NATURAL BREAKERS
笹野にゃん吉
プロローグ
ジョセフ・バラントは、仲間たちとともに行進する。砂塵のごとく黄味がかった風に煽られ、炭化した大地に足をとられながら。
微妙な濃淡を伴いながら揺れる風の色は、人類に破滅的な打撃を与えた怪物たちの呼気そのものである。植物の怪物――
BCの花粉を吸引すれば命はない。たちどころに重篤なアレルギー症状を引き起こし死ぬことになる。深刻な呼吸不全に陥ることもあれば、身体の水分をすべて噴出させ、目も当てられない凄惨な最期を迎える者もいる。だからジョセフたちBC殲滅部隊第7班の隊員は、皆、宇宙服めいたずんぐりとしたスーツで全身を覆っていた。
『ポイントF237まで、距離およそ100。こちらバイタル異常なし。酸素残量70%オーバー、異常なし』
環境観測士からの通信だった。
環境観測士は、この殺人花粉に汚染された〝デッドランド〟の案内人であり、行進計画を任されている。実質的なリーダーと言っても過言ではない。班長にこうして通信があるのは、便宜上、班長からの允可が必要だからでしかなかった。
残りの隊員5人から、続々とバイタル・酸素残量の報告がある。
ジョセフには、それが「早くゴーサインを出せ」という隊員からの催促のように感じられた。F237に進入すれば、BCとの戦闘は避けられない。部隊に配属されてからもう10年ばかりになるが、あの化け物どもの存在は、未だに胃をきりきりと締め上げるような恐怖で、ジョセフの心身を苛んだ。
「……こちらジョセフ。同じくバイタル異常なし。酸素残量70%オーバー、異常なし。予定通り、F237へ進軍する」
隊員たちから一斉に『了解』の応答があった。
ジョセフは暗澹とした思いで、眼前にそびえたつ大樹の連なりを見上げた。
それは、さながら地獄から這い出した悪魔の牙のようだった。首が痛くなるほど丈高い黒ずんだ木々が、黄色い風に揺れながら、ざわざわと鳴いていた。その足許では濃緑の蔦や茨が舌のように這い、貧弱な人類が罠にかかるのをじっと待ち伏せているかのようだった。
「各員、武装展開。スーツの損壊に注意しろ」
BC殲滅部隊第7班は、各自、背負っていた銃火器やダガーを構えた。わざわざ森の中に入らずとも、火炎放射器で塵に変えてしまえれば苦労はないのだが、BCは炎に強い耐性をもつ。充満した花粉の所為で、今では航空機を飛ばすこともできず、ゆえに空爆の手段も失われ、地上部隊が直々に殲滅作戦を買って出なくてはならないのだ。
そして、今、ジョセフたちは炭化した土から、苔むした大地へと踏み入る。
門のようにそびえ立つ大樹とすれ違えば、そこは間もなく森である。広漠とした炭の大地は、その一線によって断たれる。ふと振り返ると、不可視の壁が、森の内外を切り取ってしまったように錯覚する。
ジョセフは帰還願望を押し殺し、努めて正面へ向き直った。
ナイフのような鋭利な刺をもつ茨を避け、ゆっくりと流動する蔦をダガーで払い、大蛇のように木々の間に寝そべった根をまたぎながら、慎重に進む。ひたと足を止めれば、そこに風と葉擦れと自身の呼吸以外に音はない。野生動物もまた、BCの花粉によって殺戮の限りを尽くされたあとだった。
それから小一時間、部隊は問題なく行進を続けた。BCによる攻撃もなかったが、花粉をまき散らす花弁も見つけられなかった。殲滅部隊とは言うが、実際のところ、彼らにできるのはBCの花弁を見つけ出して、それを破壊することだけだった。この巨大な森を、人の手だけで切り崩すのはもはや不可能なのである。
灌木を切り払い、絡み合うようにして群生する蒼い木々の間を抜けたときだった。隊員の一人が『あっ』と声を上げた。
