第5話
「石津少佐、防衛軍本部到着です」
「ん」
菱井少尉の声に、俺は回想から現実へと脳のギアを変えた。『ご苦労』と告げてから、小型トラックの助手席から降りる。もう空は明るみかけているな、と思いながら、俺は再び過去に思いを馳せた。
俺が奴、もとい怪獣を倒すと決意してから、様々なことが起こった。
まず、怪獣は数度に渡り、日本に襲来したということだ。その年の台風や海流の乱れといった微妙な問題はあるが、怪獣は年に三、四回のペースで、主に太平洋岸の都市を襲っている。また、海自・空自が領海内で捕捉した回数は二十三回、対地攻撃用戦闘機のスクランブル回数は十五回といったところ。
他国による、日本の領空接近に対するスクランブルに比べれば随分少ないが、それでも実害をもたらした怪獣に対する国民の危機意識は強かった。
政府は専守防衛の解釈を拡大し、この怪獣に関する限り、殲滅を目的とした準軍事的組織の構築を決定した。それは、陸・海・空の自衛隊の統括運用による『怪獣殲滅領土・領海防衛軍』の設立として実を結んだ。
国民に対して、弱腰の姿勢を見せまいとつけられた『軍』という呼称。当初は周辺諸国からの反発が予想されたが、それはほぼ杞憂だった。彼らもまた、自国に怪獣が出現したら、という危惧があったのだ。だったら、その駆逐を日本に任せてしまえという意図もあったのだろう。
また、組織を『軍』とすることにより、在日米軍との連携も容易になった。だからこそ、俺の階級は自衛隊式の『三佐』ではなく、軍隊式の『少佐』なのだ。
その裏で、産軍一体となった科学技術の発展があったことは、暗黙の了解となっている。
俺は通い慣れた廊下を歩んでいく。この防衛軍本部は、東京都多摩市に配されている。海岸沿いに配置して、怪獣に潰されては元も子もない。何せ、怪獣には機銃弾も砲弾も、貫通型ミサイルも通用しないのだ。
生物に非ざる、圧倒的自己防御力。それをいかにして破るか、というのも我々の任務の一つだ。
そんな防衛軍本部司令室の前に、俺は立っていた。三回ノックし、名乗る。
「石津武也少佐、入ります」
「ああ、堅苦しい遣り取りはいらん。入ってくれ」
「はッ、失礼します」
武骨なドアの向こうから聞こえてくる、淡々とした応答。その先にいるのは、俺の上官にして作戦参謀を務める羽崎哲三中佐だ。
ドアを引き開けると、そこには小振りな会議室ほどのスペースが広がっていた。特に装飾は為されておらず、執務机や照明、小型のスクリーンといった必要最低限の設備だけが設けられている。
俺は足を一歩踏み入れた。それと同時に、部屋の奥から椅子を引く音が聞こえてくる。執務机の向こうで、羽崎中佐が立ち上がるところだった。
「任務ご苦労、石津少佐。適当にかけてくれ」
「はッ。失礼します」
俺が敬礼すると、中佐はさっと返礼をして、机の向こうから手前の対面式ソファに歩み寄ってきた。俺も特に躊躇うことなく、ゆっくりと手前のソファに腰を下ろす。
「毎度散らかっていてすまんな、石津」
「いえ、お気になさらず」
ソファの間には低いテーブルがあり、天井からの柔らかな光を受けている。その上に散らかった書類を適当にどかしながら、中佐は口火を切った。
「今回の作戦、殉職者は十二名、負傷者は八名との報告を受けている。確かか?」
「はい」
俺が短く答えると、中佐もふむ、と短く唸った。顎に手を遣りながら、もう片方の手で報告書を握っている。
「自分がもっと警戒を促せばよかったのです。対空攻撃に十分注意するよう伝えていれば――」
「そう自分を責めるな、石津」
中佐はつと目を上げた。
「現場指揮はお前の任務だが、作戦を立案したり、防衛省と折り合いをつけたりするのは私の仕事だ。責任を問われるのは私の仕事なんだよ」
「はい」
視線を合わせづらくなった俺は、我ながら気が抜けてしまったのか、ふっと俯いた。
「自分を責めるなと言っただろう、石津」
俺の視界に、すっと中佐の腕が入ってくる。その腕は、一抹の優しさを含んで俺の肩を叩いた。
俺と違い、現場の一兵卒から成り上がった羽崎中佐。そのがっしりした体格や、心理的包容力に、俺はどこか父の姿を重ね合わせていた。三十五歳という年齢も、偶然ながら父が亡くなった時の年齢と一致する。
ああ、まだ自分は子供なんだな。俺はそう思った。年齢だけ見れば、半年前に大学を卒業したばかりの青年と変わりない。しかし、そんな若さ故に許されることなど何もないのだ。
