第15話

 俺が首肯してみせると、怜は唇を軽く湿らせ、ぱっと顔を上げた。


「私、怪獣孤児なんです」


 その言葉に驚きはなかった。怪獣孤児。怪獣に家族を奪われた子供たちのこと。その定義に合わせてみれば、俺も菱井少尉も怪獣孤児ということになる。

 だが厳密に、より狭い意味で言えば、家族を怪獣に奪われた後、里親のいなかった子供を指す言葉となる。その場合、子供たちは孤児院で引き取られることになるのだが、その対象年齢も十五歳までだ。

 幸い親族に恵まれていた俺や菱井少尉には、決して理解できない苦労があったことだろう。


「毎日、生きていくのに必死でした。強盗も殺人も日常茶飯事。私は専ら、犯行現場の見張りを任されていました。警官隊と衝突したこともあります」

「君はすぐに、そんなことを任されたのか?」

「任されたというか……。よく見ているようにと命じられていたんです。見張り役の連中の動きを。時々は、格闘技を教えてもらうこともありました。多くの先導者に、お前には才能があると言われてきました」


 そうやって修羅場をくぐり抜けてきたわけか。


「でも、どうやってそこまで強くなった? 初対面で急襲部隊を四人も昏倒させたんだぞ、たった一人で」

「元防衛軍下士官だったメンバーがいました。彼から、防衛軍の急襲部隊がどのような動きをするかを学んだんです」


 なるほど。だからあれだけ効率のいい立ち回りができたというわけか。


「その元防衛軍兵士ですが、ある日の作戦で親友が殉職し、耐えられなくなったそうです。とても気質ではいられないと」


 俺ははっとして顔を上げた。まるで、自分がその兵士の死を招いてしまったかのような錯覚に囚われたのだ。当時はまだ、俺は防衛軍には入っていないはず。無論、俺に責任はない。

 それは分かっている。しかし、そうやって精神を病んだ兵士がいて、軍人崩れのならず者になってしまったのかと思うと、心臓がぎゅっと圧縮されたような息苦しさを覚えた。国を守ると誓った仲間が、そんな身分に落ちてしまうとは。


「私が孤児院を出て二年後のことでした。といっても、たった半年前ですが。私は柘植博士に拾われたんです」


 拾われた? 柘植博士に? 一体どういう状況だ?

 その疑問が俺の顔に出たのを見て取ったのか、怜は続けた。


「当時の博士は、防衛省技術研究本部から逃げ出していたのです。工作員や急襲部隊を出し抜き、自分の研究を封印しながら」

「封印?」


 俺は自分で、眉間に皺が寄るのが分かった。しかし、『封印』という言葉を使ったことを気にも留めず、怜はさっさと話を運んでいく。


「だから私たちのような裏社会の人間にコンタクトを取ったのです。用心棒を一人、売ってくれないかと」

「それで選ばれたのが君だった?」


 こくり、と頷く怜。


「救われた、といっても過言ではありません。少なくとも衣食住は確保されましたからね」


 私からの話は以上です――そう言って無線機の方に振り返りかけた怜を、俺は言葉で引き留めた。


「じゃあ、博士は今日どうしたんだ? 何故ここにいない? 君は同行しなくていいのか?」

「さあ、分かりませんね」


 怜は肩を竦めた。


「博士をお守りする。そうでなければ指示に従う。私はそれだけのために生きているようなものですから」


 俺は腕を組んで長いため息をついた。少尉は自分で自分を抱くようにして、怜の方を見つめている。

 この僅かな沈黙は、唐突に響いた電子音によって叩き割られた。


「わっ!」


 少尉が驚きの声を上げる。俺と少尉の携帯端末から、突然警報音が鳴り響いたのだ。残念ながら、会話できるほどまでは通信が復旧していないらしい。だが、モールス信号と同じ符丁での遣り取りならできる。

 この符丁は、奴だ。既に上陸しかかっている。ECMの影響で通信が取れなくなったところに、ちょうど現れたということか。


 きっと、今連絡を試みている相手は羽崎中佐だろう。俺は『こちら石津少佐』と送ってみた。すると、『現在輸送ヘリが急行中、最寄のヘリポートで合図せよ』とのことだった。


「怜、君が自分の話をしてくれたこと、感謝する。だが、今は怪獣が接近中だ。このあたりにヘリポートはあるか?」

「それでしたら、このビルの屋上が使えます」

「分かった。行くぞ、少尉」

「りょ、了解!」


 こうして、俺たちは通信室から駆け出した。


         ※


 防衛軍ヘリの姿が見えたのは、ちょうど屋上に出た時のことだった。三機編成でやって来る。一機が俺たちの回収用、残る二機は怪獣監視用だろう。緊急回線が復旧した時、すぐに本部と連絡を取るつもりなのだ。


