第6話
「え、えーっと、その、石津少佐は作戦開始から何も口にしていらっしゃらないようでしたので、お、遅ればせながら、水分の調達――」
「ああ、分かった分かった」
俺は少尉の前で手をひらひらさせた。
「少尉の意見は最もだ。ご配慮いただき、感謝の言葉もない」
「ほ、本当ですか!?」
おや? 妙だな。わざと敬語を使って嫌味ったらしく言ってみたつもりなのだが。目の前にいる菱井少尉は、大きな目をキラキラさせて、飛び跳ねんばかりばかりに興奮している。
そもそも、どうして水分補給が缶コーヒーなのか。スポーツドリンクの方がよっぽど――いや、これは黙っておこう。
「もう一度確認したいんだが」
「はい! なんでしょうか?」
曇りのない瞳で、俺の顔を下から覗き込んでくる少尉。
「どうしてわざわざ司令室の前で待っていたんだ? 俺が宿舎に向かってからでも間に合うのに」
「あっ、そ、それは……」
と言い淀んで、少尉は固まった。
ここ、作戦司令部棟は、防衛軍の人間でも入るのが躊躇われる場所だ。別に、ガードが固いわけではない。しかし、ここで作戦が決定され、それが人の死生に関わるのだ。そして他の自衛隊の任務に比べ、殉職する確率は極めて高い。皆が覚悟をしているとはいえ、いや、覚悟しているが故に、次は自分の番なのでは、とは常に脳裏にわだかまっている。
その最高決定機関のある建物に、誰が好き好んで向かうだろうか?
「それは? どうしたんだ、続けてくれ、少尉」
俺は意地悪く思われるのを覚悟で、言葉を促した。
「そ、それは、今回の作戦について、少佐と振り返りたかったからです!」
「振り返る、って……。子供の勉強じゃないんだぞ」
「そんなことは分かっています!」
すると少尉は、ずいっと一歩、俺に歩み寄った。
「ただ……」
「ただ?」
「仲間が命を落としていくのに何もできなかったことが、とても耐えられなくて……」
その言葉に、俺ははっとした。彼女はそれを考えていたのか。俺は復讐心に駆られてばかりだったが、少尉は仲間の死についても考え込む性質だった、というわけだ。
「すまない」
「えっ?」
少尉は顔を上げた。
「俺は君に意地の悪いことをしたようだ。宿舎に戻ろう。缶コーヒーの件、感謝する」
それだけを告げて、俺は出入口に向かって歩み出した。少尉が慌ててついてくる気配がする。俺はほんの少しだけ、自分の足取りが軽いことに気づいた。緊張感を和らげてくれたことも併せて、菱井少尉には礼を述べるべきかもしれない。だが、俺も人間だ。気恥しさというものがある。
「俺は朝食を摂る。少尉、君はどうする?」
「あ、あの、お邪魔でなければご一緒しても……?」
意外だった。彼女も食事を摂っていなかったのか? まさか、俺を待っていたわけでもあるまいに。
俺は胸中の驚きを隠しながら、敢えて素っ気なく『構わんよ』とだけ告げた。
※
俺と菱井少尉は、宿舎へ向かうべく司令部棟を後にした。防弾仕様のスライドドアを抜けると、さあっ、と音を立てて北風が吹き込んできた。鈍い太陽光の下を、二人連れだって歩いていく。
「や、やっぱり寒いですね……」
「それはそうだろう。十一月だ」
「確かにそうですけど」
「地球温暖化のことを言いたいのか? 少しは冬の寒さが緩和されるんじゃないか、とでも?」
「いっ、いえ! そんな不謹慎なことを申し上げたわけではなくて――」
相変わらず意地が悪くなってしまうな。それを少しばかり反省しながら、俺は相変わらずぶっきら棒な口調で、『大丈夫だ。分かっている』とだけ告げた。
結局のところ、地球温暖化は止まらなかった。それに伴う異常気象や動植物の異変は著しく、『異常がない年は異常』とでも言われるほどだ。果ては、『怪獣は人類に罰を与えるために神が遣わしたのだ』ということをぶち上げる新興宗教が出てくるほど。
全く、人類は何をしているのか。俺たちのしていることは正しいのか。
そんな取り留めのないことを黙考している間に、俺たちは宿舎の食堂前に着いてしまった。俺の隣を歩いていた菱井少尉は、食堂の扉を開けて俺の方を見た。
「ん、ああ。すまない」
そこまで気を遣われると、こちらが恐縮してしまうのだが。しかし、ここでへりくだった態度を取っていては、上官としてどうかとも思う。俺は敢えて素っ気なく、少尉の前を通り抜けた。
