第9話
今回の食事は、菱井少尉と会話するのにちょうどいい機会になった。無論、『話が弾んだ』などという楽し気な言い方はできない。味方が命を落としているのだから当然だ。
ローテーション外だった兵士に、その時の作戦に関連することを語る。それは基本的に禁則事項ではない。『なるせ』を巡る戦闘、及びその後の俺と羽崎中佐の会話。俺は記憶している限りのことを、少尉に伝えた。だが。
禁則でないとはいえ、何故俺は彼女にそんなことを話す気になったのだろう? 俺の胸中で、何かがつっかえている。
俺を蔑視する人間が多いのは承知の上だ。しかし、まさか羽崎中佐までもがそんなことを思っていたとは。中佐は、俺が兵士になる上での恩師といってもいい立場にあった。彼にまでも若造扱いされては、俺の立つ瀬がない。
もしかしたら――。取りつく島のない自らの状況を鑑み、菱井少尉と交流を持つことで、安息を得ようとしているのだろうか。
彼女は優秀な兵士だ。だからこそ、俺の補佐官として少尉の官を与えられている。
しかし俺にとって、菱井恵美という少尉は、単なる補佐官の枠を越えかけているのではあるまいか。
パチン、パチン。
食堂内に響き渡る、よく跳ねる打撃音。いや、『打撃音』と言っては大袈裟か。しかし、少尉にとっては驚きだったらしい。口につけていた味噌汁のカップから、内容物を噴き出しそうになった。
「い、いきなりどうなさったんですか!? 石津少佐!」
「気合を入れた」
「自分の頬を引っ叩くことで?」
「ついでに雑念も捨てておいた」
「ざ、雑念?」
目を真ん丸に見開きながら、首を傾げる菱井少尉。すると、たった今捨てたはずの『雑念』がぶり返してくるような感覚に襲われた。
俺は強引に目を逸らし、鮭の塩焼きに噛りついた。
「少佐、頬が真っ赤ですよ?」
「気にするな」
わざと突っぱねるような言い方をして、俺は早々に食事を終えた。
※
翌日。
俺は自室で、先日の毒ガス作戦、及び海上戦闘による殉職者の遺族に、お悔やみの手紙を書いていた。手書きだ。こればかりは、印刷文字で済ませることはできない。
文面に大した違いはない。だが、殉職の直前まで、彼らには彼ら一人一人の人生というものがあったのだ。全員と面識があったわけではない。しかし、こんな紙切れでしか思いを伝えられないとは。
その時、はっとして俺は手を止めた。
羽崎中佐までもが、俺を『若造』と言った。それは、俺が実戦を知らないからではないだろうか。大原中佐の存在は、兵士の生き様、任務に対する執念を見せつけるものになっていたのではあるまいか。それこそが、俺の胸のわだかまりだったのではないか。
俺の部屋のインターフォンが鳴ったのは、俺が手を止めている最中のことだった。
ポン、という柔らかな音に、俺はゆっくりと顔をそちらに向けた。
《私だ。羽崎中佐だ。今、時間をいただけるか?》
「はッ、問題ありません」
俺はスライドドアに近づき、掌を当てて認証させる。すると、するりとドアが開き、一歩下がったところで中佐が待っていた。正装している。
「羽崎中佐」
敬礼する俺に向かい、中佐も返礼する。
「失礼しても構わんか?」
「何もお出しできませんが」
「問題ない」
いつになく素っ気ない態度の中佐。やはり、昨日のことは自身のことは心理的に堪えたのだろう。
「単刀直入に述べさせてもらう。昨日は私もどうかしていたらしい。石津少佐、君に向かって許されざる暴言を吐いてしまったこと、心より謝罪する」
申し訳なかった。そう言って中佐は深々と頭を下げた。普段なら、慌てて『頭を上げてください』なりなんなり言葉をかけるところだが、それでも中佐は頭をすぐには上げようとしないだろう。
代わりに、俺は緊張感を紛らわそうと、声を上げた。
「コーヒーでよろしいですか?」
「は?」
意外な言葉だったのだろう、中佐は背中を折ったまま、首だけを上げた。
「ブラックで構いませんね?」
「あ、ああ」
俺は年季の入ったコーヒーメーカーに向かい、部屋の隅に向かう。
「そこのデスク前の椅子にでも、どうぞ。散らかっていますが」
「いや、私の部屋とは雲泥の差だ」
その声には、素直に感心する気配があった。
自覚はないのだが、俺は随分と几帳面な性格らしい。過去の怪獣との戦闘を記録した映像メディアや、マスコミに取り上げられた怪獣の被害報告など。それらが紙媒体で、また一部は電子媒体で保存されている。
背後から『失礼』との声がする。中佐は俺の言った通り、ゆっくりとデスク前の椅子に腰を下ろしたようだ。
コーヒーができてくる間、と言っても四、五分だったが、俺たちは互いに無言だった。背後から聞こえてくる、パラパラという音を除いて。
そう言えば、中佐は入室時、小型の片手持ちのバッグのようなものを抱えていた。その中の資料整理をしているようだが、何故今、俺の部屋でそんなことをしているのだろう?
