親友とぶつかり合ってもイイですか?

 玄関に立っていたのは柊ケイコだった。黒いダウンコートに身を包んだ柊ケイコは、本当に心配そうな表情で扉口のエリカの顔を覗き込んでいた。


「エリカ……、大丈夫?」


 ケイコが口を開く。いつもなら冗談めかして「全然、大丈夫だよ〜!」などと返すところだが、エリカは無言で、ただコクリと頷く。

 二人の間の空気感に少し不自然さを感じたのか、マコトが割って入る。


「あ〜、えっと。マンションの入口で丁度、バッタリ会ってね。二回、ピンポン鳴らすのもアレだから、一緒に上がってきたって感じ?」

「……連絡は?」


 エリカはケイコには知らせていない。

 正直なところ、今は、柊ケイコには会いたくなかった。数ヶ月前に、同じ事件が起きていたら、マコトに連絡するより先か、直後くらいにケイコに連絡して助けを求めていたかもしれない。でも、今はそういう風には思えない。


「あ〜、ちょうどケイコさんから、LINEでメッセージが来たところだったから、来る途中のタクシーの中で、伝えたんだ。きっと、姉ちゃん、パニックになってて、ケイコさんにも連絡出来てないだろうって思って〜。こういう時、ケイコさん居ると心強いだろうと思ってさ」

 マコトの気遣いは嬉しいが、エリカとしては複雑だった。


「ごめん、エリカ。ちょっと打ち合わせから抜け出てくるのに、時間がかかっちゃって、遅くなったの……」

 ケイコが申し訳なさそうに言う。その「打ち合わせ」という言葉が、また、エリカの心に鋭利なナイフを突き立てる。


(なんで、『打ち合わせ』なんて言うの? 南雲先生と会ってたんじゃん。そんな言い方しないでよ、私に隠そうとしているみたいじゃない……)


 エリカは何だか余計に惨めな気持ちになってくる。


 マコトが靴を脱いで、ケイコにも「さぁ、入って入って」と部屋の中に招き入れる。柊ケイコもエリカの部屋の玄関に「お邪魔します」と足を踏み入れた。ケイコにとっては何度も入ったことのある親友の部屋だ。


「エリカ……、大変だったね。……大丈夫?」

 と、ケイコはエリカに優しく右手を伸ばす。まるでお姉さんが、妹をあやすように。


 ――パシッ!


 エリカはケイコのその白い手を、右手で払い除けた。


「……触らないで!」


 エリカが小さな声で呟く。柊ケイコは弾かれた右手の甲を左手で押さえて、驚きで目を見開く。マコトは、二人の間のただならぬ雰囲気に、狼狽しながらも、二人の間に、また割って入った。


「姉ちゃん、なんか変だよ!? ケイコさん、姉ちゃんを心配して駆けつけて来てくれたんじゃん? 何、怒ってんの? 何があったの?」

 柊ケイコを庇うように立つ弟を見て、「傷ついているのは私なのに」と、少しエリカは弟のその立ち位置に不満を覚える。マコトは何も知らないから仕方ないのだが。


 マコトは二人の間に身体を入れたものの状況が全く掴めていなかった。柊ケイコも「何が起こったのか分からない」といった表情だ。エリカが一人、唇を噛み締めて、俯いて立っている。


「……どうしたの、エリカ? 何かあったの? 空き巣以外に……? 私、何かやっちゃったっけ?」

 突然の事態に、動揺しながらも、柊ケイコは穏やかな表情と声色を努めて作った。エリカに払われた右手を左手で包むように抱えながら。


 エリカ自身も、自分自身がこんなに攻撃的になったことは、これまでの人生においてもほとんど無かったので、暴走する自分の心と、振る舞いに、どうすればいいのか分からなくなっていた。


 黙ったまま、返事をしないエリカに、柊ケイコは「はぁ〜」と溜息をつく。


「あー、もう。何も言わなきゃ分かんないじゃん、エリカ。いろいろショックな事はあるんだと思うけどさ。何でも相談してみなよっ! 私達、親友でしょ! たぶん」


 押し黙るエリカに、ケイコは改めてボールを投げた。こんなセリフで「親友でしょ?」と断言すると、どこか嘘くさい。でも、それを言い切らずに「たぶん」と添えるあたりが、ケイコの正直さだ。そこに逆に好感が持てる。