防衛軍本部の食堂はとにかく広い。入って右側に料理を出す窓口があり、左側が広大なフロアとなっている。そこに、一台に二十名は座れる長机がいくつも並んでいる。その広さを目にする度、俺はいつも、防衛大にいた頃の剣道場を思い出す。
しかし、そんな武芸に通ずるような剣呑さは漂っていない。せめてもの計らいだろうか、照明は明るく柔らかだ。間接照明が施されており、いつ来ても昼間のような錯覚を覚えさせる。それは安心をもたらしてくれる半面、時間の経過を忘れさせてしまうというデメリットがある。
ここは病院でも幼稚園でもない。立派な軍事施設なのだ。それでもこれほど気を遣った場所が設えてあるのは、それほど心理的に傷ついた人々を相手にしているからだ。
今世紀に至るも、繰り返されてきた『戦争』。いや、現場の人間にとっては、度重なる『戦闘行為』と言うべきか。それに出向き、心身を蝕まれた兵士たちのためのケアは、随分進歩したものだ。少なくとも、防衛軍が設立されてから、除隊後自殺する元兵士の人数は、三桁には及んでいない。
そうは言っても、二次被害として彼らの死が認知されているのは事実だし、そうあるべきだろう。アフガニスタンやイラクに派兵された米軍兵士たちのように、日本でも。
しかし、それを考える度、俺はどっと自分の肩に荷がかかるような気分に苛まれる。
俺が担当しているのは、飽くまで前線指揮。たかが指揮、されど指揮と言ったところだろうか。俺の一言一言、一挙手一投足によって、部下の死生が決まるのだ。それを運命だ、神の決めたことだと言って納得することはできない。否、そんなことをしてたまるものか。
それを肯定してしまったら、俺の両親が死んだことも、どこかで折り込み済みだったのだと認めるようなものだ。それだけは、絶対に許さない。
「俺が奴を倒すまでは……」
「い、石津少佐?」
はっとした。いつの間にか、心の声が口から漏れていたらしい。
気づけば、俺はほとんど人気のなくなった食堂の端で、椅子に腰を下ろしていた。正面には、菱井少尉が首を傾げて座っている。
「どうかなさったんですか? カレー、冷めちゃいますよ?」
「え? あ、ああ」
俺が視線を下ろすと、長机の上にカレーライスが載っていた。ぎゅっと握りしめられた、俺の両拳の間に。無意識に注文して、ここまで運んできたのだろうか。随分と深く考え込んでしまったものだ。
再び少尉の顔に視線を戻す。きょとんとした顔の前では、クリームパスタが湯気を上げている。俺はしばし、少尉の顔とクリームパスタの間で視線を上下させた。
少尉の瞳がちな童顔に、少しばかりの癒しを求めている自分に気づき、俺は思いっきり自分の頬を挟むように引っ叩いた。
「少佐! どうなさったんですか!?」
「い、いや、なんでもない」
先ほどの羽崎中佐との会話といい、今の俺は、どこか気が緩んでいる。これを一般的に『疲れている』とでも言うのだろうか。
「君の方こそ、せっかくのパスタが冷めるぞ」
すると少尉は口元を押さえて、ふふふ、と声を漏らした。
「どうした? 何がおかしい?」
「あっ、す、すみません、少佐がご自分を『俺』って言ったり、私を『君』って言ったりするのが、なんていうか……」
「そんな言葉遣いをしていたのか? 俺は? ――あ」
「無自覚だったんですね?」
俺は言い訳を述べようと口をパクパクさせたが、中途半端な息が出てくるばかり。そんな俺を見て、少尉は再び口に手を当て、くすくすと小さな笑い声を上げた。
「あまりツッコミを入れないでくれ、俺――じゃない、私は疲れているようなんだ」
ため息と同時に肩をすくめると、今度こそ少尉は笑みを消した。
「……申し訳ありません。少佐にしては珍しいと思いまして、つい……」
先ほどのお返しというわけか。いや、少尉の方こそ無自覚だったのだろうけれど。
「今日のことは、忘れてください」
それだけ言って、少尉はパスタの載ったトレイを持ち上げ、広い食堂の反対側の方にまで行ってしまった。それほど気まずい雰囲気だっただろうか?
まあ、女性の心理を汲めない俺が、今更気にすることでもあるまい。そう思って、俺はようやくスプーンを手に取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます