第8話
目標は、ゆっくりとその巨体を横たえた。流石にバランスを崩したのだろう。それと同時、アスロックと時間差で発射された魚雷群が、一斉に目標へと牙をむく。先ほどと負けずとも劣らない水柱が、轟々と立ち昇った。
ここまで派手な一方的攻撃を見せられてしまえば、誰もが自分たちの勝利を確信するところだろう。だが、少なくともここに集う者たちは違う。それだけ友軍の死を見つめてきたからだ。
唐突に、水柱が切り裂かれた。怪獣が熱線を放射したのだ。凄まじい勢いで海面が熱せられ、蒸発。しかし、それに伴う水蒸気煙もばっさりと晴れ渡る。そこには、立ち泳ぎ姿勢に戻った目標が、何事もなかったかのようにその巨体をもたげていた。
ただ一つ違うのは、目標は精確に『敵』――『なるせ』のいる方向を睥睨していたということだ。
「大原中佐、目標はそちらに睨みを利かせている。退艦準備は進んでいるんだろうな?」
《もちろんだ。若いのをここで海の藻屑にするような真似はしない》
「目標との距離は把握しているか?」
《ああ。約十二キロほどだろう。できる限り引き離してやる》
「頼む」
息の合った連携を見せる羽崎・大原両中佐。だが、この時点で関係者の多くは気づいていたはずだ。これが『なるせ』最大にして最後の戦いになるということに。
目標は、人間が準備体操をするかのようにぐるり、と首を回した。そして、真っ直ぐ西方に睨みを利かせ、首を突き出した。きっと咆哮を上げているのだろう。
再び海中に頭部を突き入れた目標は、先ほどと同じように、しかし圧倒的に速度を上げて海面を切り始めた。先ほどまでゆらり、ゆらりとしていた背びれは、一直線に殺気を伴って『なるせ』に迫っていく。
熱線を放射する気配はない。その必要もない。奴は、自分の怒りを『なるせ』に叩きつけるまでだ。
「すぐに『なるせ』周辺を拡大しろ! 画像解析が遅いぞ!」
羽崎中佐が叫ぶ。
「目標、猛スピードで『なるせ』に接近し――」
「分かっている! 私は乗員が脱出できたかと訊いているんだ!」
参謀の声を遮るようにして、口角泡を飛ばす羽崎中佐。
「早く『なるせ』の通信司令室の繋げ!」
「通じません!」
「なんだと!?」
「落ち着いてください、羽崎中佐!」
上官だろうがなんだろうが関係ない。俺は羽崎中佐の腕を掴んでぐいっと引いた。司令官が慌てふためいてしまっては、士気に関わる。
しかし、それと同時に俺は察した。大原中佐は、最期まで目標殲滅に身を捧げるつもりなのだ。
「参謀! 航空支援は!?」
「現在、小松基地よりF-2が発進準備を……」
「遅い!」
「羽崎哲三中佐!!」
俺にその名を呼ばれることで、羽崎中佐ははっと我に返ったようだ。
「あ、ああ」
いつの間にか、俺と羽崎中佐は腰を上げていた。
「すまない」
ゆっくりと中佐が腰を下ろすのを見て、俺はため息をつきながら『なるせ』周辺の画像を拡大するように指示した。
じっと見つめる。『なるせ』は慣性に任せてゆっくりと波に揺られており、完全に機関を停止しているのは明らかだ。周囲には黄色いゴムボートが五、六十隻ほど散らばっている。あの中に大原中佐は――いない、だろうな。
火器管制システムは、未だにAI任せにはされていない。そもそも、その火器が通用しないのだから、指揮するのがAIだろうが人間だろうが変わりはない。それでも大原中佐は、艦に残って一人で戦おうとしている。
近距離戦闘兵装が、一斉に火を噴いた。続く海対海装備による爆発が続く。だが、目標の進行速度は変わらない。加速しているようにすら見える。
「大原!!」
羽崎中佐が叫んだ直後、目標が凄まじい速度と体積と体重をもって、『なるせ』を直撃した。
最新鋭国産イージス艦五番艦、『なるせ』。その雄姿は、段ボール紙のように簡単に横倒しにされた。黄色いゴムボートが波に呑まれ、転覆するものも多数。そのそばで、『なるせ』は目標の有する爪を牙により、見るも無残な姿に切り裂かれていく。
それでも、『なるせ』は大原中佐と共に沈むことを覚悟したらしい。ほぼ零距離で発射される主砲、副砲、対海機銃。さらには、自らが巻き込まれるのを恐れることなくミサイルまでもが放たれる。
その気迫に押されたのか、目標は一瞬怯んだ様子を見せた。しかし、飽くまで『一瞬』だ。
目標は『なるせ』の艦橋を食いちぎり、のしかかりを喰らわせた。こうなっては、もはや目標――奴の独壇場だ。数度の爆発を繰り返しながら、押し沈められていく。