ジョセフは振り返り、隊員の一人が頭上を指差しているのを見つけた。その先を追って確認してみれば、蜘蛛の巣のごとく網をなした枝葉の中、赤々とした袋状の物体が吊り下がっているのが見て取れる。
その表面は半透明で、中にカプセル状のシルエットが浮かび上がっている。カプセルは小さく脈動し、時折、悶えるように輪郭を歪ませる。その度に、そこここで絡み合った蔦が蠕動し、きゅるきゅると不快な音をたてた。
「花弁で間違いないな。物音をたてないようにして、慎重に狙いを定めろ。絶対に撃ち損じるなよ」
『了解』
隊員たちは迅速に、けれどこの上なく慎重に、剥きだした心臓のようなBCの花弁へ、アサルトライフルの照準を合わせた。
「
ジョセフのかけ声とともに、一斉に引き金がひかれた。静寂が弾け、虚空が裂かれた。熟れた柘榴を潰したように、赤い汁と無数の粒が四散した。
「ジリャアアアアアッ!」
突如、森が軋み、どこからか怪物の奇声が轟いた。それはこの森の幾らかを構成するBCの断末魔に違いなかった。
足許が地震でも起きたかのように、ぐらぐらと揺れた。隊員たちの目の前に、無数の葉が落ちてきた。視界が一瞬遮られた。構わず、彼らは花弁を撃ち続けた。
やがて花弁は枝葉に結ばれた結合部を破壊され、地上に落ちて、跳ねた。べちゃと嫌な音が谺し、人の血よりも赤い液体がジョセフのスーツを染め上げた。
びくびくと痙攣した花弁は、その後、黄色い液体の塊を吐瀉物のように吐き出すと、ついに動かなくなった。周囲の蔦が鞭のように襲いかかってくることもなく、無事排除に成功した。
ジョセフは水を被った犬のように全身をぶるぶる震わせながら、BCの液体を振り払った。心なしか他隊員たちが、距離をとっているように感じられた。ただ一人、環境観測士のマルスだけは、その限りではなかった。ジョセフが散らした液体の一部を試験管のようなものに回収し、満足気に頷いているのだった。
マルスの作業が一段落したのを見計らって、隊員たちは行進を再開する。
ところが、ジョセフが一歩を踏み出したそのとき、小さな呻き声のような通信音声が、隊員たちの鼓膜を打った。
ジョセフは瞬時に振り返り、アサルトライフルを構えた。他隊員もやや遅れて背後へ振り返った。
BCのねぐらは、深い樹海である。小一時間も歩き進んでいれば、無論、辺りは大樹の檻に囲まれたような様相を呈する。木々の間には闇がわだかまる。しばしばそれは黒い蒸気を思わせるほど深く、地続きに足許にまで迫りくるように感じられる。
その暗がりの正面、ジョセフは隊員の一人がうずくまっているのを発見した。
スーツの一部には赤い華が咲いていた。
先の花弁の汁ではない。人の血液だった。
ジョセフは闇の中を指差し号令した。
「攻撃!」
隊員たちからは、刹那の逡巡が感じられた。しかし彼らは、すぐにそれを振り払い、闇の中に銃撃を開始した。樹木の表面が荒っぽく削られ、木端が舞い、マズルフラッシュが微かに闇の中を照らした。
そこに浮かび上がったシルエットに、誰もが茫然とし、一時、引き金にこめた力を忘れた。
それが命取りとなった。
次の瞬間、闇の中から赤い光が幾度も迸った。隊員が一人、二人、と血の飛沫をあげて死のダンスを踊った。
洗礼はジョセフにも訪れた。全身を焼くような痛みのあと、視界を埋めるほどの血が目についた。
恐怖を覚える間もなかった。
いや、ジョセフの心は、驚愕に支配されていた。
闇の中、また一つ赤い火花が迸った。今度は鮮明に、そのシルエットが浮かび上がった。
それは全身を真っ赤に濡らした、ずんぐりとした人型だった。
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