第10話
「柘植忠司博士、ですか」
「ああ」
「その名前なら、私も知っています。防衛省技術研究本部の――」
「それ以上は言わなくていい。長ったらしい肩書は、今は不要だ」
「了解です」
俺は羽崎中佐の退室後、すぐにスーツを身にまとい、部下を招集した。その中で『なんとなく』菱井恵美少尉を選んだのは、やはり『なんとなく』としか言い様があるまい。
俺の右腕として共に戦ってきた、そんな信頼のおける人物でもある。
待てよ。これは『信頼』以上の感情だろうか? まあ、少なくとも人員輸送車の運転を任せられるほどには信用しているわけだが。
俺は再び両頬を叩こうとして、しかし、部下の前であるから止めておいた。
今、菱井少尉の運転する人員輸送車には、少尉以外に俺と、後部座席に四人の急襲部隊員が乗っている。人員輸送車と言っても、外見は一般自動車、強いて言えば大型バンにしか見えないだろう。
火器の持参は控える代わりに、警棒やスタンガンなどを持ち合わせている者はいた。全員がスーツをまとっているが、それだと腰回りに装備したそれらの武器を素早く抜くことが難しい。
どの程度の脅威が俺たちを待ち受けているのか、羽崎中佐も教えてはくれなかった。まさか、博士も武装組織と接触して自らを守っているのだろうか。いや、だったら火器の使用も止む無しとして、拳銃くらいの携帯は許されたはずだ。
俺の思考は回り巡って、結局は『柘植忠司という人物は、どんな妨害工作を練っているのか?』という疑問に戻ってしまう。
そうこうしているうちに、車は世田谷区のはずれに停車した。窓の外を見ると、廃墟のような雑居ビルが建っている。こんなところを拠点にしているのか? かつては高給取りだったであろう、日本の頭脳とでも言うべき人物が?
そこで俺は、羽崎中佐の語り口調を思い出した。彼自身気づいてはいなかったかもしれないが、確かに異人、というか変人について語るようではなかったか。謎だな。
「皆さん、到着です」
緊張感に満ちた菱井少尉の声が耳に入ってきた。俺は助手席から振り返り、手を上げて、人差し指を立てながらぐるぐると頭上で回してみせた。このビル周辺を、一般人を装って包囲しろという合図。
四人全員が即座に頷くのを見てから、俺と少尉は車を降りた。他の四人は、スライドドアを開けて降車していく。
俺は腰元に手を遣ったが、そこでようやく、自分の腰元にホルスターがないことに気づいた。心細いが、止むを得まい。古びた金属製のドアをノックし、同時にインターフォンのボタンを押し込む。すると、意外なほど即座に返答があった。
《どちら様でしょうか》
若い女性の声だ。恐らくは、俺や菱井少尉よりも若い。しかしどこか陰鬱で、低い声だ。
微かな動揺を悟られまいと、俺は自衛官のバッジをインターフォンのカメラに向けながら、正直に名乗った。
「防衛軍司令官、石津武也少佐です。こちらに柘植忠司博士がいらっしゃると聞いて、少しお話を――」
《亡くなりました》
「え?」
ものの見事に、俺の言葉は途中で中断された。
そんな馬鹿な。俺は追加情報として、三日前に博士が成田空港に降り立ったことを記憶している。それですぐに亡くなる、というのはあまりにも信憑性がない。
「我々にそんなブラフが通用するとでも?」
俺はわざと高飛車な態度を取り、相手の少女を威圧した。しかし彼女は、『だったら亡くなった時の医療機関の名前を教えるから、問い合わせてみるといい』とまで言ってくる。
博士と少女にどんな関係があるかは分からない。だが、こういう事態のために、急襲部隊をまるまる一つ借り受けてきたのだ。はいそうですか、と引き下がるつもりはない。
「少しばかり荒っぽい手段を取ります。ご容赦ください」
そう言って、俺は監視カメラの死角に入り、隊員の一人に手で合図を送った。扉を蹴破れ、という合図を。
彼は頷き、ゆっくりと扉に近づく――はずだった。扉は呆気なく開いたのだ。しかも、こちら側に、とんでもない勢いで。
「ぐっ!」
隊員が短い悲鳴を上げる。微かに鮮血が宙を舞い、どさり、と隊員が倒れ込む。
すると、扉の向こうに、扉を開けた張本人が立っていた。
「ご用件の前に、一つ手合わせ願えますか?」
