第13話【第三章】
「まずはご苦労だった、石津少佐。怪我の具合は?」
「出血は止まっています。少し鼻声になりますが」
「気にするな。まずは、報告内容について話し合おう。適当に腰かけてくれ」
博士のもとから帰って二時間ほどが経過していた。現在時刻は午後六時を回り、外は真っ暗だ。羽崎中佐の執務室で、俺は博士の身柄確保に失敗したことを告げていた。
中佐は、俺を叱責するようなことはしなかった。事態は逆だ。俺が中佐に噛みつこうと、機会を狙っているところだ。
「作戦失敗は残念だが……。どうしたんだ? 怖い顔をして」
「何故別動隊を送り込んだんです? 私に知らせることもなく」
「敢えて知らせる必要はないと判断したのでな」
間髪入れずに、中佐は答えた。
「君の指揮する第二班が博士の身柄を確保できれば、第一・第三班からなる別動隊は動かす必要はなかった」
それはそうだろう。だが、俺の班が作戦に失敗したのには理由がある。
「博士と共にいた少女は何者です? 確か、博士は彼女を原怜と呼んでいましたが」
「私も数ヶ月前から、彼女が博士に帯同していることは知っている。理由は目下のところ不明だ。彼女の正体もな」
「警察庁から通達は?」
「ない。公安も動けずにいるそうだ」
その時、嫌な事態の進展が脳裏をよぎった。
「まさか我々以外の組織が博士の身柄確保に乗り出す、なんてことは?」
「それはない」
これまた即答する中佐。
「我々がやろうとしているのは、民間人の拉致行為だ。立派な犯罪だが、そんなことができるのは、我々が超法規的措置を許されているからだ。そんなお許しがなければ、誰も手を出さんよ」
「そう、ですか」
頷きながら、中佐は自分のマグカップを口に当てた。
「どうした少佐、喉が渇いているんじゃないのか?」
「は、はあ」
俺の手元にもカップが置かれており、微かに湯気を立てている。どうしてこの組織には、こうもコーヒー好きが多いのだろう。ありがたく頂戴することにはしておくが。
その後は特に何を語るともなしに、俺は中佐の執務室を後にした。
「失礼します」
と言うと、中佐は『おう、無理はするなよ』と言って執務机に向かうところだった。様々な資料がぐしゃぐしゃに載せられており、中佐本人以外には、どれがどの資料なのか分からないだろう。自慢ではないが、俺の部屋とは大違いだ。
引き戸を閉めて振り返ると、ある人物がそこに立っていた。
「お疲れ様です、石津少佐」
「君か、菱井少尉。また何か復習でもしたいのか?」
「あ、それより先に、これを」
またコーヒーか。ただし、何故か今日はアイスコーヒーだった。暖房の効きすぎを考慮してくれた結果だろうか。少なからず飲みやすいものであることに、俺はほっとした。せっかくの差し入れを、少尉に向かって突き返すことはしたくなかったのだ。
「夕飯になさいますか?」
「ん? ああ」
「じゃあ今日もご一緒しても?」
「好きにしてくれ」
「はい!」
※
「柘植博士じゃないが、私も君の家族のことは知らないな。不躾ですまないが――」
「ああ、圧死でした。家屋が倒壊して」
菱井少尉の、あまりにも軽々とした返答に、俺は口に含んだシチューを噴き出しそうになった。
「そ、それは……」
「私はその日、幼稚園に行っていたので無事だったんです。怪獣の進行経路から外れておりましたので」
だから気にしないでください。そう言って、少尉はアジフライを器用に切り分け、口に含んだ。
「君は見たのか? 怪獣の姿を?」
「はい。かなり遠目に、ですが。そこに自衛隊のヘリが来て、上手く怪獣を誘導して海に向かわせてくれたんです。その途中に熱線に撃たれて、六名の自衛官が亡くなったと、後に聞きました。もしかしたら――」
「もしかしたら?」
「それが私の人生を方向づけたのかもしれないですね」
俺は目の前のサラダに目を下ろし、軽く数回頷いた。そうでなければ、今年防衛大を卒業した彼女が、急に少尉の任を拝命することはなかっただろう。普通は准尉からのスタートだ。
「勝手な妄想になってしまってすまないが」
「はい?」
軽く首を傾げる少尉。
「君は怪獣を憎んでいないのか? 俺と違って、君はどこか――人間的だ」
「どういう意味ですか?」
無邪気とも純粋ともいってもいい顔つきで、少尉は上目遣いに俺を見つめてくる。
「い、いや……。君は優しいからな」
おいおいおいおい。一体何を言っているんだ、俺は? 菱井恵美少尉は一介の部下にすぎない。『優しい』だなんて、こんな褒め方はないだろう。