そんなことをぼんやり考えているうちに、コーヒーが出来上がった。両手に二つのカップを握らせ、振り返る。
「すまないな、石津」
「いえ。こんなものしかなくて、申し訳ありま――」
「これを見てくれ」
俺の謝罪の弁は遮られた。一冊の冊子を眼前に突きつけられる、という形で。
真っ赤なスタンプで『極秘』とあり、すぐ横に数列の数字が並んでいる。最高機密書類であることを示す符丁だ。俺は思わず、唾を飲んだ。
「ここで拝見しても構いませんか?」
カップを置きながら、俺は尋ねた。無言で頷く中佐。だが、彼もまた緊張しているようで、すぐにコーヒーに手をつけようとはしなかった。
俺はすっと一息吸って、冊子のページを捲った。最初は全体――と言っても五、六ページに過ぎなかったが――にペラペラと目を通す。どうやら、ある人物に関する資料らしい。
改めて、俺は一ページ目からゆっくりと目を通した。
「柘植忠司、六十歳。防衛省技術研究本部第七セクション、主任研究員」
口に出して読んでみる。まずはこの一行だけだ。しかしそれだけで、俺にはこの柘植忠司なる人物が、怪獣に対する人類側の切り札であることを察した。
「対怪獣兵器開発部門の最高峰、ですね」
中佐は無言で頷いた。そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「この人物を探している。石津少佐、君にその人物を連れてきてほしい」
「少々お待ちを」
俺は再び、しかしきちんと頭に入る程度の速さで、パラパラと冊子を捲った。『連れてこい』と言われても、未開の地にいるような人物では捜索に時間がかかる。海外ともなればなおさらだ。
だが、そんな心配は杞憂だった。
「東京都世田谷区――」
「そう。少なくとも今朝までは、の話だが。すまないが、迅速に勝る機密保持はない、とも言う。彼が別な拠点に身を移す前に、身柄を確保してほしい」
要は、今すぐ行ってこいということか。
「しかし、どうして自分なんです? 自分は交渉のプロでもカウンセラーでもありませんが」
「そんなことは分かっている」
中佐はふっ、と息をついてから、しばし口元をもごもごと動かした。どう言えばいいのか、迷っているような所作だ。
「柘植博士は――そうだな。これは本人が心を開いてくれれば自然と話してもらえるだろう。私からは、お前に伝えることができない」
「プライバシーの問題が?」
「そんな甘い理由ではない。怪獣対策の研究から身を引くほどのことがあった、とだけ伝えておこう」
なんの取っ掛かりもなく、連れ戻せと言われているらしい。交渉どころか、話し合いもできるかどうか怪しいというのに。
「悪いが命令だ。すぐに、世田谷の住所に行ってみてくれ。それと――」
「それと?」
「部下を数名連れて行った方が賢明だ。火器以外の武装はさせた方がいいかもしれない」
「武装?」
火器以外というと、コンバットナイフや防弾ベストのことだろうか。一体どういうことなのだろう? その柘植という男、相当危険な人物なのだろうか。
俺の危惧を読み取ったのか、中佐は一言、『私の勘だが』とだけ告げた。
「では、自分はすぐに準備します。ローテで言うと、特殊急襲班は何班ですか?」
「第二班、計四名だ」
「彼らを連れて行きます」
俺はカップを置いて、ハンガーラックに向かった。迷彩服では失礼にあたるだろう。ここはスーツか。
「それと、加えてもう一人くらいいてもいいかもしれん。計六名だ。世田谷にいる監視班からは、逐次情報をお前に入れるように言っておく」
「了解しました。できる限り、すぐに戻ります」
「ああ、そうだな」
中佐は意味ありげに肩を竦めた。
「気を引き締めていけ」
「はッ」
コーヒーカップを空にして、『美味かったよ』と告げてから、中佐は俺の部屋を後にした。
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