 ケイコのこういう裏表の無いところが、エリカも好きで、だから、一回生の時からずっと一番仲のいい友達だったんだ。でも、だからこそ、南雲先生とのことに関して、裏でコソコソされるのが、堪らなく嫌だったし、気付いた時にも、傷ついたのだ。


 どうしようかと、エリカは迷う。話すべきか、話さないべきか。踏み込むべきか、踏み込まないべきか。

 目の前では「話してごらん」とばかりに柊ケイコがエリカより少し高い背を屈めて、エリカの顔を覗き込む。マコトは、二人の間に割って入るのを、野暮と見てか、すっと横へと引いていた。

 

 鹿児島で上村かみむら純子じゅんこに言われた言葉を思い出す。


 ――先生にもケイコさんにも真っ直ぐに伝えてごらんよ。やっぱり、直球しかないよ。


 そうだ、話してみよう、直球しかないんだ、とエリカは心に決めた。


「今日だって、……ちょっと、来るの遅かったじゃん」

 俯いたまま、エリカは拗ねたように唇を尖らせる。


「ごめん、ごめんって。でも、仕方なかったのよ。『打ち合わせ』でどうしても抜けられなかったの……。私が担当で、私しか出来ないことが残っていたから。でも、その部分が終わったら、途中で抜けて、急いで飛んできたのよ」

 ケイコは両手を腰にあてて、「どぉ? 私頑張ったのよ」とばかりに胸を張ってみせる。私はあなたのことを一番に思っている。それを認めさせる。そんな胸の張り方だ。心の底から落ち込んでいる親友相手に、そんな自己主張があったものかと思うが、でも、そこがケイコらしさで、エリカは何だか笑えてきた。


 でも、『打ち合わせ』だなんて言うけれど、そんな言い方で誤魔化して欲しくない。本当に親友なんだったら、本当のことを隠さずに喋って欲しい。


「なんで『打ち合わせ』だなんて言うの? 今夜も南雲先生と会ってたんでしょう?」

 直球だ。直球を投げよう。エリカは気持ちを奮い立たせる。嫌な女と見られてもいい。絶望的な真実が明らかになってもいい。自分はきちんと現実に向き合うんだ。


 そう、エリカは心に決めて、顔を上げた。そして、じっと、柊ケイコの両目を見つめた。また、涙が溢れそうだったが「泣いてなるものか」と唇を結ぶ。


「へ?」

 エリカの真剣な眼差しと、打って変わって、ケイコは気の抜けた返事を漏らす。そして、右手の人差し指を顎に添えると、少し考えてから、唇を開いた。


「うん。……まぁ、南雲先生も打ち合わせには居たけどね。それがどうかしたの?」

「……南雲先生『』?」

 エリカは「ん」と首を傾げる。それを見て、ケイコも「んん?」と首を傾げる。マコトは横で、まったく文脈がわからず「んんん?」と腕を組んだ。


「うん。南雲先生も委員だし、副実行委員長でもあるから、打ち合わせには当然参加してるけど、別に、私、南雲先生と会ってたって言っても、打ち合わせに同席していただけだし?」

 ケイコは、エリカが何を言いたいのかわからない、という表情で、首を傾げながら、説明を続けた。エリカも引き続き、何の話かよく分からず、右に傾げた首を、今度は左側に倒す。


「委員? 副実行委員長?」

 しばしの沈黙が流れる。


「あれ? 言ってなかったっけ? 三月に駅前のホテルでやる国際会議」

 柊ケイコは右手で頭を押さえる。初めて聞く話だ。エリカはふるふると首を左右に振った。


「あ……、そっかー。私、エリカに話してなかったんだ〜。ゴメンゴメン」

 そう言うと、柊ケイコは笑いながら説明を続けた。


「ウチのゼミの藤村先生が実行委員長で、南雲先生が副実行委員長で、三月に国際会議があるんだけど、私、なんか、頼まれちゃって事務局手伝ってんだよね〜。……ってあれ?……エリカ?」

 と、そこまで説明して、柊ケイコは、エリカが完全に放心状態になっているのに気づいた。もはや、目を開いて、立ったまま気絶していると言って良いレベルだ。


 ――もしもーし! エリカ〜、聞こえてる〜?


 自分に話しかけるケイコの声が、なんだか、遠くに聞こえる。遠のく意識の中で、「あぁ、私は死ぬの?」なんて、エリカはそんな事を考えていた。そして、エリカは、そのままヘナヘナと、ダイニングの床へと崩れ落ちた。


 どうやら、エリカは、盛大な誤解をしていたようだった。 

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