降るかのように、水飛沫が飛んできた。
咆哮する怪獣。俺や避難者は、皆が耳に手を当てた。それでも俺は、目を逸らしはしなかった。やっと仇敵に相まみえたのだ。どこに目をつむる余裕がある? そんな意地を張りながら、俺は怪獣の様子を観察した。
怪獣までの距離はおよそ五百メートル。その前方、海岸線を走る道路上が真っ赤な炎に染まっている。
その時だった。軽い発砲音と似た砲撃音がした。海岸線の建造物屋上に配置されている、照明砲弾による攻撃だ。白燐弾が使われており、目視できるほどの速度で怪獣の頭部に向かっていく。実弾を使用するよりも周辺への被害は少なくて済むことから、二ヶ月前に急ピッチで配置されたものだ。関東地方を中心に、全国の海岸沿いに。
目くらましにすぎないが、それでも極めて強い光量と熱を対象物に与えうる兵器だ。何かが原因で全身を震わせている怪獣の頭部に、全弾が命中した。慌てて目を覆う人々。俺もまた、手で庇を作って怪獣の反応を見る。しかし、そこからの怪獣の挙動は恐るべきものだった。
白色光を切り裂いて、熱線を発したのだ。ドゥッ、と胸を打つような轟音と共に、ビル群の屋上が横薙ぎにされていく。馬鹿な。あれだけの光量をまともに喰らって、瞬き一つしないとは。
呆気なく沈黙した、ビル屋上の照明砲台群。ゆっくりと光が収まったのを見届けつつ、俺は怪獣の頭部を凝視した。その瞳には、薄く赤い膜が張られている。あれは、遮光板か。昼夜問わず活動できるように、日光を適度に遮る程度の膜がある。
「照明砲弾はもう通用しないか……」
俺は舌打ちを一つ。
その時になって、俺は一体なんのためにここに来たのか、全く考えていなかったことに気づいた。仕方ない、交通整理の手伝いにまわる他あるまい。
「皆さん! 海岸沿いにそのまま進んでください! 車からは降りて! 急いでこの場を離れてください!」
そうしなければ、特科部隊による攻撃ができない。特科部隊――遠距離攻撃を主とする部隊が攻撃を始めれば、今度は怪獣の足元にいる人間の命の保証はない。ここまで怪獣の接近を許すとは。俺は悔しさのあまり歯噛みした。
大体、公安は何をやっていたんだ? ECMを用いた電子テロを、このタイミングで起こさせるなんて。
しかし、異なる省庁の人間を責めても仕方があるまい。
その時、ゴオッ、というアフターバーナーの轟音があたりに響いた。近傍にいた戦闘機が高度を落とし、攻撃態勢に入ったのだ。といっても、使えるのはバルカン砲くらいだろうが。
俺は怪獣の背後を見遣った。予想通り、上空警戒中だったF-15Jが、凄まじい勢いで火線を浴びせる。しかしそれも、怪獣の背びれに当たって跳弾し、さしたる意味を為さない。
今必要なのは、艦船からのミサイル攻撃と、爆撃機による空爆だ。早く民間人を避難させなければ。
その時になって、無線機が微かな音声を拾った。怪獣の出現を把握した防衛軍本部が、大急ぎで回線を復旧させたらしい。
《――少佐――こちら羽崎――石津少佐、聞こえ――か?》
「こちら石津武也少佐! 羽崎中佐、応答願います!」
《やっと通じ――か。防衛軍関東駐留部隊と衛星回線はなんとかふっきゅ――せた。まず尋ねるが、お前は今何をしている?》
「民間人の避難誘導を」
と言いかけた直後、無線機が爆発するような怒鳴り声を拾った。
《馬鹿者!》
俺は思わず無線機を遠ざけた。
《指揮官不在でこちらは大混乱だ。ようやく私の基に指揮通信システムが回ってきたが》
「では羽崎中佐、私の代わりに指揮をお執りください。自分はどうにか、怪獣の現在位置を広域捕捉して民間人をここから離します。待機中の特科は?」
無線機の向こうから、怒気を孕んだため息が聞こえてくる。しかし、中佐も今回はやむなしと思ったようだ。俺の懲罰は、まあ、始末書で済めばいいが。
《富士演習場だ。二六式ロケット砲なら射程範囲内だが》
「了解しました。警察と消防との間のホットラインを開いてください。怪獣、いや、目標の位置さえ伝えられれば、特科はすぐに攻撃できるはずです。問題は民間人の避難です。巻き添えを出すわけにはいきません」
《承知している。しかし、既に大規模な被害が出ているな。多くの家屋が熱線で焼かれたようだが》
確かに、衛星画像からすればそう見えるだろう。だが、救える民間人のほとんどは、怪獣の足元で右往左往している。怪獣の熱線は、飽くまで照明砲台のあるビル群の屋上をなぞっただけだ。
「特科の攻撃は待ってください! 避難者はまだまだいます!」
《目標を足止めするには重火器による攻撃が必須だ。待つことはできない!》
「なんですって!?」
まさか、羽崎中佐は『周辺のビルが倒壊して既に死傷者多数』と見ているのだろうか? だとすれば、今すぐに特科隊がロケット砲による攻撃を開始しても不思議ではない。
多数を救うために少数の犠牲が出るのはやむを得ない。それは、羽崎中佐の信条でもあった。しかし、今はまだ早い。時間を稼がなければ。
「中佐、聞こえますか?」
《現在、航空支援部隊の発進を待っている。特科の次は空爆だ》
「特科の攻撃は?」
《特科の攻撃はあと五分で開始できる。空爆はその三分後だ》
五分? 五分だって? 怪獣は確かに進行しつつあるが、その歩みは遅い。通常よりも。きっと、照明砲弾による攻撃で警戒心を駆り立てられたのだろう。でなければ、熱線など使わずに進行してくるはずだ。
攻撃前に、救える人々がいる。まずは彼らを助けなければ。
「中佐、特科の攻撃はあと十分待ってください!」
《なにを寝ぼけたことを言っているんだ、石津? 今がどんな事態か分かっているだろう?》
「現場に来ていただければ分かります! 避難者はまだまだいます! 偵察用ドローンを飛ばして確認してください!」
《そんな余裕は――いや、ちょっと待て》
俺はぐっと唾を飲み込んだ。東京消防庁と警視庁、それに現場の自衛隊と連携が取れれば、攻撃は待てる。もしかしたら、たった今連携が取れ始めたところなのかもしれない。
しかし、そう上手く事態は進展しなかった。
《繰り返すぞ石津、特科はあと五分、航空部隊はあと八分で目標を攻撃する!》
「そんな……ッ!」
考えてみれば当然だった。防衛軍と各省庁との連絡が取れたとしても、それぞれが現場と繋がっているかは別問題だ。避難誘導をどのように行うか、現場に指示が届かない。まさに、灯台下暗しといったところか。
こうなっては仕方がない。俺は手でメガホンを作り、思いっきり声を張り上げた。
「怪獣に対し、防衛軍が攻撃を開始します! 地下鉄や地下街に避難してください!」
俺は千切れんばかりに腕を振り回した。ちょうど地下鉄の入り口にあたる階段前で。
爆風は防げるだろうが、もし誤爆されたらあっという間に天井が崩落してしまうかもしれない。それでも、なんとかしなければ。
再び響き渡った咆哮に、背筋が凍りつく。怪獣は俯きがちにしていた頭部をぐるりと回し、目の遮光板を開いて、再び進撃を開始した。
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