第14話

「急げ、菱井少尉!」

「は、はい!」


 俺は四の五の言わず、廊下に飛び出していた。そのまま全力疾走で地下駐車場への階段を駆け下りる。と、そこで自分たちが正装していないことに気づいたが、今更戻ってはいられない。

 俺たちは一般乗用車(ただし防衛軍仕様)に乗り込んだ。今日は俺が運転を担当する。かなり荒っぽい運転になるだろうが、これは非常事態なのだ。青色の特殊なパトランプを点けて、俺は車を急発進させた。


「きゃっ!」


 少尉が短い悲鳴を上げる。


「シートベルトだ!」


 俺は、事故が起こっても、せめて少尉の生存率が上がるよう指示を出した。かくいう自分は知ったこっちゃない。背中がシートに押しつけられるような感覚と共に、車は一般道へと躍り出た。


         ※


 柘植博士の潜伏場所には、いつもは一時間ほどで到着する。しかし、今日に限って道が混んでいた。

 今は、民間人にとっては『非常事態』ではない。飽くまで『平時』だ。こちらがいくらパトランプを鳴らしても、この片側三車線の道路を空ける義務はない。というより、空ける方法がない。


「あ、あの、石津少佐、電車の方が早かったんじゃ……?」


 菱井少尉の的確な指摘に、俺は自分の額をハンドルに叩きつけたくなった。しかしそれこそ後の祭りだ。


「恨むなら俺じゃなくて、この先で起きた事故を恨んでくれ」


 俺は助手席の少尉を見もせずに、ぴしゃりと言い放った。たった今、立体表示型のカーナビが情報を更新した。この渋滞は、どうやら大規模事故によるものらしい。何があったのか? そこまでは表示が出ない。だが俺には、何故か、本当に勘としか言いようがないのだが、この事故には博士の研究が絡んでいるように思われた。


「少尉、緊急回線で消防庁と警視庁から情報を集めろ」

「は、はい!」


 自分も渋滞で運転する必要がないのだから、お前が調べろ、と言い返されても仕方のない状況だ。が、気が早ってしまい、落ち着いて情報収集をできるとは思えなかった。


「こちら防衛軍司令、石津少佐補佐官、菱井恵美少尉です。状況を説明願えますか?」

《こちら東京消防庁。調布市内の公道で、大規模な爆発事故発生。ガス管の爆発かテロ攻撃かは現段階では不明。一般車両数十台が巻き込まれた模様。二次被害防止のため、大規模交通規制を実施中です》

「了解。ありがとうございます」


 少尉は無線を切った。


「少佐!」

「聞こえている」


 俺は人差し指でハンドルを叩きながら、苛立ちも露わにそう言った。

 爆発というだけならまだしも、『大規模な』爆発と言っている。電車も地下鉄も止まっているだろう。


 さて。どうするか。

 俺たちの目的は、原怜から話を聞くことだ。だったら、直接会う必要はない。今ここでだって、会話できればいいだけのこと。


「少尉、携帯端末はどうなってる?」

「あ、えっと――圏外?」

「なんだって? 無線はどうだ?」

「防衛軍司令部より消防庁、応答願います。こちらは――あれ?」

「通じないのか?」

「はい。あ、ちょっと!」


 少尉は俺が閉じかけた立体ディスプレイの地図を開き直した。パタパタとコードを打ち込み、フィルターをかける。すると、奇怪な現象が起こっていることが俺にも理解できた。


「こいつはまさか、ECMか?」

「そのようですね」


 ECM――電子対抗手段。それが数秒の間をもって、調布市内の事故現場、否、もしかしたら事件現場から発せられているとしたら。これでは、先ほどまで通じていたはずの無線も役に立たない。


「これではヘリも呼べないか。走るぞ、少尉」

「えっ、ここからですか?」

「そうだ」


 俺は少尉を見もせずにドアを開き、歩道に降りた。


「ま、待ってください少佐!」

「急がないと、怜が気を変えるかもしれん! 急ぐしかないぞ!」

「は、はい!」


 俺とて飽くまで自衛官だ。体力に自信はある――と言いたいところだったが、残念ながらそうとも言えなかった。なんとか二十三区内に入った時には、既に俺たちは満身創痍だった。


「しょ、少佐、何かお飲み物を……」

「そうだな、少尉……」


 俺たちは身体をくの字に折って、ゼイゼイと肩で息をした。気丈にも、少尉は目に入った自動販売機に向かって駆け出した。水分の確保に、なにもそこまで急ぐことはなかったのだが。

 幸いにして、今回はコーヒーではなくスポーツドリンクだった。俺は少尉に礼を述べる間もなく、キャップを捻って身体に水分を流し込む。


「ああ……」


 ぐいっと顎を腕で拭うと、少尉もまた、喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲んでいた。と、思ったら突然むせ返った。


「おい、大丈夫か? あんまり急ぐから」

「そ、それは、少佐だって、同じ、ですよ、ケホッ……」


 俺は少尉の背中をさすってやろうと思って、止めた。否、手が出なかった。

 俺は自身に言い聞かせた――いいか? 菱井恵美少尉は、一介の部下にすぎないんだぞ? 何を意識している?


