第11話
「待って!」
はっとして、俺と少女は振り返った。そこには、菱井少尉が立っていた。バンのドアに背中からへばりついている。逃げ出したいのは山々なのだろう。それでも、彼女は言葉を止めようとしない。
「ちょっと待って。私たちは、柘植博士と話をしに来たのよ! 何かを無理強いするようなことは――」
「にしては強引なようですね。特殊急襲部隊を四名も連れてくるなんて」
少女は振り返り、両腕を広げてみせた。大の男が四人、無惨に昏倒している。
少尉はその光景に目を走らせ、ぐっと顎を引いた。痛いところを突かれた、というのが正直なところだろう。
「少尉さん」
少女は少しばかり声を静めて、菱井少尉のことを呼んだ。スーツの上に刺繍された階級章で判断したのだろう。
「迷彩服でなく、きちんとスーツを着ていらしたところに、あなた方の誠意を感じます。しかし、私に攻撃を仕掛けてきたということは、それなりの戦闘事態が発生することを想定していたのでしょう?」
「そ、それは……」
少尉も俺も黙り込む。
「繰り返します。柘植忠司はもうこの世にはいません。ご無礼」
微かに俺にも一瞥をくれてから、少女は背中を向けた。しかし、俺の足はいつの間にか少女の背に向けて動き出していた。
「待ってくれ」
今度は、少女は振り返らない。何事もなかったかのようにドアに手をかける。
「待ってくれ!」
俺は繰り返したが、少女は全く聞く耳を持たない様子で、扉の向こうへ消えていく。
まさか、こんなことになるとは。そもそも話し合いのテーブルに引き出すのが困難な相手であろうことは承知していた。だが、急襲部隊をまるまる一班全滅させられるとは。
せめて、少女と博士の関係だけでも掴めないか。
俺は必死になるあまり、少女の危険性を一瞬、失念していた。悠々とドアの向こうに消えつつある少女の肩に手をかける。と同時に、鼻先に激痛が走った。
「ぶっ!」
どうやら、肘打ちを顔の中央に喰らったらしい。鼻血が出て逆流し、口内までもが鉄臭くなる。
「石津少佐!」
「心配するな」
そう菱井少尉に言い返す頃には、俺は顔の下半分が血塗れになっているのが分かった。
畜生、柘植博士さえいてくれたら、怪獣を倒せるかもしれないのに。
閉じられたドアに、俺はドンドンと拳を叩きつけた。こんなことをしていては、俺もまた昏倒させられてしまうだろう。だが、ここで諦めるわけにはいかなかった。
どうにかして、博士に会わなければ。
「少佐! 血が……」
そう言って少尉が駆け寄ってきた、まさにその時だった。
バン、という鋭い音に続き、ドン、と重い響きが伝わってきた。ちょうどこのビルの反対側からだ。
「まさか!」
俺は察した。俺たちは飽くまで『第一陣』だったのだ。羽崎中佐は、俺たちの交渉が失敗することを見込んで、『第二陣』、すなわち火器の使用を許可された急襲部隊を送り込んでいたのだ。
確かに、柘植忠司なる人物が技術研究本部に戻ってくれたら、それに越したことはない。怪獣を駆逐する切り札を造ってくれるかもしれない。
だが、強制的に引き戻すのはどうだろうか。俺は、自分がいかに自己中心的か把握している、という自覚がある。だからこそ、逆に物事を強制されることには敏感だ。いくら怪獣を倒せるからといって、本人の意向を無視していいものだろうか?
