擬態
飛高は数時間前の映像を見ながら頭を抱えていた。
『あんたが二水を一人にしなければこんなことにならなった!それでも研究に身を置く科学者か!』
反論の余地もない罵倒だ。
彼の言う通り研究者とはエンジニアと同じく、いやそれ以上に未知の事象に対して距離を置き、起きうる危険に対しての予知をしておかなければなかった。
掴みかかってくる彼を真宇が引き留めている間に飛高は逃げるようにP生研という自分の城に逃げ込むしかなかった。
チャンバーの中では二水の形をした何かがその場に座ったまま動く気配を見せない。
モニターの映像には二水が床の何かに触れようとした後、卵に丸呑みされるように捕食される場面が映し出されていた。
飛高は思わず目を背ける。何度再生してもこの瞬間だけは見るのを躊躇ってしまう。
捕食後から数分の間卵は沈黙を保っていたが、やがて殻は柔らかく半透明になっていき、それが破られると中からは二水の姿形をそっくりに模したものが現れた。
いったいなぜ捕食した対象に擬態しているのか。
しかし完全な同一形ではない。
卵の時と変わらずシリコーンの薄い膜がそれを覆い、明かりに対してきらきらと反射しているのが目視でも確認できる。
それはぺたんと座り込んだまま動く気配はなく、何か外部からの刺激がない限りずっとそうしているような気がした。
「二水……」
飛高は考える。
二水は卵本体ではなくその手前にある何かを拾おうとしていた。
それが何なのかを掴むことができればおそらく彼女の行為の意味がわかる。
ガラス越しに二水が屈んでいた位置を凝視するが、そこには何もない。
その時、飛高の通信端末がメッセージの通知をした。
『入場許可申請:
飛高は舌打ちした。
五総研は生体研究を主とする第五研究棟の総括管理を行っている。
つまりはP生研における上部組織である。
いつの間にか騒ぎを聞きつけていたらしい。
機密情報の多いこのステーションでは上部組織の人間といえど研究室への勝手な侵入は許可されない。が。
「開けるしかなさそうだな……」
五総研の申請の拒否はすなわちこの第五研究棟そのものを敵に回すことになる。
特に積極的に他の研究室と関わらない飛高にとってそれは絶対の命令ともとれる申請だった。
「やあ、飛高主任。今回は災難だったそうじゃないか」
長身で痩せぎすの男がまるで大したことでもないかのようにそう言った。
彼の後ろには警護の大男が2人ついており、うち一人は下里を銃で従わせている。
「どうも教育がなっていないエンジニアなようだ。怪我はないかい?あとでA修技のほうに私から言っておこう」
目の前にいる男、苫上は研究者の中でも特に研究に執着する男である。
宇宙空間における医療措置による衰弱改善、新たな微生物使用による人間の代謝改善など実績としてはこのステーションにおいて大きな貢献をした人物だ。
しかし多くの研究者の多聞に漏れず階級・職種差別主義者でもあり、『下級エンジニアなど飯を食わすよりも飯にしたほうがまだ有用性がある』と公言して憚らない男でもある。
「結構だ。それよりもわざわざ五総研がこんな寂れた研究室に何用かな」
「とぼけてもらっちゃ困るな」
飛高が言い終わる前に苫上がかぶせる。
「最近、面白いものがここに運ばれたと耳にしてね」
やはりその件か。
嫌な汗が服を湿らす。
「さらにこの小僧が言うには研究者が一人それの餌になったそうじゃないか!ああ彼女の名前は知っているよ。若くして両親の夢を成就させた奇跡の子だ!それを餌にするだなんて損失だと思ってね。是非その真意をあなたに聞こうと思ってここまで来た次第さ」
後ろで下里が苫上に殴りかかろうと必死でもがくが警護の男たちに押さえつけられている。
なおも殺意の籠った眼で彼を睨みつけていた。
「餌が必要だったなら私に言ってくれれば手配したのに。勿体ない」
なおも挑発するようにそう言うが、本人にしてみればそれは本心なのだから余計に質が悪い。
「得体の知れないものには一人で触るなと言いつけておかなかった私の落ち度だ」
下里の顔を見ないようにしそう言い放つ飛高。苫上とこれ以上話していると自分まで悪意に染まってしまいそうだ。
「ああ、そうだろうとも。だが起きてしまったことは仕方ない。それで、彼女を食べた生物ってのはどこだい。まだいるんだろう?」
飛高が無言でチャンバーを顎でしゃくる。
ほうほう、と早足でそちらに向かう苫上。ガラスにキスせんばかりに張り付き、二水の形をしたそれを凝視する。
チャンバーの中のそれはやはり動く気配はない。
悪戯っぽく苫上がガラスをノックしてみるが反応はやはりなかった。
「材料としては面白いのだがここまで無反応を示されると悲しくもあるね。やはり直接的な刺激がなければいけないのだろうか」
ちら、と下里の方を見る。その目にはすでに次に何をするかが書いてあるようだった。
鶍 二水 @Derijou
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