第10話 認めたくなかった

 柱を強く打ち過ぎて、部屋が少し揺れた。それのおかげで、1つ分かったことがあった。薄々感づいてはいたが、受け入れたくないことだった。


 だが、殴ったはずの手に、痛みも熱さも、何も残っていなかったのがその事実だ。


「やっぱり…。俺は死んでいるんだな」


 カナトくんは何も答えない。


「なぁ、カナトくん。知ってたんだろ?全部、さ」

「僕は何も知らない。出来るのは知ることだけだ」

「なぁ、カナトくん。君、さっき言ったよね?『物が持っている記憶を視ることができる』って。すでに死んでいる俺は、人間とは言えない。肉体もなく、記憶が集まっているだけの『物』だろう?」

「僕が分かっていたことは、色というか、温度というか…。そういったもので、おじさんが生き物じゃないことは分かってたよ。でも、それだけだ」


 その指摘は思考と言葉を奪った。心にガサリと音がなるような、突き放された寂しさのような、そんな感情が生まれた。続ける言葉が、見つからない。


 カナトくんは、膝を抱えたまま黙している。時間だけが無為に流れていくが、それは事実を受け入れ、ある種の悟りを得るには充分な時間だった。


「 ここは、あの世みたいなもんだろ……? 君も死んでるの?それとも、産まれてないのか?」

「僕は何も知らない。それしかわからないんだ」

「そうだね。君はそういう子だよ」


 自嘲。どうしたらいいのだろう。どうすれば、俺はやり直せるのだろう。過去を変えたら変わってしまう。そんなのは分かっている……。ん?待てよ。


「ねぇカナトくん。『許されたら変わってしまう』って、許されたら過去って変えられるの?」

「大丈夫じゃないかな?多分」


 なんだ、可能性はあるじゃないか。それなら、なんとしてでもあの日に帰ればいい。


「どうにかして、あの日。もしくは、事故当日に帰れば……。ねぇ、カナトくん。ドアが呼ぶときって、どんなルールがあるの?」

「おじさんにとって、大事な記憶を取り戻す用意が出来たときじゃないかな」

「それなら、俺が願えばいいのかな?」

「分からない。それはドアが決めることだ」


 ある種、分かっていた答えだ。今、自分が出来ることをするしかない。


(ふすまを開ける音、歩く音)


「神様、ドア様。どうか、あの日に帰らせてください。戻らせてくれたら、どうなってもいい。お願いします。どうか、どうか、どうか。お願いします」


 ドアに向かって、土下座をする俺は、きっと滑稽に見えるだろう。俺だってそう思う。しかし、それしか依る術がない。


(ドアが開く音)

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