今から羽崎中佐に連絡したとしても、無線で反論している暇はない。
「菱井少尉、お前はここにいろ!」
「石津少佐!」
俺は雑居ビルに飛び込んだ。どうにかして、博士と少女の安全を確保しなければ。
ビル内は、思いの外衛生的だった。年季の入った病院のようなものを連想させる。一つ病院と状況が異なるのは、やたらと騒がしいということ。俺は念のため身を低くして、銃声が聞こえてこないかに注意を払った。
ビルの外壁を爆破するだけの装備を持った連中だ。小火器は持っているものとみて間違いないだろう。
俺が素早く足を運んでいくと、騒がしい部屋はすぐに特定できた。最奥部の物置と思しき部屋だ。
「柘植博士! あなただけでも逃げてください!」
先ほどの少女の声がする。この扉の先に、柘植忠司博士がいるとみて間違いない。
俺は、自身が使うとは思わなかった警棒を取り出し、物置の扉を引き開けた。
「私は防衛軍作戦司令官の石津武也少佐だ! 全員動くな!」
まず目に入ったのは、白と黒。少女の白いワンピース姿が、黒いスーツの大柄な男性に挟まれている。そして少女のこめかみには、一丁の拳銃が突きつけられていた。
俺はぐいっと鼻血を拭い、スーツの胸ポケットから防衛軍のバッジを取り出した。それと同時に、部屋全体を見渡す。
臭いからして、火器が使われたわけではないらしい。この部屋の外壁が爆破された様子も見られない。とすると、別動隊が侵入してきたのは隣室か。
全員が動きを止めた室内を、俺は改めて見回した。床には、二人の隊員が倒れている。だが、少女一人では多勢に無勢だったのだろう。十畳ほどのこの部屋には、立っているだけでも六人の隊員がいる。
また、白髪をオールバックにした長身痩躯の男性が、隣室へ向かうドアのそばで隊員に腕を取られていた。確かに、この人物は柘植忠司博士に違いない。出発前に顔写真を確認した通りだ。特徴的な鉤鼻の上で、どこか穏やかな視線を俺に送ってくる。
「急襲部隊の皆、聞いてくれ。これは犯罪行為だ。すぐに博士と少女の身を自由にしろ」
すると、一人の隊員に視線が集まった。きっと彼が隊長なのだろう。
隊長はスーツ姿のままでこちらに敬礼すると、淡々と語り始めた。
「防衛軍大尉、斎藤良治です」
俺は無言で返礼し、顎をしゃくって次の言葉を促した。
「我々は特殊急襲部隊一班・三班混成部隊であります。羽崎哲三中佐より、柘植忠司博士の身柄確保を命じられております」
それを告げると、大尉はピシッと直立不動の姿勢でこちらを見つめてきた。どうやら、今度はこちらが語る番らしい。
「私と菱井少尉、それに急襲部隊第二班は、諸君からすれば別動隊ということになるだろう。我々もまた博士の身柄確保に向かっていたことは知っているな?」
俺よりも年嵩の大尉は、『はッ』と短く肯定した。
「であれば、斎藤大尉。即座に君の班員たちに銃を下ろすように命令してくれ。二つの、内容に齟齬のある命令が羽崎中佐から発せられているのであれば、階級の高い方が優先されるべきだ」
しばし黙考する大尉。
「石津少佐!」
背後から菱井少尉が駆け込んでくる。すると大尉は顔を上げ、少尉をじっと見た。
黒いサングラス越しの鋭利な視線に、少尉は怯むように身を引いた。しかし、そうしてばかりもいわれないと思ったのだろう、ぐっと上半身を伸ばすようにして、大尉と目を合わせる。ちょうど、視線の中間点で火花が起きそうな勢いだ。
だが、大尉はすぐに視線を俺に戻した。そして『了解しました』と一言。
「通信兵、作戦中止と羽崎中佐に報告しろ。我々は撤退する」
「はッ」
そのなんの淀みもない返答に、俺はあらためて、急襲部隊というのは常時冷静なのだなと思い知らされた。そのお陰で、いつの間にか止血テープが差し出されているのに気づくのが遅れた。
「どうぞ」
斎藤大尉の部下と思しき人物が、俺の目の前に立っている。
「ああ、すまない」
すると衛生兵は、すぐにそばを通って気絶している味方を介抱し始めた。
「重傷者は?」
「おりません」
大尉は首肯してから、振り返って部下たちに告げた。
「了解した。担架を用意しろ。彼女を放してやれ」
すると、部屋の前で押さえつけられていた少女が解放された。彼女は脱兎のごとく駆け出し、博士のそばへ。戦闘体勢ではないようだが、その目は油断なく隊員たちを見つめている。俺や菱井少尉を含めて。
「菱井少尉、こちらの負傷者の様子はどうだ?」
「は、はい、皆命に別状はありません。全員、意識を取り戻しています」
「先に基地に帰るようにと伝えてくれ。私は博士と話がしたい」
「はッ。自分はその後どうしたら――」
ふむ。話し合いの場において、俺と対峙するのが博士一人ではなくあの格闘少女も一緒というのは気が重い。
「少尉は、他の四名を帰らせたらまたここに来てくれ」
「了解しました」
さっと身を翻す少尉。
さて、彼女が戻ってくるまで、俺はどうしようか。交渉を有利に進めるには――。
そんな考えは、すぐに中断させられた。
「出血が酷いな、少佐殿。新しいシャツとスーツを準備させる。怜、頼む」
「そうしたらまた捕まります!」
しわがれた、しかし詰まりのない声音。これが柘植博士の肉声か。そんな彼に、怜、と呼ばれた少女は異議を唱えた。しかし、博士は緩慢な動作で壁の一角に目を遣った。そこにはスクリーンがあって、どうやら監視カメラの映像をまとめて表示しているらしい。カメラなど見当たらなかったが、ミリメートル大のものが壁にでも埋め込まれていたのだろう。
「私は大丈夫だ。寸法は大体でいいから、この少佐殿に合うスーツ一式を準備してくれ」
「分かりました」
渋々といった様子で、怜はこの場所を後にした。
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