第12話
彼女が部屋を出ていくのを見送ってから、不意に博士が俺を見た。
「若いな」
「は、はい」
何もかもを見透かすような、博士の視線。俺は突然、自分の心が丸裸にされたような気分になった。
「無礼を承知で訊く。ご家族を怪獣によって亡くしたのか?」
「はい」
淡々とした博士の問いに、俺もあっさりと答えるしかない。
「少し待ってくれ。このあたりに資料があったはずだな」
資料? なんのことだ?
「ああ、あったあった」
「何をご覧になっているんです? 博士」
まさか防衛軍の資料が流出しているのではあるまいか。俺は背筋がぞわっ、として、慌てて博士の肩に手をかけた。
その肩越しに覗き込むと、そこにあったのは古びたファイルだった。日焼けしてやや黄ばんでいるが、それでもだいぶ丁寧に扱われてきたらしい。そこにあったのは、俺の写真だった。
五歳の頃、すなわち怪獣に両親を殺された時の写真。それから飛んで、防衛大入学時の写真。最後に、防衛軍入隊時の写真。半年と少し前の写真だ。
「どうして博士がこんな写真をお持ちなんです?」
「これでも研究者の端くれだからな。この程度の情報は集めている。だいぶ顔つきが変わっているな。幼い頃に比べて、今の君はまるで殺し屋だ」
俺はムッとして博士を横目で睨みつけた。
「どういう意味ですか?」
「なにも君の気分を害するつもりはない。ただの客観的事実の陳述だ。まあ、完全なる客観など存在しないだろうが」
ところで菱井恵美少尉、と、博士は簡単に彼女の名を言い当ててみせた。
「は、はい?」
恐る恐る返答する少尉。まるで幽霊かなにかを見つめるような目で、博士の背中を凝視している。
「君は、怪獣の第二次上陸でご家族を失っているな」
「あ、そ、それは……」
「安心したまえ。これ以上根掘り葉掘り尋ねるつもりはない」
博士は立ち上がり、ファイルをデスクに置いた。そのままさっと振り返る。白衣がなびき、博士の視線が俺たちを横切る。度の強そうな眼鏡越しに、何かを達観しているような、それでいて何かに圧し潰されそうな、複雑な目をしている。
「先ほどの無粋な連中に訊いたよ。私を技研に連れ戻しに来たんだろう?」
「あ、えと、それは」
すると博士はデスクに軽く寄りかかり、手を着いた。
「まずい。それは非常にまずい」
片手を眉間に遣りながら、博士は左右に首を振る。
「これまた失礼を詫びてから言わせてもらうが、石津少佐。君は現場に出たことがあるかね?」
「?」
なんだ? 何を突然そんなことを?
「はッ、私は現場指揮官であります。羽崎哲三中佐と共に作戦を立案し、怪獣上陸時に現場に急行、戦車・装甲車・航空機の運用に――」
「違うな」
博士は腕組みをして、じっと俺と視線を交わした。
「違う、とはどういう意味です?」
「まあ、指揮官ともなればやむを得ないとは思うがね。私は君が、自分の力で、怪獣に立ち向かったことがあるのかと言うことを訊きたいんだ」
それは毎回、と言おうとして、俺は慌てて言葉のブレーキを踏んだ。
俺は幼い日に、初めて怪獣を見た。その巨大さ、凶暴さ、慈悲のなさを、身をもって体験したのだ。
しかし、その後はどうだろう? 作戦司令室か現場指揮用テント、時には現場からやや離れた特殊指揮車両にこもり、命令を下していただけではなかったか。
黙考する俺に向かい、博士は言葉を続けた。
「なにもライフル一丁で怪獣に立ち向かったか、などと無謀なことは訊かない。だが、君はあまりにも現場を知らなすぎる。その悲惨さをな」
「それは違います!」
声を上げたのは菱井少尉だった。
「石津少佐は立派に指揮を執られています! そのために猛勉強して、殉職者の遺族に手紙まで書いて。少佐は、少佐は――」
「もういい、菱井少尉。これは私と柘植博士の話だ」
すると、少尉は主人のお叱りを受けた小型犬のように、無言で身を縮めた。同時に、博士は視線を下に向け、ふむふむと頷いた。
「石津少佐、君の努力と忍耐力を責める気は毛頭ない。むしろ、私からすれば尊敬に値する存在だ。だが、君は現場を知らない。ご両親を喪った時以外で、怪獣を自ら目視したことは?」
これはもう隠しようがあるまい。
「ありません」
「だろうな」
『繰り返すが』と前置きして、博士は言葉を繋いだ。
「君の努力は立派なものだ。殉職者や遺族に対しても、実に誠実に相対しているのだろう。だが、怪獣の姿を肉眼で見ることなしに、安全なところからああだこうだと指揮するばかりでは、部下はついてこない」
その言葉に、俺はぎゅっと拳を握りしめた。
「私の部下は優秀です。皆国民のため、家族のために最善を尽くしています。彼らは立派に私の命令に準拠し、任務を遂行しております」
「それはどうかな」
相変わらず、冷やかさを隠そうともせずに博士は語りかける。
「君の部下たちは、一人一人が怪獣に恨みを抱いているのだろう。そうでなければ、防衛軍などという危険な組織に身を置きはしまい」
俺は博士の言わんとするところを察した。
「つまり誰が指揮を執ろうと関係なく、彼らは自らの感情で動いている、と?」
首肯する博士。
「私に指揮能力がないとおっしゃりたいのですか」
俺はすぐそばで、少尉がはらはらしながら俺と博士を交互に見つめているのを感じた。だが、今は彼女のことを気にかけている余裕はない。
「まさか。私はそんなことは思っておらんよ。ただ、君に『怪獣と再び相まみえる』覚悟がなければ、いつしか部下に見切りをつけられるのではないか。そう忠告したかったのさ」
「そんなこと、絶対にあり得ません!」
少尉が再び口を挟んできた。
「私たち――いえ、我々の士気は極めて高いです! それも、羽崎中佐と石津少佐が立派に指揮を執っておられるからです! 見切りをつけられるなんて……」
「黙っていてくれ、少尉!」
今度こそは、俺も声を荒げてしまった。
「要は、自分のような現場も知らない若造に協力する気はない、とおっしゃりたいのですね、博士」
「そこまで自虐的にならんでも構わんよ、石津少佐。ただ君は若すぎるし、どうせなら早く現場そのものを知っておくべきかと思ってね。それだけだ」
『若造』という、何度となくぶつけられてきた蔑称を使ってみたが、博士はそこまで俺を悪く思っているわけではないらしい。しかし、いや、だからこそ、どうすれば博士を説得できるのかが分からなくなってしまう。
俺は周囲を見渡した。拳銃の類は別動隊が運び去ってしまったから、脅して博士を連れ出すことはできまい。それに、先ほどの怜という少女が戻ってきてしまっては厄介だ。
「はっきりさせておくが」
その博士の前置きに、俺ははっと意識を現実に切り替えた。
「私はもう、技研にも防衛省にも、そして怪獣にも関わるつもりはない。そろそろお引き取り願おうか」
まるでタイミングを見計らったかのように、怜が扉を開けて入ってきた。僅かな冷気をまといながら、俺に近づく。少尉が控えている手前、情けない態度は見せられない。俺はできる限り平静を装って、怜が差し出してきたスーツとシャツを受け取った。
「博士、私はこれで」
「うむ。ご苦労だったな、原くん」
「いえ」
それだけの短い会話を経て、怜、こと原怜は隣室へと引っ込んだ。
手渡された真新しいスーツ一式を見下ろしながら、俺は考える。考えるのだが、どう考えても俺と少尉では怜に勝てる見込みはない。
俺は、極力小さくため息をつきながら俯くしかなかった。
「今日のところはお引き取り願おうか」
博士の言葉がじわり、と胸に染みる。俺は自分の意識を想定できないままに振り返った。やや潤んだ目で俺を見上げてくる少尉。彼女にも、『撤収する』とだけ告げて、先ほど自分たちが入ってきた入り口へと向かった。
「ああ、少佐殿」
ドアノブに手をかけた時、博士は言った。
「先ほどの、別動隊を退かせた時の姿はなかなか勇ましかったよ。その調子で精進してくれ」
精進? どういうことだ? 脳内が疑問符で一杯になるのを感じつつ、俺は振り返りはせずに退室した。
そう言えば、先ほど怜に昏倒させられた連中は、もう意識を取り戻しただろうか?
※
幸い、部下たちは皆目を覚ましていた。
「少佐、申し訳ありません。あんな小娘一人に我々が……」
「いいんだ」
俺はなんの気なしにそう答えた。しかし、人員輸送車にさっさと乗り込む俺と菱井少尉を見て、部下たちは呆気に取られた様子だ。
「あ、あの、博士の身柄は?」
「すまない。私の経験不足だ。今日のところは引き揚げる。皆、後部座席に乗ってくれ」
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