自分の頬をパチンと叩き、気合を入れたいと思う。が、中佐の前だ。そんな子供じみた所作を取るわけにはいくまい。
俺の取り留めのない思索を打ち切ったのは、やはり羽崎中佐だった。
「報告は届いていると思うが、怪獣は来た道を引き帰して海に戻った。非難が迅速だったから、民間人に死傷者は出ていない。まあ、怪獣も吐き気くらいは覚えたのかもしれんな」
今回の作戦に用いられた毒ガスは、遅効性のものではない。もし通用するならば、怪獣はあの山岳地帯で、すぐに絶命していたはずなのだ。怪獣に引き帰すだけの体力が残っていたということは、致命傷には程遠かったということだろう。
それに、次にまた奴が現れたとすれば、この毒ガスは通用しまい。それだけの環境順応性を、奴は備えている。
俺はぐっと奥歯を噛みしめた。
「畜生……」
と口にしたところで、俺ははっとした。上官の前で悪態をつくなど、許されることではない。
「も、申し訳ありません!」
俺は素早く立ち上がり、頭を下げた。
「あーあー、そう気にするな。君の境遇は私も理解しているつもりだ。だからこそ、私は君を助けるためにこの組織のトップに立ったんだ。もっとざっくばらんで構わんよ」
「し、しかし」
「私は、悪く言えば矢面に立つ人間なのだろう。だが、君の才能は必ずこの国難を乗り切るために必要だ」
俺はゆっくりと顔を上げた。
「自分の才能……でありますか」
腕を組んで首肯する中佐。
「石津少佐。君は常に冷静だ。そうでなければ、この四年間で防衛大学校を卒業し、おまけにアメリカの国防総省で助言を頂戴してくることなどできなかっただろう」
「は、はい」
どうやら褒められているらしい。謙遜して『いいえ』と答えるのも気が引けてしまい、俺は中途半端に答えることしかできなかった。
「お前の才能はそれだけではない。私情ではあるが、怪獣を必ず倒すという強い意志を持っている。それは誰にも否定できないことだ。そうだな?」
「はい」
今度は自然と声が出た。
「私の父も、東南アジアのPKO活動中に命を落としている。反政府組織の襲撃に遭ってな。そんな父の死を受けて、私が国防に関わりたいと思ったのも、我ながら自然と言えば自然な流れだ」
そうだったのか。初めて耳にした中佐の過去に、俺は相槌を打つことも忘れて聞き入っていた。
「次こそは奴を仕留めよう。私も、望んでいるのは自分がお払い箱になることだからな」
中佐は肩を揺らして笑みを浮かべた。
「お偉いさんへの報告事実の確認は以上だ。それより、殉職した兵士の遺族へ手紙を書かなければな」
「負傷者への見舞いの件もあります」
「そうだな。こればかりは、現場にいなかった私が一人で行えるものではない。石津、お前にとっても厳しいことになるだろうが――」
「問題ありません」
俺は努めて視線を強め、中佐を見返した。
「まあ、まずは少し休んでくれ。報告会議や遺族への対応は、本日十三時からとする。いかがかな?」
「大丈夫です」
すると中佐は大きく頷いて、踵を合わせた。俺もすぐに足を揃え、敬礼する。
「では、これにて本日の作戦報告を終了する。ゆっくり休め」
「了解しました」
中佐の返礼に合わせて俺は腕を下ろし、回れ右をして、『失礼します』と述べて司令室を出た。
ふっと息をつき、俺は自分の腰に手を当てた。視線はいつの間にか廊下を彷徨っている。
「あっ、石津少佐!」
突然かけられた声に、俺はすっと顔を上げた。声の主は、菱井恵美少尉だった。
「あの、これ! ああ、じゃなくて」
咄嗟に差し出した手を引っ込め、敬礼する少尉。どこか慌てているらしい。まあ、彼女はいつもそんな感じなのだが。それで俺と同い年で少尉とは、防衛大での成績は極めて優秀だったのだろう。
俺は返礼する手を下ろしながら、『どうかしたか?』と一言。
「よ、余計なお世話かもしれないですけど、これ……」
彼女が差し出してきたのは、俺の好みの缶コーヒーだった。ちなみに無糖だ。
だが、それより一つ気になることがある。
「ここで何をしていたんだ? 少尉」
「えっ?」
「司令室の前でコーヒー片手に、何をしていたのかと訊いているんだ」
この施設の扉や窓の防音性は、いずれも極めて高い。まさか盗み聞きされていたとは思わないが。
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