タナトス・ヴォイス

花野宵闇

第1話 泉コウと岩石鉄雄

■第一章

 何の変哲もない朝だ、毎日繰り返している朝。

 朝の爽やかな風が頬を撫でる、岩石 鉄雄いわいしてつおは、制服に学生カバンといった出で立ちで私立白稜学園に登校していた。

 家は学園から程近いマンションの一室だ、両親は既に他界していた。

「鉄雄!」

 後から声をかけてくる女の子がいる。

 後を振り向かなくてもわかる、良く知った足音だからだ。

 彼女は幼馴染みの『麻奈辺 律まなべりつ

「んもう、声をかけてくれたっていいじゃない。お隣さんなのに」

 息を切らせ、鉄雄と並んだ律は、ほんの少し頬を膨らませて鉄雄に言う。

「お互い仲良く一緒に登校って、もうそんな歳じゃないだろ?いいじゃん、俺が何時に家を出たって」

「そんな事言うなら、今日のお昼のお弁当あげなーい。私二人分持たされているだからね、結構重いのよ?」

「あー……それを言われると……律んちのおばさんには世話になっているしなあ」

 弱い所突くなよ、と鉄雄が律に言う。

「ふふーん、じゃ、はいこれ、お弁当。自分の分は自分で持つ、当然ね」

 そう言って律は得意気に、鉄雄へ弁当の入った紙袋を手渡した。

 ありがとう、と鉄雄は遠慮なくそれを受け取った。

 両親が他界してから、律の母親には何かと世話になっている、この弁当も鉄雄はありがたく受け取った。

 その時、湿った空気が足許をさらって行く。

「あ、そろそろ雨ね」

 辺りを見渡して律が言う。

 このゆるい坂を登り切ると、見えてくる灰色の雨雲。

 ぽつ、ぽつと雨が降り出した。

 制服は完全防水撥水加工、どうせ学園に着くまでの数十メートルの距離。

 いちいち傘をさすのも面倒だという、鉄雄の様な生徒がいる一方で、雨を避けようと傘をさす女生徒や、雨を感知すると自動的に襟からフードがでて、頭部を覆う生徒もいる。

 律はカバンからピンク色の棒を取り出した。

 棒の一方には直径が五センチほどの円盤が付いている、もう一方を伸ばして頭上に掲げると、棒の先からビニール状の膜が張り、傘になった。

 白稜学園に近づくにつれ、ぱたぱたと律の傘へ雨粒が落ちてくる。

 律は鉄雄の方へ、傘を傾けた。


 雨と白稜学園には深い因縁があった。

『ホワイトメルト事件』である。

 

『ホワイトメルト事件』は、百年前にこの地で起こった大災害だ。

 この白稜学園を中心とした、直径百キロメートルの大地が瞬時に蒸発してしまった。

 そのあとには人も家も何も残らず、あるのは灰ばかりだった。

 0地点である白稜学園と僅かな市街だけが残り、この事象を目撃した人の「白い光を見た」という証言からホワイトメルトと名付けられた……と言うのがこの事件のあらましだ。

 この『ホワイトメルト事件』が起こって以来、白稜学園にはいつも雨が降り注いでいる。

 気象現象をまるで無視して雨雲は常に白稜学園の真上に居座り、春も、夏も、秋も、冬も、やむことなく雨を降らし続けていた。

 高名な気象学者や大学の教授がこの白稜学園にだけ雨を降らし続けている雨雲の調査をしたが、結局「解析不能」だった。

 白稜学園の雨は、今では観光バスまで止まるようになってしまった、白稜町の名物だ。

 今日もまた学校のフェンスの外に観光バスが止るだろうし、街中に行けば『雨降り饅頭』が名物として売られている。


 間もなく教室に着いた鉄雄は、椅子に座り教科書とノートを机の中に入れた。

 そして自分の左斜め前に座るクラスメイトを見た……その生徒は一年の時はいなかった女生徒だ。

 腰まで届く真っ黒な直毛のロングヘア、そして彼女は顔の左半分を覆う大きなアイパッチ、眼帯をしている。

 彼女の名前は『泉コウ』

 彼女はとびきりの美人だ、その左の顔半分を覆う眼帯があっても、彼女はとても美しいともいえる造作の顔立ちをしていた。

 細く整えられた眉、伏し目がちな眼差し、すっと通った鼻梁、物憂げに息を吐く薄く紅い唇。

 右半分はどれもこれも完璧なまでの美しさ、それが左顔面に付けているなにやら妖しげなデザインの眼帯に負けぬバランスで、更に際だって存在している。

 しかし彼女のその雰囲気は、まるで人を寄せ付けないような、常に冷たいものをまとっていた。

 クラスの女子も泉のその雰囲気に、特別用事がなければ話すのを敬遠している始末だ。


 最初鉄雄はこの女生徒が、二年の留年生だと思っていた。

 眼帯をしているせいで、良くも悪くも目立っていたからだ。

 進級して驚いた。

 鉄雄のクラス、いや、学年全員が……教師まで、皆まるで最初から……一年の時から、彼女がそこにいたかのように振る舞っている。


 違和感を感じているのは鉄雄だけのようだ。

 鉄雄が泉を見ていると、その視線に気が付いたのか、彼女もちらりと見返してきた。

 凍るような冷たい、厳しい視線……。

 その視線に、心臓がバクバクっと高鳴った。

 視線のロックオンだ、鉄雄はへらっと笑ってなんとか泉の厳しい視線を外した。

 泉の視線はレーザービームでも放っているかのような眼力だった、(おっかねえ)と鉄雄は心の中で呟いた。


 麻奈辺律も鉄雄と同じクラスだ、そしてその律も「泉さんは苦手だわ」と漏らしていた。

 律はよく言えば世話好き、悪く言えばおせっかいやきの女の子だったが、そんな律が「苦手」と言うのを、鉄雄は彼女との十七年間の付き合いで初めて聞いた。

 律は明るい、誰とでも仲良くなれる才能を持った女の子だった。

 その律が「泉は苦手」と漏らすのだ、泉の「人を寄せ付けない冷たい雰囲気」というのは『よほど』なのだろう。

 一年の時からの友人、森崎に鉄雄はそれとなく泉の事をきいてみた。

 森崎は「何を寝ぼけた事をいっているんだ、泉コウは一年の時から変人で有名だろ」と言った。

(確かにな、変人だ)

 泉コウはいつも日替わりでデザインの違う眼帯をして、窓際の席で窓の外を見ている。

 今日の眼帯は破れたハートマークの刺繍がしてあった。

 昨日は黒とピンクと白で、南国の花模様の柄。

 その前は……「えーと、なんだったかな」と鉄雄は考え込む。

 そうだ、たしか、ただ鋲を打っただけの、渋い眼帯だった。

 一体幾つ眼帯を持っているのか、そのバリエーションは感心するほど豊富だ。


 泉の見ている窓の外は雨だ。

 止まない雨のお陰で、白稜学園の校庭は白い大きなドームで覆われている。

 そのドームの向こうを、泉はただ見つめていた。


 泉コウは変人で有名らしい。 しかし、鉄雄にはそうは思えないでいる。

 律は苦手だと言った、森崎達クラスメイトは何をもって、泉を変人というのか?

(だって俺は知らないんだ。一年の時、あんなヤツは俺の学年にはいなかった!)

 

 鉄雄があの眼帯に隠された素顔がみたいと思うのに、そうは時間がかからなかった。

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