 その時、俺は自分の失態を呪った。今日もまた、拳銃や連絡用照明弾の類を所持し忘れてきてしまったのだ。振り返ると、少尉もまた首を左右に振るばかり。仕方ない。

 俺は屋上で飛び跳ねながら、大きく手を振った。ヘリのパイロットが気づいてくれるといいのだが。


 そんな俺の危惧は、すぐに取り払われた。中央のヘリが、やや離れたところでホバリングを始めたのだ。左右に展開していた二機は、その一機をすぐに追い越して作戦空域に向かっていく。

 中央のヘリが近づいてくるのを見つめていると、雑音が街中に響き渡っているのが耳に入った。防災無線らしいのだが、完全に砂嵐状態でまったく意味を為していない。該当地区の住民の避難は、現場の警察や消防に任せるしかないだろう。そして防災無線もまた、接近してきたヘリの回転翼の音で切り裂かれていく。


 無事ヘリポートに着陸したヘリからは、パイロットが一人、降り立ってきた。いつも通りの敬礼と返礼を行う。


「羽崎中佐が、石津少佐に指揮を執るよう要請しております。石津少佐、並びに菱井少尉は、直ちに本部へ――」


 と、いうパイロットの声は、呆気なく中断された。強烈な爆発音によって。

 一拍遅れながらも、俺は『伏せろ!』と叫んで腹這いになった。そのまま匍匐前進して、先ほどの監視用ヘリの飛んでいった方に視線を飛ばす。そして、息を飲んだ。


 俺の視界の中央には、今まさに上陸せんとする怪獣がいた。直接目にするのは、実に十七年ぶり。

 屈強な脚部、鋭利な背びれ、そしてあの咆哮が轟く。間違いなく、奴だ。


 怪獣の前方では、炎と黒煙を上げながら何かが落下していくところだった。回転翼が見える。先ほどの監視用ヘリのうちの一機だ。接近しすぎたのだろう、熱線で撃墜されたものと見える。

 そしてヘリは、ビルの谷間に吸い込まれるようにして落下していった。数秒の後、再び爆発音。だが、今度は連続している。きっと走行中の一般車両の列に突っ込んだのだ。連鎖的に爆風が爆風を呼び、地上は一瞬にして阿鼻叫喚の呈を成した。


「少佐! 石津少佐!」


 後ろから菱井少尉の声がする。


「早くヘリに! ここも戦場になります!」

「……」

「少佐!」


 ヘリの窓から顔を出し、少尉が腕を振り回している。だが、俺はこの惨劇を眼前にして、身を引くわけにはいかなかった。『君は現場を知らない』――だったら今から見に行ってやろうじゃないか。俺はヘリに駆け寄り、回転翼の音に負けないように声を張り上げた。


「少尉は本部に戻って、羽崎中佐に指揮を委ねると伝えろ! 俺からの伝言だ!」

「なんですって? 少佐はどうなさるんです?」

「民間人の避難誘導にあたる」

「で、でもそれは下士官の任務では――」

「パイロット! 今すぐ離陸しろ!」


 パイロットはさっと俺と少尉の間に視線を走らせたが、俺の気迫に押されたのか、すぐに親指を立ててみせた。


「おい! もう離陸するぞ! ドアを閉めてシートベルトを締めろ! 命令だ、少尉!」

「でも!」


 すると副パイロットが身を乗り出して、無理やり扉を閉じた。少尉はしつこく窓を叩いている。しかし、ヘリはあっという間に舞い上がっていった。

 俺の心に、一抹の不安がよぎる。自分は無事、菱井少尉の元へ帰還できるだろうか?

 だが、いつまでも彼女を心理的な支えにしてはいられない。

ぐんぐん遠ざかっていく、少尉を乗せたヘリ。見えなくなるまで見送っていたい気持ちがなかったといえば嘘になる。しかし俺は未練を吹っ切るようにして、踵を返した。

 先ほど登ってきた階段を、急いで下りていく。一階に着いた頃には、完全に息が上がっていた。


「石津少佐?」

「ああ、怜か。菱井少尉はヘリで本部に帰した」

「あなたはどうするんです?」

「博士の言葉を実践するまでだよ」


 怜は俺の意味するところを分かっていないようだったが、俺を引き留めようとはしなかった。


「君も逃げた方がいいかもしれない。怪獣がどう動くか、連絡手段がないからな」


 すると怜は、すぐにぐっと頷いた。


「どうかご無事で」

「は?」


 突然、怜からそんな言葉をかけられて、俺は呆気に取られた。が、それもすぐに『現場急行』の四文字に塗り潰される。

 俺は再び全速力で、しかし人の流れに逆らうようにして、『現場』へと駆け出した。

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