微かに顔が紅潮しているのは自覚していた。せっかく止血したというのに。俺は前言撤回をするためというか、忘れてほしいという気持ちで、思いっきり視線をずらしてコッペパンにかじりついた。
もしかしたら、俺は彼女の仕草を見たかったがために、こんな質問をしたのかもしれない。大胆に言ってしまえば、異性として好意を抱いているのかもしれない。
「優しくなんて、ないです」
「は?」
それが先ほどの会話の続きであることに気づくのに、数秒の時間を要した。すると、ぴったりと俺と視線を合わせ、少尉は語った。
「本当に優しかったら、怪獣を倒そうなんて思いませんよ。私だって、少なからず恨みは抱いている自覚がありますからね。もしかしたら、その感情を乗り越えるために、挑戦したいのかもしれない」
「その挑戦は、怪獣を倒せばゴールなのか?」
ふっと少尉は口元を緩めた。
「分かりません。亡くなった両親が帰ってくる、なんて話でもありませんからね」
両親――家族、か。俺は、少尉になら『彼女』のことを教えてもいいと思った。だが、今すぐに、という気分にはなれない。まあ、そう思える日が来るまで、そう遠くはないだろう。
※
それから、柘植博士の元を訪れるのは毎日の日課となった。俺一人でいいと言ったのだが、菱井少尉は同行させてくれという。命令で追い払うことはできたのだが、そんなことはしたくなかった。彼女の具体的な過去を知ってしまった今となっては。
博士たちは博士たちで、しばしの間ここに腰を据えるつもりらしく、雲隠れするようなことはしなかった。ただ、毎回のごとく、怜が『博士はおりません』とインターフォンで答えるばかりだ。
だが、博士が逃げ出さないのはどういうわけだろう。何かを造っていて移動できないのか? いや、だったらもっと大きな機械や工作器具あって当然のはず。建物の全容を把握しているわけではないとはいえ、そんな気配はなかった。
博士は『君は怪獣駆逐作戦において、現場を知らない』と言った。もしかしたら、俺は試されているのか?
しかし、だったらどうしろというのだろう。どうしろもなにも、この一週間、怪獣は姿を現していない。それはそれで結構なことだが、完全に奴を倒しきらなければ、落ち着いては暮らせない。俺も、仲間も、国民も。
奴め、一体何をしている? 何を考えている? そして、どこを狙っている?
※
《柘植忠司博士はおりません。引き取りください》
まるで録音されたかのような、単調な抑揚の声がする。もちろん、怜のものだ。初めて博士の元を訪れてから、ちょうど一週間が経っていた。八回目の訪問となる。
「我々はもう、博士を連れ出そうとは思っていない。話がしたいだけなんだ」
軽く扉に拳を当てながら、俺は懇願した。
「どうか会わせてもらえないか?」
《お断りします》
「博士に代わってもらうことは?」
《お断りします》
まったく、これでは取りつく島もない。
また怪獣が現れたら、俺もまだ戦いようはある。菱井少尉は引き留めるだろうし、羽崎中佐は反対の命令を下すかもしれないが、『現場の』指揮官は俺だ。誰にも口出しはさせない。
しかし、怪獣が行方をくらませたままでは、こちらとしても動きようがない。つまり、俺の戦いを博士に見せつけて、彼の助力を得ることができない、ということでもある。俺の苛立ちは、日に日に増していくばかりだった。
俺は自室で、とにかく資料を漁ることにした。過去の怪獣の航路、上陸場所の条件、領海内におけるディッピング・ソナーの配置。どこかにヒントがあるはずだ。そう思い込むことで、博士に自分の戦いぶりを見せられない、という現実から逃避していたのかもしれない。
「ああ、畜生!」
俺は立体映像のスクリーンの投射ボタンに掌を叩きつけ、強制終了させた。肘をデスクに着き、指先を額に当てる。これで両親の敵討ちをしようというのだから、まったく情けない。
俺が今日数度目のため息をついた時だった。スライドドアがサッ、と開いた。驚いた俺が振り向くと、そこでは息を荒げた菱井少尉が立っていた。
「少佐! 緊急連絡です!」
「なんだ? 怪獣の現在位置が捕捉されたのか?」
「あ、えーっと、そうじゃなくて」
一体どうしたんだ、歯切れが悪いな。
「あの、は、原怜さんから電話です!」
「!」
俺は言葉もなく、しかし勢いよく立ち上がった。
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