 俺はパチンと両頬を掌で叩き、気合を入れ直した。

 まさにその時、ヴン、という音を立てて、数機のヘリが頭上を通過していった。どうやら消防庁のヘリらしい。無線が通じない今、彼らの任務は、状況を本部に伝えることではなく、負傷者の救助だろう。目視範囲であれば、互いに接触することもあるまい。


 調布市に入る手前で車を置き去りにしてきた俺たちは、今度は歩いて博士の所在地、すなわち例のビルへ向かうことにした。怜が会合場所を指定してこなかったところから察するに、彼女はきっとそこで待っているはずだ。あともう少し。

 時折スポーツドリンクを口に含みながら、俺たちは歩みを進めていった。


         ※


 俺たちはやっとのことで、博士のビルに辿り着いた。しかし、様子がおかしい。怜に『随分遅かったですね』という嫌味の一つも言われるかと思っていたのだが。

 玄関ドアの前、インターフォン越しに言われたのは、『もう開錠してあります』という一言のみ。だが、その口調から、俺は怜が少なからず動揺していることを察した。


「失礼する」

「お邪魔します」


 声を伸ばしたが、返答はない。勝手に入れということか。

 俺たちはゆっくりと歩を進め、前回訪れた最奥の部屋の前に辿り着いた。ここにも扉があったが、施錠されてはいない。俺はゆっくりと扉を引き開け、その先に怜の姿を認めた。


 怜は今、旧式の無線機と格闘していた。ダイヤルを捻っては耳を澄まし、またダイヤルを捻るという行為を繰り返す。すると唐突に、大きな舌打ちを一つ。


「やっぱり駄目か」

「どうしたんだ?」

「ああ、石津少佐に菱井少尉、おいでになっていたのですね」


 片耳にヘッドフォンを当てながら、怜が一瞥をくれる。先ほどもう開錠してあると告げたばかりではないか。俺たちの来訪には気づいていたはず。だが、きっとこの無線機を相手に四苦八苦していて、一瞬で忘れてしまったのか。


 さて、無線の相手が誰なのかは大方察しがつく。柘植忠司博士だろう。だが、怜も俺たちと同様、ECMを相手に苦戦して、上手く連絡を取れずにいるのだ。

 しばしダイヤルとヘッドフォンを相手に苦戦していた怜は、諦めたように大きなため息をついた。


「緊急回線も死んでる。あなた方はいかがでしたか? 少佐」

「ん、ああ」


 突然問いを投げかけられて、俺は僅かに身じろぎした。だが、答えははっきりしている。


「携帯端末も無線も、防衛軍内部の緊急回線も駄目だ。同じ境遇だな」


 すると怜は、ふーん、と唸ってデスクに肘をつき、掌に顎を載せた。


「これほど広範囲にECMを発して通信妨害をするなんて、今時可能なのでしょうか?」

「だから困っているんでしょう?」


 少尉の問いを、軽く一蹴する怜。

 待てよ。これはもしかして――。


「怜、これは柘植博士の研究の一部じゃないのか?」


 すると怜は、じっと俺と目を合わせた。しかしすぐに視線を落とし、分かりません、と一言。

 俺はふと、博士の研究のヒントを怜から引き出そうとしている自分に気づいた。これはよくない。怜の方から『話がある』と持ちかけられたのだ。彼女のペースに合わせなければ。


「で、君の方から話がある、とのことだったが……。よければ聞かせてもらえるか?」

「そうですね。博士がいらっしゃらないのもちょうどよかったわけですし」


 ん? 博士に聞かれてはまずい話なのだろうか。だとすれば、俺たちのような部外者が耳にすべき事柄ではないように思われるが。

 しかし、怜はそんな俺の危惧を相手にすることなく、俺と少尉に椅子を勧めてきた。椅子といっても、簡素なパイプ椅子だ。怜自身は、プラスチック製の安っぽいテーブルを持ち出し、そこに二本のペットボトルを置いた。ミネラルウォーターらしい。

 ちょうどスポーツドリンクが底をついていた俺は、『それじゃ』と遠慮なくそれに手を伸ばした。


「菱井少尉も、どうぞ」

「あっ、は、はい!」


 ううむ。やはり少尉は怜のことが苦手らしい。確かに、この年頃で怜ほど物事を達観できるような人物は珍しいだろうが。


「さて、お二人をお呼びした件ですが、私の過去についてです」

「君の、過去?」


 ゆっくりと頷いてみせる怜。

 

「博士はこういうお話はお嫌いですから。ちょうど今日、博士は外出中ですので、ゆっくりお話できるかと」

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