その声は、インターフォンで聞いた少女と同じものだった。白いワンピースに長髪、切れ長の瞳と、そこから発せられる殺気。菱井恵美少尉とは、何から何まで正反対に見える。
そんな俺の考えを押し流すように、事態は進展する。少女は両の拳をパキリ、と鳴らした。まるで、ボクシングのゴングが鳴り響くように。
俺は口に指を入れ、軽く息を通した。口笛を鳴らす。このビルの周辺を警戒させている隊員たちに、集合を促す合図だ。すると、左右からすぐさま隊員が駆け戻ってきた。
彼らは一瞬、ドアの前にいるのが少女であることに戸惑ったが、俺は容赦なく言い放った。
「妨害勢力だ。手段は問わない。ただちに排除しろ!」
急襲部隊が正気に戻るのはすぐだった。一人が、鼻血を流している隊員をわきへ引きずり(脳震盪を起こしたらしい)、二人が素手で少女に向かい合う。
先に拳を振るったのは、こちら側だった。油断なく腕を引き、ボクシングの姿勢を取った隊員が、真正面から突っ込む。なるほど、流石急襲部隊だ。火器などなくとも、妨害勢力の一人や二人、すぐさま排除してくれるだろう。
そんな楽観的な見方は、一瞬で打ち砕かれた。目にも留まらぬ速さで繰り出された隊員のストレートを、少女は上半身を捻るようにしてかわしてみせたのだ。捻った勢いで一回転し、回し蹴りを繰り出す。
そこはこちらとて戦闘のプロだ。横合いから迫った少女の足から胴体を守るように、隊員は肘でガードする。少女の動きが止まった。今度はこちらの番だ。空いた腕で少女の足首を掴み、強引に放り投げる。が、その勢いはすぐに失われてしまった。少女は腕を突っ張って掌を壁に当て、身体を固定。掴まれていない方の足で、思いっきり隊員の胸板を蹴りつけた。
腕を離し、よろめく隊員。少女は無駄のない、しかしそこか余裕のある姿勢から、勢いよくフロントキックを繰り出した。隊員は、呆気なくこちら側に倒れてきた。
こんな程度か、とでも言わんばかりに、少女はかぶりを振って長い髪をなびかせた。
これで、こちらの急襲部隊で戦えるのは二名だ。二人は少女の正面に立ちふさがり、一人が警棒を、もう一人がスタンガンを取り出した。しかし少女は臆することなく、それどころかうんざりした様子で肩を竦めてみせた。
まず仕掛けたのは警棒の隊員。素早く踏み込み、袈裟懸けに振り下ろす。が、少女はその場で軽く跳躍し、つま先で隊員の手首を蹴り上げた。骨にでも響いたのか、慌ててバックステップする隊員。警棒は既に取り落としている。
間髪入れずに、今度はスタンガンの隊員が、着地したばかりの少女へ向かって前進。着地の瞬間を隙だと思ったのだ。上半身のどこかにでも当たれば、相手を行動不能に陥らせることができる。
まずはスタンガンを使わずに、もう片方の腕で短くジャブを繰り出す。しかし、少女は思いがけない挙動に出た。着地の勢いをそのままに、しゃがみ込んだのだ。
ジャブは空を切り、スタンガンを突き出そうとしていた片腕は、大きな隙を生むこととなった。
そこに、警棒を取り落とした隊員が駆けつけた。少女を蹴りつけようと、ローキックのために足を一歩引く。しかし、少女の挙動は流れるようだった。
ローキックの準備で片足立ちになっていた隊員の脛を、勢いよく蹴り飛ばしたのだ。それも、横転するように。
隊員は壁に手を着こうとしたが、その先にいたのはスタンガンの隊員だった。
「うっ!?」
二人はもつれ合って、壁に激突。カラン、と音を立ててスタンガンが落ちる。少女はしゃがんだまま器用に足を伸ばし、スタンガンを取り上げ、容赦なく二人の首筋に押し当てた。
もはや悲鳴も出ない。あっという間に、四人の白兵戦のスペシャリストが倒されてしまった。
唖然とする俺に向かって、少女が近づいてくる。一歩。また一歩。俺は悲鳴を上げそうになるのを懸命に堪えた。電池切れを起こしたのか、スタンガンを放り捨てた少女。
「あなたが司令官?」
俺はなんとか胸を張り、『その通りだ』と一言。声が震えていなければいいのだが。
「忠司に用事があったのよね? 軍人として」
ゆっくり頭を下げる俺。
「じゃあ悪いけど、お引き取り願いましょうか。気絶した部下を積み込むのは骨が折れるだろうけど、せいぜい頑張って」
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