メインスクリーンが、バッジシステムに切り替わった。格子状に区切られた地形図の上に、奴を表す赤い三角形と、『なるせ』を表す緑色の三角形が表示される。が、それも長くは続かなかった。『なるせ』のバッジが消え、その上で『Terminated』の文字が点滅する。
ダン、と拳を打ちつける音を残して、羽崎中佐は作戦司令室を後にした。
※
「すまなかったな、石津」
「いえ。過ぎたことですから」
俺は努めて冷静に答えた。昨日羽崎中佐と話した司令室。実質は、彼の執務室だ。
時刻は午後六時を回っており、あたりはすでに闇夜に覆われつつある。
俺は執務机の手前のソファで、中佐と向かい合っていた。俺の手にはコーヒーカップが、中佐の手にはワイングラスが握られている。
「何名……」
「はッ。大原中佐含め、二十名だそうです。負傷者はその倍にはあたるかと」
命を落とした部下の人数を、冷静に告げる俺。今は、否、ここ最近は、中佐も精神的に参っているらしい。そうでもなければ、あんなに激情したりはしなかっただろう。あれほど多くの部下の前で。
「俺は、どうかしていたんだ」
「お疲れなんでしょう? カウンセラーとの面談を――」
「その必要はない」
バッサリと俺の意見を否定する中佐。
「俺の個人的な問題なんだ」
ぐっとグラスを傾ける中佐。一杯目は舐めるように飲んでいたのに、急に大丈夫だろうか。
「では一部下として、羽崎中佐に進言させていただきます。数日間はお休みを取るべきかと」
「怪獣の出現には休みがない」
空になったグラスをコトリ、とテーブルに置き、無精髭の生えた顔を撫でる中佐。それを見ながら、俺は反論した。
「確かに、怪獣はいつどこに現れるか分かりません。しかし、いやだからこそ、休める時はお休みになるべきです」
頭への血の巡りがよくなったのか、中佐の目は充血し、耳たぶまでが朱に染まっている。
つと、中佐は眼球だけを上げて、俺と目を合わせた。
「休む、だと?」
本人にしては、俺に対して凄んで見せたつもりなのだろう。だが、俺の『冷静であれ』という信念を曲げるには、到底及ぶものではなかった。
「俺が休んでいては、民間人や部下たちはどうなる!? 誰が指揮を執るんだ!?」
「自分が執ります」
「はっ、随分と豪儀じゃないか。やっぱりお前は若造だな。飽くまでこの作戦司令部の最高司令官は俺――」
と言いかけた中佐の頭頂部に向かって、俺はワインボトルを掴み上げ、思いっきり振り下ろした。
ガシャン。
「……あ?」
「少しは落ち着かれましたか、羽崎中佐」
中佐は自分で自分の思考を見失ったのか、顔を上げて目をパチパチと瞬かせた。
「このワインの件は、自分が弁償します。それより、もし素面にお戻りであれば、自分を『若造』とおっしゃったことについて、前言撤回をしていただきたい」
ぽかんとした中佐は、一気に素面の状態に近づいたらしい。
「お、俺がお前を『若造』だと……?」
大きく首肯する俺。
「本当に? 俺がそんなことを?」
「はい。少なくとも自分は耳にいたしました」
「は、はあ……」
中佐はよろめくようにして、どさりとソファに背を預けた。
「石津少佐、私は今意識が混濁しているようだ。後日、正式にお詫び申し入れをしたい。すまないが、今日は引き取ってはくれまいか」
「ご命令とあらば」
「うむ。命令だ」
俺はすっと立ち上がり、敬礼をして、司令官室を後にした。
※
「羽崎中佐が、少佐にそんなことを?」
「ああ」
何故か今日も缶コーヒーを準備していた菱井少尉に、俺は事の顛末を聞かせた。
今日の海上攻撃作戦に、彼女は参加していない。ローテーションに組み込まれていなかったのだ。
「でも酷い……。羽崎中佐は、防衛軍の現場指揮官に石津少佐を推してくださったのでしょう? 上層部の反対を押し切って」
「ああ」
「それなのに少佐のことを『若造』呼ばわりですか」
「まあ、酔っていたしな。心にもないことが零れたんだろう」
ふーっ、と長い息をつく少尉。
「まあ、食事にしましょう! よかったらご一緒しても?」
「え? うん、ああ」
「分かりました!」
俺は自分の頬が緩むのを止められなかった。少尉に気づかれていなければいいのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます