第7話【第二章】

「石津少佐!」

「ん」


 自室に飛び込んできた下士官に、俺はベッドから上半身を起こして返礼した。

 そもそも、熟睡できていたわけではない。昨日の作戦の殉職者や遺族に、なんと言葉をかけるべきか。そればかり考えていた。


 殉職者に言葉を、というのは変な話ではある。彼らは既にこの世にはいないのだから。だが昨日、菱井少尉が胸に秘めている思いを知ってしまった後となっては、何かしら弔いをしたいとは考えている。それこそ、怪獣を倒すという作戦終了をもって。

 まあ、それは俺の悲願とも重なってしまうわけで、結局のところ、俺は根っから自己中心的な人間なのだろう。


 それはいいとして。どうした、と問いかける間もなく、下士官は報告を始めた。


「怪獣が領海内、房総半島沖で捕捉されました!」

「地表からの距離は?」

「約二キロメートル! 沿岸地域の市民には、避難命令が出されています!」

「誰の命令だ?」

「羽崎司令です!」

「了解。すぐに私も作戦司令室へ向かう」


 伝令を任されていた兵士は、敬礼してから綺麗に回れ右をして退室した。

 俺はシャツの上から迷彩服を着込み、伝令の後を追うようにして廊下を駆けだした。

 

 今回は羽崎中佐に指示と作戦指揮を任せた方がよさそうだ。と、いうのが俺の考えだった。羽崎哲三中佐は、元々海自の士官。海上での戦闘指揮は彼に任せるべきであり、俺のでしゃばる余地はない。

 誰よりも怪獣を憎んでいるのは自分だ、という自負心を、俺は抱いている。だがそれは、冷静であれという上官たちの教えと矛盾するものではない。適材適所、誰がどんな場所で怪獣と対峙すべきか、それは理解しているつもりだ。


 しかし、それでも俺は、自分の胸が異様に高鳴るのを止められなかった。だからこそ駆け出したのだ。早く自分も状況を把握し、羽崎中佐の補佐にあたらなければ。

 一旦外廊下に出て、作戦司令部棟へ。スライドドアは開きっぱなしになっている。いかに人通りが増えているかを示唆しているかのようだ。

 念のため、俺は電子ロック解除のためのカードキーをスキャナーに通した。勢いはそのままに、数名の下士官を追い抜きながら作戦司令室に跳び込む。すると、俺は眩い光の洪水に巻き込まれた。


 司令室自体に照明が配されているわけではない。逆だ。照明の類はない。ではなぜ眩しいのかと言えば、そこかしこにスクリーンが設置され、それがチカチカと光を投げかけてくるからだ。

 見るだけなら、クリスマスのイルミネーションのようなものなのかもしれない。もっとも、こんな剣呑なクリスマスなど、誰も迎えたくはないだろうが。


 ノックするための扉はない。俺は誰にも聞こえないのを承知で、拳を数回、壁にぶつけた。それから名乗り、足を踏み入れる。


「石津武也少佐、入ります!」

「おう、来たか!」


 すぐに振り返って俺を出迎えたのは、やはり羽崎中佐だった。返礼してから、すぐに部屋奥の大型メインスクリーンに向かって身体を戻す。彼は最高司令官用の大型ソファに腰を下ろしており、その隣には数台の補佐官用の椅子が設えられている。


 大学の大教室ほどの広さの作戦司令室。ただし座席に段差はなく、皆が自席のコンソールや小型スクリーンに向かっている。

 俺は足早に自分の補佐官用の席に腰を下ろし、ひとまずメインスクリーンに目を遣った。


「人工衛星からの映像だ」


 羽崎が告げる。確かに、この真上から海面を捉えた映像は衛星からのものだろう。もし航空機からの映像だったとすれば――いや、それはあり得ない。耳障りだということで、怪獣の熱線に撃ち落とされていただろうから。

 

 そんな『もし』など気に掛けてはいまい。怪獣は、ゆらゆらと身を揺るがせながら進んでいる。頭部は海面下に没しており、背びれが水を切るように進んでいる。 それにつられるように、尻尾があちら、こちらとなびいていた。


「作戦参謀、最寄の海自の艦船は?」


 その言葉に、俺ははっと頭を切り替えた。奴を眺めることではなく、駆逐することを目的として。


「現在ちょうど目標の西方百キロを、イージス駆逐艦『なるせ』が哨戒中。中佐、攻撃命令を?」

「うむ。奴の気を引いて上陸を妨げねばならん。直ちに海上戦闘を開始せよ」

「了解、全兵装の使用を許可します」

「羽崎中佐」


 俺は中佐に声をかけた。


「どうした、石津少佐?」

「同時に退艦準備をさせるべきです。目標に返り討ちにされた艦船は二、三隻ではありません」

「了解した。参謀!」

「了解しました。退艦準備を同時進行させます」

「ん」


 すると、ちょうど壁際の無線機器と格闘していた通信兵が振り返った。


「羽崎中佐! 『なるせ』艦長、大原浪雄中佐と通信が繋がりました!」

「よし、こちらに繋いでくれ」

「はッ!」

《久しぶりだな、羽崎!》


 聞こえてきたのは、なんとも朗らかな中年男性の声だった。そして、それに対する羽崎中佐の声も鷹揚なものだ。


「おう、大原! マラッカ海峡の機雷掃海作戦以来か?」

《なに十年も前の話を引っ提げていやがる? 全く、すぐに『怪獣やっつけ隊』の方に行っちまいやがって! 頭でっかちなインテリにでもなっちまったかと思われるぜ?》

「お生憎様、今は非常時でな。そちらも捕捉しているんだろう? 怪獣を」

《ああ。あとは訓練通り、お前の指揮下に入る。犬死にだけはさせないでくれよ?》

「馬鹿が。誰が好き好んでダチを見殺しにするかよ!」


 ううむ。久々の再会が喜ばしいのは分かる。だが、今は作戦行動中だ。誰かが場に緊張感を戻さなくては。


「大原中佐」


 俺は短く声を吹き込んだ。


《おっと、その声は……えーっと、石山くんだな?》

「石津です。石津武也少佐です」

《ああ、失敬。君だな? 防衛省きってのインテリくんとやらは? 噂は聞いてるよ!》

「失礼ですが、大原中佐。作戦行動中に関係のない話題は持ち込まないでいただきたいのですが」


 ははは、と軽快な笑い声がする。こちらは多少腹を立てていたのだが、不思議とその声は不快ではなかった。


《悪い悪い、羽崎とは同期だったんでな。で、さっき聞いた通りでいいんだろう? この艦の全兵装をもってして、怪獣を陸地から引き離す、と》

「おっしゃる通りです。退艦準備は――」

《つつがなく進んでいる。心配するな! 海の男の戦い方を見せてやる! しばらく無線に応答できなくなるからな、勝手に殉職者扱いしないでくれよ?》


 まったく、この底抜けの自信はどこから湧いてくるのだろう? しかし、やはり人を不愉快にさせない不思議な力が、大原中佐の声からは滲んでいた。


「分かっている。一発かましてやってくれ」


 そう言って無線に割り込んだ羽崎中佐に対し、大原中佐は『任せとけ!』とだけ告げて無線を切った。


「解析画像、来ます!」


 再び響いた通信兵の声。メインスクリーンに目を戻すと、大海原が映っていた。西側、つまり左側に白波が立っている。怪獣だ。逆に東側、右端には、怪獣の倍以上はある体積の物体が航行していた。あれが『なるせ』だろう。


 すると、『なるせ』が舵を切った。怪獣――目標から遠ざかるように。手元の個別スクリーンに目を落とすと、衛星が捉えた映像のうち、目標と『なるせ』の姿がクローズアップされていた。

 攻撃が、始まる。


 初めに『なるせ』から放たれたのは、海対空装備、シースパローだった。対空ミサイルだけあって、始めはぐんぐんと高度を上げていく。それから急降下し、十数秒の時間をもって、目標の頭部に着弾した。

 しかし、弾頭は爆薬ではなかった。リン酸系の照明弾だった。幸い、衛星からの映像には防眩システムが搭載されていたため、スクリーンを覗き込んでいた俺たちが失明することはなかった。だが、目標は間違いなく、一瞬とはいえ視界を奪われたはずだ。


 すると、まるで徒競走のスタート音が鳴らされたかのように、海対海装備が一斉に『なるせ』から発せられた。

 まず目に入ったのは、アスロック――対潜ミサイルだ。斜め上方に射出されたアスロックは、すぐさま高度を下げ、海中に滑り込んだ。潜水艦を最大の弱点とする戦艦にとって、防衛の切り札となるアスロック。海面を走る白い軌跡もすぐに見えなくなり、アスロックは自身が十分な深度に達したことを示した。


 目標はと言えば、先ほどの目くらましが効いたのか、立ち泳ぎの姿勢を取ってかぶりを振っている。

 そんな目標にとって右側、つまり西側から、急速に接近する白波が見えた。アスロックだ。流石に衛星から音は拾えなかったが、猛烈な水飛沫が上がるのは確認できた。

 頭部を持ち上げる目標。音がなくとも、雄たけびを上げているのが分かる。苦痛のため? いや、それはない。きっと怒りに駆られてのことだろう。

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